-1-26 回想幾つか
私達が、得物として小刀を扱うのは当然だった。
宝剣というものがある。力の象徴だ。その概念を媒体として不可思議な秘術を現したり、儀式に使ったりもする。だからそれは決して力任せに振り回すものじゃない。元より斬った突いたなんて出来るものでもない。西方では、魔女は武器としては成り立たないような杖を持っていたという。似たようなものだ。
しかし、それとは別に普通の剣もある。
家にはそうしたものを扱う技術が伝わっており、立派ではないが道場まであり、父さんも剣(模造だけど)を扱う場面を平気で見せる。滅多に使われる事はないけど、家には神様に奉る為のご神刀――真剣もある。
幼心が興味を持たない筈がない。
そんな私達に父さんは、色々と難癖を付けた挙句、「刀を持ちたいなら体鍛えろ」と、要約するとそんな事を言って訓練課題を出した。
身体能力を上げる為だけの基礎訓練。この間、遊び程度で竹刀を持つ事はあったけど、それ以上、試合用の木刀でさえも父さんは触らせてくれなかった。
基礎に一年。素振りを加えてもう一年。そうして、寒い季節を見計らったように、やっと、一度だけ、本物を持たせて貰えた。
神社に祭られているご神刀。物を斬る刃を持つ、本物の刀。
初めて持ったその小刀は、錘を加えた素振り用の小刀よりも僅かに軽く。
只、刃が付いただけで、凄まじく緊張した事を憶えている。
この刃が物を切り、この刃が人を斬る。
そう思うと手が震えた。想像していたよりも軽かった物が、想像以上に重くなった。
そんな私に、父さんは言う。
「うちのはお上品じゃねえからな。やるんなら勝つ為じゃねえ、生き残る為になんだってやる。その事だけ教えてやる」
只技量を比べるだけの試合などでは、剣を振り回すだけではない、様々な枷が強制されている。命までは取らないようにとの縛り。取り決め。それは言葉通り、人の動きを縛る。思考も縛る。そしてそれは、最悪己の命を脅かしかねない。ある場面で安全になる代わりに、ある場面で危険に晒されるもの。
「うちのにそんな枷はねえ。生き残る為っつってんのに人様の心配出来ねえもんな。だからだ、お前に一つ枷をやる。お前だけじゃねえ、シエンにも言ってる。いいか、何があっても、これで人様に傷を付けるな」
今思うと、それこそ甘い、矛盾した枷だ。父さんはそれなりにそういった事から遠ざけようとしていたのだろうけど、そんな思いが必要以上に縛っている。護身の為だとしても、傷を付けなければ相手は止まらないかも知れないのに。
「だからこれで最後だって思っとけ。俺はこの先、絶対お前にそいつを持たせねえ。ま、先の努力次第だけどな」
言葉通り、その後父さんは刀を持つ許可を出す事はなかった。だけどその許可は、その数年後に思わぬ所から出て来た。この家の本当の力関係を知ったのはその時なんだけど、それはまた別の話。
・
思っているよりも、この神社の歴史は古い。その知名度や貧乏さからはとても考えられない程には。
そんな神社であるからか、例えば敷地の離れにある蔵などを漁ってみると、たまに凄い物が発掘されたりする。
それは大昔の秘術書だったり、過去の妖怪を記した巻物だったり、この辺りの事を記した歴史書だったり。それとは別に、本などに取り憑く妖怪なんぞも居たりする訳で。たまにちょっとした騒動に発展したりする事もあったりする。
掃除や整理など、誰もしようとは思わなかった。
何しろ、混沌とし過ぎている。下手に中をいじくって、何か事故でも起こった場合、無事に出て来られるかどうか解らない。
……錠前はあるにはる。だけどその鍵はすぐに持って来られるから、入り込む事自体は簡単なんだけど。
危機意識は一応ちゃんとしている。それは蔵がどうとかという問題だけでなく。
この神社には、周囲を注連縄で囲った結界がある。
大昔に、この地を治める三柱の神様が協力して作り上げた、妖怪山を覆う結界。それと同じようなものが、この神社にも張り巡らされていた。
なので、この神社は結界の外からは目を凝らそうが内部は見えず、正面の鳥居以外からは入る事も出来ない。故に、正面の石段から鳥居をくぐってやって来る者以外には、気を張っている必要もない。
そう。この神社は、この辺りでは最も安全に居られる場所。退魔の魔除けの効果で、妖怪が突然現れる事もない。逆に、真正面から堂々とやって来る妖怪なんぞも、たまには居たりする訳だけど。そういったものは大抵父さんや母さんが対応して、面倒事を起しそうなら追い返したりしている。
――まあともかく、私はある情報を求めて蔵に入り込もうとしていた。
蔵の重い扉を、ゆっくりと、ぎい――と開く。
「ごほんごほん」
いきなり埃っぽい空気が出て来て、思い切り咳き込む。
「ああもう――」
掃除を怠っていると、すぐにこんな空気になるんだこの蔵は。とにかくこの埃っぽいものを追い出さない事には、調べものなんてとても出来ない。埃を吸い込まない為に、息を止め続けて調べものをするなんて、普通に無理な話だろう。
空気の入れ替えが必要だ。
今の私ならば、それに近しい事は出来る。これでも寺院にて法術を学んでいる身なんだから。要は外から風を送り込んで、空気を循環させて埃を追い出せばいいんだ。
という訳で、今こそ学業の成果、法術を現す時。蔵の入口に立って、術の組み立て、詠唱を行う。
“風を”“微弱に”“吹かせる”“実行”
簡単な法術であれば、このように四つ程度の詠唱――意味付けを行う事で、実際に効果を現す事が出来る。更に意味付けを付加させれば、もっと複雑な法術とする事も出来るんだけど、今回はそこまでの意味付けは要らないだろう。やろうとすると、時間も術力も大きく消費してしまうからだ。
――とにかく、蔵の入口から“実行”を現した事で、蔵の中に風が入っていく。微弱に、としたのは中にある書物や巻物――紙の類のものを吹き飛ばさないようにする為だ。もし目当てのものが吹っ飛んだりばらばらになってしまっては、本当目も当てられない。
「ごほんごほん!」
蔵の中に空気が入るという事は、その分そこから出ていく空気もあるという訳で。埃交じりの空気が空気穴やら入り口からやら、もわっと出て来た。
堪ったものじゃない。思わず引き返して調べ物は諦めようと思ったりもしたけど、埃だって無限に沸いて出る訳じゃない。もう少し耐えれば、中は綺麗な空気で満たされる筈だ。
――しばらくして、やっと埃っぽい空気も薄まって来て、頃合いだろうと術を止める。
まあ流石に、長く法術を使い続けていると疲れが来る。術の強さと術の長さ、これに比例して術を使う者の力も消費してしまう。
さて、ならばそれを補う為の方法を見付けようか。
元よりそれが目的だ。術を使って術力を消費するのなら、術を使っても消費しないような手段を探せばいい。
その当たりは付けている。ここは神社であって、母さんやかつての巫女だったお婆も、符を使って術を現していたのを見た事があった。
今回はその手段を使わせて貰う。
取り敢えずは空気の綺麗になった蔵の中に突入。そこいらにある書物や巻物を手当たり次第に見ていく。量が多いから、なかなか見付からないかなあ、と思っていたけど、
――あった。“符術の作り方”を記した書物。
これをちゃんと作れれば、詠唱が要らずとも術が使えるようになる。
これは詠唱による意味付けを、符という媒体にあらかじめ記しておく事によって、意味付けの最後にある“実行”のみで術を現す事が出来るというもの。
要は詠唱の時間を省いてしまう道具が作れる訳だ。寺院の最終試験というものがなんなのかは知っていないけど、法術に関連する試験なのは間違いないだろう。
故に、これは必ず役に立つ筈。
という訳で、しばらくこれは借りておこう。書を持って、蔵を出て扉を閉める。あとはまあ、自分の部屋でひたすらお勉強だ。それと符を作るのに必要な物の調達もだな。
符の調達。それ自体はそう難しい事じゃない。私だって仮にも神社の息子だ。その気になれば、只の紙からでも作る、程度の事は出来る。
じゃあそれに実際の意味付けを加える事は、というと、これが結構難しい。父さんと母さんから一通りの仕事は見せて貰ってはいたけど、それを実際に行うという事に関してはまるで違う。儀式や祭事、そういったものの進行は覚えてはいるけど、符の作り上げる過程――仕組みに関しては、本当簡単なものしか解っていない。
だからこそ、その辺りに関しては教えを乞うしかない。
一番それに精通しているであろう、母さんに。