-1-25 山からの帰還
「「「ただいまあ」」」
母屋の戸を開いて、三人揃ってのアサカエ神社への帰還報告を。
「おかえりなさい、シエン、ユエン、トオナ」
それを迎えたのは母さんだ。いつも通りの、巫女装束をしていた。
「ちょっと遅かったみたいですけど、どうしてたんでしょう」
「う」
「えー、いやまあその」
言い訳しても良かったんだけど……原因からしてまた馬鹿らしい話だなと思う。
エンもそう思っていたんだろう。だからこそ口篭る。
「寝坊だ。この虚けが二人してな」
私達が言わなかった事を、あっさりばらしてしまうトオナ。
「それは、いけませんね。あとでお仕置きをしてあげないと」
「「うっ」」
私とエン、二人して言葉に詰まる。
母さんのお仕置き。それはあの外れのお茶を飲む事に等しいくらいの苦行でもある。
「……と言っても、私はそろそろ町にまで行かないとですけど」
町に行く。買い物だろうか。ここは場所が場所だけに、物を仕入れに行くまではとても遠い。一日作業になる事もざらにある。
よし、これでお仕置きは回避か?
「そうですトオナ、家の人からのお達しが来ましたよ。まだ帰らないのかって」
「あー……それは」
私達が起きるのを待っていたからとは言え……それで割を食うのはトオナなのだから、悪い気もする。
「一応、シエンが居るからと適当に誤魔化しておきましたけど。こうまで遅れると雷の一つでも落ちそうですよ」
「む、それはいかん。儂は一旦帰るとしよう」
そうしてトオナは、荷物を置いて来た道を引き返す。私達に手を振りながら「ではまたあとでな!」と呼び掛けながら、参道から石段を下っていった。
「あれ、父さんは?」
エンがその姿が見えない事に気付いた。道場の方に居るのかと思ったけど、どうも稽古なんかをしている気配がない。
「……メイスケは」「おう帰ったかシエンにユエンよ」
母さんの言葉に被せるようにして、父さんが姿を現す。
いつもの道着姿じゃなく――何やら物々しさを感じる分厚い服を着て、
そして腰の所には、短いものだけど、鞘に収まった、多分本当の刃を持つものが。
「どうしたんだよ。なんだか物々しい格好してさ」
エンが、父さんの格好に突っ込みを入れる。確かにあまり見ない姿ではあるし、真剣を持つなんて事は滅多になかったのに。
「なあに、ちぃとやばいもんが出て来ただけだ。大人しく待ってろ」
やばいもの。
父さんの言い回しは軽くて曖昧だったけど、それの意味するものは――例えば、妖怪山に新しい妖怪が沸いて出て来たとか、妖怪が暴れているとか、そんな事でなくて。
もしかして、それは狂気病の事なのか。
……だとしたら、あれは私の手に余るものだ。
関わるべきではない。それに、関わりたくもない。
……一度、目の当たりにした事がある。だけどそれきり。
……あんなおぞましいもの。あれだけは、進んで関わりたいとは、絶対に思わない。妖怪とかが出て来た方が、まだいい。
あんな狂気には、もう二度と――。
「ああ、んじゃ私も行くよ」
対してエンは、どこか乗り気そうに、軽い声で言った。
解らない。あれのおぞましさは、エンも理解しているだろうに。
「ああ? いいのかよ? ってお前はやってたんだよな……」
呆けたような顔をして言う父さん。
やってた。そう父さんが言うように、エンは狂気病退治に近しい仕事などもしていた。そう聞いている。
それは、放ってはおけないもの。
だけどそれは、嫌な事。怖い事。
「じゃあ、私も準備して来るわ」
なのにエンは、嬉々として行くという。
……どうしてだろう。確かに退治する事は重要だ。“あれ”は滅多に出て来る事はないとはいえ、感染するという特性を持っている。
つまりは、触れてしまうと動く死体のようになるものが、増えてしまう。
だから殺す。動き出さないように殺さざるを得なくなる。感染の恐れがあるとしても、誰かがやらなければいけない事なんだ。その事は、この皇国の法においても認められている事。
だけど、その為に――。
「お待たせお待たせ。じゃあ行こうかね」
エンの準備が整ったらしく、少ししかせずに部屋から出て来た。
……腰にあるのは短刀一本、軽装だったけど。本当にそれで? いやエンには法術という力もあるから、それで充分という事もあるんだろうけど。
「大丈夫か? エン」
獣や妖怪を退治するのとは訳が違う。本当、危険と隣り合わせな所に行くというのに。
「ん。まあそこそこ慣れてる事だしね」
そんなに簡単に考えられるものだとは思えないんだけど。強くなれれば、あんなものでも気楽に立ち向かえるようになれるんだろうか。
「じゃあ、エンはしっかり留守番してなね。行ってきまーす」
そうやって、最後まで軽い態度のまま、エンは父さんと一緒に神社を出て行った。
・
夕暮れ時。自分以外誰一人として居ない中。空が赤くなってきた頃になって、やっとその気配は現れた。
「うああーとーなー、助けてくれー」
ちゃぶ台の下、畳の上に寝っ転がって、項垂れながら現れた者に言う。
「顔を見せた途端に、何を情けない声を上げるか」
本当、顔を見せた途端に、トオナは呆れた顔をこちらに向けた。
「母さんは町に行ってまだ帰らない。エンは父さんと狂気病退治だと。私はいい子で留守番していろとさ」
「ほう」
そう。こんな遅い時間だというのに、誰もまだ帰っては来ていなかった。
暇だったんだ。トオナが来るまで完全一人。だれて畳に寝転ぶ私の傍に、トオナが正座をする。
「しかし、無理もなかろう。エンが居なければ、誰が神社の留守を守るのだ?」
「そーれーはー……」
だれつつも、トオナの方をじいっと見やる。
「……はっ。い、いかんぞ? いつ来るかも解らん者に頼るでない」
「だけど、今ここに居るだろう?」
むくりと、寝転ぶ姿勢から起き上がる。よし、なんだかからかいの対象が出来て元気が出て来た。
「加えてアサカエの巫女見習いじゃないか。さて、誰が神社の留守を守るのだ?」
「そ、それは――」
困ったような顔をする。
しかしそれがすぐに、「ん?」と疑問の顔に変わって、
「神社の息子のエンではないかっ!」
ちっ。引っ掛からなかったか。
「大体だ。エンもそろそろ己の身のふりを固めるべきではないかの?」
「んあ? 身のふり?」
「そうだ。エンはこの神社の息子なのだぞ。なのに今は寺院に通って法術を学んでおる」
「はあ。それが何か?」
「それが何か? ではないわっ!」
また怒られた。
「シエンの行く道を追い掛けたいという気持ち。解らぬでもないが、エンが居なくなれば本当この神社はどうなるのだ? 儂はここの巫女になりたいと思うておるが、何より宮司が居なければ神社は成り立たぬのだぞ」
「いや、それは解るけど」
これでも一応神社の跡取り(予定)な訳だし。最低限以上の知識はある。
「メイスケやハトリもいつまでも居る訳ではないのだぞ。シエンももう成る事は出来ぬのだ。エンが居なければ、この神社は」
「あーもう。お小言なら聞かないぞ」
だらんと、また畳の上に寝転がる。
「これ真面目に聞かぬか。早く決める事だぞ。儂も一人でやるのは嫌なのだからな」
「む、じゃあ二人ならいいのか」
「は、う……」
自らの言っている意味に気付いたのか、顔を赤らめるトオナ。
よし、またからかいの出来る状態に入った。という訳で上体を起こし、トオナの方を見やる。
「私はそれでもいいんだけどなあ。トオナに覚悟が出来ているのなら、二人で継ぐのも悪くない」
「う、だが、宮司としての習いは」
「私が本当に何もしていなかったと思うのか?」
見誤って貰っては困るなあ。確かに今は寺院にて学んでいる最中ではあるけど。
「父さん母さんの一通りの仕事は見ているし、修練もしている。今は時期じゃないけど、自分の身のふりくらいは弁えているつもりだぞ」
それは、恐らくトオナも解っている事。トオナもまた、お婆の行った道を継ごうとしているのだから。
そう。いずれ私達はこの神社を継ぐ。それは多分遠くない時の事。
「はあ、全くの意外であるが、そこまで考えておったのだな」
「意外の部分は要らないと思うぞ」
まあ、事実そう取られるように動いて来た訳だけど。
「という訳で、準備はしっかりだ。あと一つが終われば、いつでも仕事は出来るだろうな」
「むう……」
そう、あと一つ。
法術師と認められる試験さえ通れば、それは充分な力を得たという事。あとは本来すべき事へと向かうだけだ。