-1-21 えんもたけなわ
「ふあ――ああ」
語り合いが始まってしばらくあとの事。
持って来た夕餉なども食べて、少しだらけていたところで、トオナが大欠伸をした。口がこれ以上開かないだろうってくらいの。
「まあ、でっかいのが出たねえ」
「む、あ、あまりじろじろと見るでない……」
「恥ずかしがるなよー私達の仲じゃないかー」
だきっ。かいぐりぐり。
「むやあっ」
「かわいいかわいい」
頭なでなで。
「や、やめぬかー」
「トオナだって猫にこんな事してるでしょー」
「し、しておらぬー」
いいや嘘だ。「いいや嘘だね」
私の心の声と、エンの声がぴったり被った。こいつは猫に対して無理やりな構い方をするからなあ。そりゃあいつにも逃げられるわ。
そうしてしばらくトオナの頭を撫で撫でしていたエンだけど、
「そうだね、もう結構な時間だし。そろそろ寝ちゃおうか」
そう言って、トオナの体を解放した。
「はあ……うむ、だが……」
「何? 何かある?」
「いやなに、いざここでお仕舞いとなると少々勿体ないというか」
「ああ、祭りの余韻と言うやつだ」
楽しい事は、過ぎてしまうと必ずあとに尾を引く。幾ら楽しく騒いでいても、それはずっと続く訳じゃない。いつかは終わる、そうした時に感じられるそれは、寂しい、と呼ばれるものに近いのだろうけど、私はそうは思えない。
それはもっと、衝動的に近い――。
「まあまあ無理しないように。私ら朝は弱いんだから。今日で終わりって訳でもないだろ。また明日もあるんだしさ」
そうだ。深く考えても終わるものは終わる。それにエンが言う通り、今日で全て終わってしまう訳じゃない。集まる機会は明日から幾らでもある。昨日とは状況が違うんだ。
「それに一緒に寝るんだからさ。うーん、久しぶりの人肌だ」
またもやトオナに抱き着き、怪しい響きを醸し出す言葉を吐く。トオナの身がぞわりと跳ねたように見えた。
「な、なにを馬鹿な」
「昔は一緒に寝てたからなあ。布団の中で、くすぐりっこして喜んでただろ?」
「いや、喜んでおったのはシエン一人ではなかったかの。その、目付きが」
「そうかー、二年間構ってあげなかったから背がちっこいままなんだねえ」
よしよし、と頭を撫でながら言う。目付きが何かいやらしい。ちっこいの関係なくないか?
「あ、そうだ」
言うなりエンは、私に振り向き、
「エンは外」
びしっと指を外に向けて言い放った。
「んあ、どうして」
「天幕は一つ。中は狭いし外は誰も居ない。これはまずいだろ?」
「だから、どうしてそうなるんだ?」
「不埒な少年の隔離」
「んあ?」
訳が解らない。
「女の子と男の子が一緒に寝るってのは、ちょっと道徳的に良くないんじゃないかね?」
「なっ、ちょっと待て!」
山に登る時の事……冗談だと思っていたら、まだ言うか。
「姉と幼馴染だろう。どこに問題がある?」
「そりゃあなあ、でもそうやって意識し出すとどんどん……そういうお年頃だからなあ」
「おい待て、そんな事がある訳が」
「ほらほら。エンの目を見て、誤魔化さないで言ってみな? ほーんとおうに意識してないか? トオナも結構発育いいよお?」
言ってトオナの両肩を掴む。その手付きと目付きが妙にいやらしい。と思うのは気のせいか? というか肩というか、やや前気味。そうされているトオナは理解の範疇をすっかり超えてしまったのか、完全に身を固くしていた。
「エンの方が変態みたいだぞ」
「何を失礼な。私はね、エンがトオナを襲うのも心配だけど襲わないのも心配なんだよ?」
「何を訳の解らない事を言って」
「おねーさんとしてはなあ。複雑だあ」
つまり一体どうしろと。
「お主ら……いい加減に恥を知らぬような会話をやめぬかっ」
遂に我慢の限度を越えたようだ。トオナが声を張り上げた。
「私は関係ない……」
お主ら――と言う事は、私も同等の変態に見られているのか。心外だ。どちらかというと私はトオナの側なのに。守ってやる側だぞ。
「恥を知らない? 違うよトオナ。恥ずかしいと思えるからね、とっても大切な事なんだよ」
「大切……なのか?」
トオナの戸惑うような言葉に、エンは笑顔で。
「うんいい機会。この際色々と教えてあげよう。トオナもね、女の子だったらちゃんと知っておくべきだよ。あとで恥かくからさ」
やめて欲しい。純粋で通っているトオナが汚される気がする。
「ううむ……知らぬが恥、と言うか……シエンよ、教えを乞うて良いのか?」
「勿論勿論」
お前もあっさり口車に乗るか。下手な好奇心は身を滅ぼすぞ。
「という訳で、今からここは男子禁制。さっさと出て行け」
エンが、私の方を向いてしっしと、あっちに行けというように手を振る。
「うむ、しかし放り出すにしても、まだこの山、夜は冷えるであろう?」
「……放り出すのは決定なのか」
「当然であろう。幾らこちらが二人とはいえ、お主がどのような狼藉を働くか知れぬ」
ああ、この短時間でもうエンに毒されたのか。酷い幼馴染だ。
「案ずるな。半分は冗談だ」
「半分は本気なんだな」
充分酷い。
「それは、お主……」
「それは信用がないと言う事だぞ? 長い付き合いだってのに」
「はいはいそこまで。女にはね、男には解らないのが色々とあるんだよ。恥ずかしいのも色々あるの」
私にはまずエンの思惑が解らない。何を考えているんだ、というか何をトオナに吹き込むつもりか。
「だからもう決定。大丈夫、エンも男の子だしそれなりに鍛えてるだろうから。一晩くらい外に居た程度で風邪なんて引かないよ」
「それはどういう根拠から」
「昨日海辺で寝てた」
「今は夜だっ」
しかも山だ。この時期ここは結構冷えるぞ。
「うん、何もそのまま外に放り出す程鬼じゃないよ」
言いながら、エンは傍らの荷袋を何やら漁り、
「これ掛ければ暖は取れるからさ」
そう言って放り渡されたのは、深い緑色をした、少々大き目の外套。用意していたという事は確信犯じゃないか。
「丁度いいや。それエンにあげる」
それは、ここに帰って来た時に羽織っていた筈の外套。それ程汚れてはいないように見えるのに、どうして。
「昔ここから出る時に買ったんだけどね。そろそろ私には小さくなって来たかなって、だから新しいのを拵えようって思ってたんだ。大丈夫だよ、そんなに汚れてないし丈夫だから。ちゃんと使えば百年保つって触れ込みだったし」
百年も保つものを二年程度で手放す訳か。気前がいいな。
だけど最早、ここまで来ると逆らえそうにない。二人が結託しているのなら、もうここに味方は居ない。実力行使をされる前に、大人しく引くのが得策か。
「解ったよ。もし風邪を引いたら移してやるからな」
「やったら三倍返しだからな」
くそ、やれるものならやってみろ。行き着く所まで反撃してやる。
――という訳で天幕から追い出され。手には外套一つ。
夏の初めだ。寒くはない。けども、夜に野晒しか。
すぐそこに良い寝床があるというのに。なんだろうこの理不尽。まあいいけども。
――あぐわああああっ!!
「んなっ!」
謎の大声。なんだ今の、エン!?
――また負けたあああ……!
……なんの事だよ。