1 1-2 先生との“かつて”
先生は、私がどうやって生きるべきかを色々と教えてくれた。
幾つかの、外で生きていく為の心構えや、物を食べる手段、水分を探す手段。外で路銀を稼ぐ為に必要な事など。
その最中、先生は私の名を呼んでいた。アサカエ エン。先生が私をそう呼んでいたから、私はエンと言う名なのだと知った。
――そして「いつか逢いに来るといい」と先生はそう言って、何処とも知れず姿を消した。
その名前は、その先少しの間滞在する事になったこの町には、どこにも存在しなかった。
リーレイア・クアウル。私の探す、先生の名前。その名前が示す通りに、この東方の国の人間ではない。この国、ワヅチに生まれた人間ならば、姓が先に、名が後ろに付く筈だから。
だが先生はその逆、西方の国の人間だ。そちらでは、名が前に、姓が後ろに付くのだという。
ともかく、この国では珍しい名前ではあるが、どこをどう探しても見付からない。私の記憶にしかない名前となっている。
悲観する事はない。もう慣れた。まともに探しても先生は見付からない。そんな気がする。私は薄い望みを使って、理由のあるふりをして暇を潰しているに過ぎない。
それでも、会いたいという気持ちはある。なぜならば知りたいと思うべき事があるからだ。
「知りたいか――まあ次に逢ったなら、その時に教えてやろう」
何を教えてくれるのか、それを聞く前に先生は突然居なくなった。先生なのに教えてくれなかった。
だが今なら、その内容がなんとはなしに想像出来る。想像出来るが故に、先生が見付かる事はないと。実に確信めいた予感があった。
本当は、私はそれを知ろうとは思っていない。
自分の事を詳しく知ろうとは思わない。私が最初の日よりも前に何をしていたのか。どこに居たのか。誰と居たのか。記憶に存在していない事象を本気で知ろうと思った事が全くない。
だから先生は見付からない。私は先生が教えてくれる事を知りたくないと思っているから、逢った時に教えると言う約束が成り立つ筈などない。
だというのに私は行く先々で先生の姿を探している。
妙な、矛盾した事を私はしている。
私が先生を探す理由。
本当を言えば、それは単に、私が先生に逢いたいだけだ。
だって、世界で只一人、私の存在を認めてくれている人だもの。
私の存在を確認してくれる人を、先生以外に私は知らない。
他人というものは、今私が道を歩いている隣を、なんの関心も示さずにすれ違っていくものだ。
例えばそう。今私の隣をすれ違った一人の人。
なんの意味もなく、意義もなく、それは只、私の後ろへと歩いていく。
私はそれを人型であるとしか見ていなかった。
男なのか女なのか。若いのか老いているのか。どんな人種か。人柄は。性格は。名前は。
何一つ興味を思う事はなかった。
見えていても、考えない。
意識しなければ、それは私に興味など示さない。それに私も興味を示す事はない。もっと言えば、私がそう思う限り、“そいつ”は私の世には居ない。
それが私が私を知る、数少ない認識の一つ。
世界は、離れている。
幾つもの小さな世界、そのそれぞれが、ずっと遠い。
――只一つ知っている例外が先生だ。
先生は私に興味を持ってくれている。だからこそ私は先生をそう認識していたのだから。
だから思う。私は先生に逢いたい。
逢って先生と一緒に居たい。
それだけだ。だから私は無駄と知りつつ先生を探している。
でなければ、私が今生きている理由を、私は定義出来ない。
私が死んでいない事を定義出来る人は、先生しか居ないのだから。
だから、私はそれだけの為に今を生きている。生きたいと思う。そうして動き、旅をしているのだ。
――結局は、ここに居ないのだからよそに行くしかない。もしかしたら、この国全ての町を訪ね廻る事になるかも知れないが。
あの人に辿り着かないと私の生きている意味が見い出せないのだから、詮無い事だ。その為に、私はまた歩く。てくてく。くるくる。