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二重季節 -Alignment Minds  作者: 真代あと
マイナス一話目 季節前後 -Piece of Memory
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-1-3 アサカエ神社

 ――とある山と森との境にある、アサカエ神社。それが私達の住まう所。

 その母屋に隣接する、修練用の小さな道場にて。

 季節は夏の始まり、まだ本格的な暑さが訪れていない頃。風通しの良い道場内は実に快適な涼しさに満ちていた。

 足元を鍛えるという名目で素足で踏み締める道場の板張りの床は、冬場の厳しさとは真逆に、今は心地の良い涼しさを提供してくれる。居るだけならば夏場は快適。汗が篭るのは少しあれだけど。

 これが冬場の間は、まだ慣れている私達ならいいけど、一般人なら凍傷になるだろうと思われる程の冷たさを発してくれる。その分汗は掻かずに済むけど、そのいい所の両立は、残念ながらしてくれないようで。

 風通しの良さも冬には災いになる。只でさえ冷え込む道場が、隙間風のお陰で幾重にも寒さを増幅させてくれる。夏場のような奉仕の精神を是非とも冬にも提供して欲しいものだけど、相当な老体となったこの道場は私如き若造の言葉に耳を貸す事などないだろう。

 この神社の歴史は古い――と言えば古いし、浅いと言えば浅い。建てられたのはおよそ七百年前。神様の住処たる神社にしては新しいといったところ。

 だけどその知名度は殆どないに等しい。立地条件がアレなだけに、地元以外では存在すら知られていない。勿論、存在を隠している訳でもない。神社なんだから、信仰だって欲しい筈なのに。

 知られていない。ならば当然、ここの神様に畏敬の念を擁いてくれる参拝客もおらず、即ち客が落としてくれる賽銭などが生活の足しになる筈もなく。そもそもあるべき箱にそれが入っていたのを見た記憶は一年以上もない。

 故に。副業としてこのアサカエ家では代々独自で編み出して来た武術――刃位というものを、教えとして町の武術道場に提供している。そんな話をずっと昔に母さんから聞かされた記憶がある。本職では殆ど稼ぎにならなかった為だ。元々は、妖魔調伏を主とした秘技として伝えられていたものであり、表に出たのは今より数十年程前、私の祖母によるものと、神社の歴史からすれば最近の事らしい。

 アサカエ神社が世に知られていないのと同様、その技も別段有名という訳でもない筈なんだけど、その実は短刀術と、そして体術とを組み合わせ、それがかなり洗練された技術として伝えているらしい。実際に他の流派と比べた訳ではないから、その違いはよく解らないけど、他の流派の熟練した剣士がこの剣術を見切る為に遥々この地を訪れるという事も、さして珍しい事ではなかったりする。それが故かどうなのか解らないけど、こちらの方はそれなりに、あくまでもそれなりに稼ぎが出る程には繁盛していた。仮にも神職の息子としては、いささか複雑な心境ではある。本職で稼げよと。

 ……無理だろうけどな。

 そんな神社――道場に、年に一、二回程、遠方より試合を申し込んで来る他の剣士を、なんて暇な奴らだろうか、賽銭くらい置いて行けよ、などと思いながら、しかしそれをことごとく返り討ちにして来たのは、この道場の師範にして私達の父さん――アサカエ メイスケ。

 取り敢えず試合においては、他流派が相手でも無敗の強さであり、この辺りから町にまで、様々な所から頼りにされる短刀の主。

 ……の筈だったその父さんは、私達が道場に入った時から既に、何やらその道場の隅っこにしゃがみ込んでごそごそ蠢いていた。道着姿をしていて、腰元には短い木刀が差してあったから、準備万端――という事ではあるんだろうけど。

「……何やってるの父さん」

 その様子を見たエンが、半ば呆れ混じりの口調で蠢くものに声を掛ける。

「んあ? やっと来たかよ遅かったな。俺ぁ待ち遠しかったぞシエンよ」

「……取り敢えず、全然待ち遠しくしてそうには見えないんだけど」

「……私は」

「おう! 勿論お前もまあ、待ち遠しかったぜユエンよ」

 いい加減な事をのたまうこの父さん。

 その父さんの言ったシエンとは、今この場に居る唯一の女、即ち私がエンと呼ぶ、二歳年上の姉の名前だった。

 私の名前はユエン。姉の名前はシエン。この後ろだけを取って互いをエンと呼ぶ。これは他人が聞くならややこしい。でもそれだけの事。私達が呼ぶ分には何も不便な事なんてない。自分を指していないんだから、相手を呼んでいるという事に決まっているからだ。……でもそう呼び出した切っ掛けは、子供ながらの悪戯心だったと思う。二人だけの秘密の合言葉みたいで。みんなが戸惑う反応を面白がっていた記憶もある。今となってはつまらない切っ掛けなんだけど。だけど、それは今も続いている。

「まあいいわ、まず質問に答えてよ。それ何? 何やってんの」

「ああ、不躾だが答えてやるぜ。こいつがな、なかなか頑固でな……取れねえんだぜ」

 その手に持つのは白い雑巾。傍らには水を張っているブリキのバケツ。その二つと共に、一所懸命に、壁に付いていたわずかな染みと格闘していた。

「お前らを待ってる間な、やる事なかったんだよ。男二人でなんやら語り合うってのもどうなんだよって思うだろ? 親父がそんな趣味だったらやだろ? 俺も嫌だ。ハトリも境内の掃除中だったしな。要するに暇なんだよ。だが、幸か不幸か、見付けちまったんだ、こいつをな……俺は我慢出来なかった。そんだけだ」

 やけに満足そうに語り終え、また染みに向かって、ごしごしとやる。

 ……巷では無敗の刀士で通っているけど、現実はこんなもの。実際見るといい加減そうなのに、意外と細かく、所帯じみている、一度気になる物事を発見すると、解決するまで付きっ切り。豪快なくせに頑固で意地が張っている。というのがこの近隣におけるアサカエ メイスケの常識だった。

「ああシエンさん。来てたんですね」

 その時、着替え室の入口から声がした。父さんと同じ道着姿の、細い目をして微笑みの似合う見た目優男。町の道場でなく、わざわざ我が神社にまで来て、我が武術を習う唯一の門下生。

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