1 1-35 先生?
「私に、違和感があるか?」
思っていた事を、口に出された。それらしい仕草は見せてはいない筈なんだが。
「お前の思考程度、読むのは簡単だ。姿か思考か、その辺りはどうでもいいがね」
答えるつもりはないのだろうか。どうも言い回しが難解で、単純な“そうだ”か“そうではない”かが、はっきりとは解らない。
「……先生は、本当に“先生”なんですか」
「それはある意味正しく、ある意味間違いだ」
またはっきりしない答えが。
「それは、どういう――」
「答えとしては正しい。意味は自分で考えろ」
先生が、歩んで来る。――いや、私を通り過ぎて、奥へと行こうとしていた。
「先生!」
「お前はここまで辿り着いた。故に私が現れたんだ。迷いの精霊に会う為にな」
「な――」
それは、なんだ。先生には、私と会う事とは別の目的があってこうしてここに居るという事なのか。
「……先生は、私を利用したんですか」
「利害の一致、と言うんだよそれは」
「なんの為に、そんな」
「お前も利用したんだろう? 精霊の“迷い”を。同じ事だよ。私も同じ事をする為にここに来た」
「先生!」
呼び止める。その勢いで叫んだ。それが通じたのかどうか、先生は歩みを止め、私に振り返る。
「――言っておくが、私の邪魔はしてくれるなよ。お前は確かに私の弟子だが、この件に関しては師も弟子もない、全くの別件だ」
……これは、多分駄目な事だ。先生が何を企んで動いていたのか知らないが、この感じ、止めておかないと良くない気がする。
だがどうする。この場を上手く収めるには、私はどう動けばいい。
恐らく先生は本気だ。私との出会いよりも、レシラントの事を上に置いている。
――それが只で収まるか? いや、そうは思えない。レシラントを使って、迷いの能力を使って、何かをやらかすつもりでいるんだ。
だから――。
「――レシラント」
呟くように、その名を呼ぶ。
(なんでしょう)
頭の中に、ささやくような声が聞こえた。
「森を閉ざせ」
(はい?)
「嫌な感じだ。先生を、奥に行かせるな」
これは直感だ。レシラントを、先生と会わせるのはまずい。
(はい。解りました)
……森の雰囲気が変わる。それはいつも、私が森の奥地に行くような感じでなく、
その奥地への道を、完全に閉ざしたが故の変化だ。
「……なんのつもりだ?」
先生が空気を感じ取ったのか、私の方を向く。睨み付けるように。
「っ……まだ、」
「あ?」
「肝心な事を、聞けていないからです」
「ほう? 私の邪魔をしてまで聞きたいか」
「はい」
今からの質問に、確証がある訳ではなかった。
「術符を、」
――只、そんな事をする人間なんて、また技量のある法術師なんて、この人くらいしか、
「ばら撒いたのは、先生ですか?」
ふ――と先生の顔に、笑みが見えた。
「そうだ、と言ったら?」
それは、認めたに等しい答えだった。
「なんの、為に」
「お前の行く道にそれをばら撒いたのは、ユエンの覚醒を見越しての事だ。確実性があった訳ではない。引鉄となる可能性の一つだな」
――冗談。その為に、多くの人が傷付いたりした。不幸になった人間だって居たんだ。それを私の為と言うのは、あまりにも――。
「話は終わりか? なら私は行くぞ。お前に構う暇は、今にはない」
冷たい言い方。そう、人に興味を抱かないでいる、その時の口調だ。
「っ……どうして、迷いを?」
少し、先生の足が立ち止まる。
「答える理由はないな。私にだって、密かに得たいと思うものは幾らかある」
「その為に、私を?」
「誰だって、理由もなく遠回りをしたいとは思うまい」
……やはり、先生は私を利用していたのか。
多分、私は先生を止められない。先生は止まらない。
ならば、私に出来る事は――。
「――レシラント」
もう一度、呟くようにその名を呼ぶ。
(はい)
「あの人を迷わせろ。どれ程強くてもいい」
(いいんですか)
「あの人の目的はお前だ。ケイニヒとも会えなくなるかも知れんぞ」
(あ……)
「それでもいいのか」
(それは、嫌です)
そこまで言って、ようやくレシラントが動いた。
直後、先生が頭を押さえうずくまる。
「う……く」
先生がうめく。レシラントの迷いが効いているんだ。
「……成程、これが」
そう、このまま引き下がってくれるのならば、それで――。
「迷いか」
すっと、先生が立ち上がる。
なぜだ。レシラントの力が効かない筈は。
「っ――レシラント?」
(はい、おかしいです。迷わせる事が、出来ません)
何が、起きた?
「迷いの力は手に入れた。礼を言うぞ、不肖の弟子よ」
手に、入れた。先生はそう言った。だがそんな事がどうやって。
「術を受ける事でその能力を得る。西方の言葉でラーニングとも言うんだがね」
……最初から、これが目的だったと?
私に、そう動くように誘導して、レシラントの力を――。
「利用、したんだと?」
「ああ。半端な力など手に入れても仕方がないんでね。確かめてみるか?」
先生がすっと右手を上げた。
途端、頭にふらつきが来た。なんだ。何か解らんが、これはまずい。
「礼の一つだ。もう少しお前の記憶に迷いをやろう」
「う、あ――」
頭が狂う。頭の中で迷いがぐちゃぐちゃに混ざって、
……気付いた時には、地面にうつ伏せに。
「――させません」
レシラントの声がした。無理だ、精霊といっても、今の先生に勝てるとは、
「ほう、ようやく姿を見せたか。精霊よ」
「エンさんに、苦しい思いをさせる訳には」
「そんな身でそいつをかばうか。献身的だな」
まずい。レシラントには戦う力なんてない筈。出て来たところで、何も――。
「逃げろ、レシラント」
「ですが」
レシラントに出来る事なんてない。先生にはもう迷いも効かないだろう。戦力にならない奴が居ても、どうにもならない。
私が、どうにかしなければ。
「くそ……」
腕で、地面から体を押し上げる。
迷いで、まだ頭がふらふらする。だがここで立たなければ、もっと悪い事になりそうで。
「案ずるな。別に誰に危害を加えに来た訳でもない」
そんな事を、先生は言う。ふざけている、現に私に攻撃を加えているではないか。
「目的は達した。あとはさっさと帰ってやるさ」
先生が、背を向ける。本当、迷いの力を手に入れる事だけが目的だったように。
「ではな馬鹿弟子。いずれまた会おう」
そのまま、先生は去っていく。私に向けられた迷いも、すっかり消えていた。
「大丈夫ですか、エンさん」
レシラントが、私を気遣うように声を掛ける。
「……ああ」
立ち上がる。先生の姿はもう見えず、だが私はその居なくなった先をずっと見ていた。
「あの人は」
「んあ?」
「迷いを手に入れて、何をするんでしょう」
……そんなもの、訊かれたところで解る訳もない。
「さてな。あの人が何をするかなんて解らん」
思った事を、大体そのままで声にする。
先生は、どこに行くのか。何をするか。一つ、確かな事は私を利用したという事。
本当――先生は“どちら”なんだろうか。私としては、信じたい気持ちはあるんだが。
“いずれまた会おう”。
言葉通り、いずれまた会えたら、答えは解るのだろうか。