1 1-33 -Memory of She
異物が入る。
薄い肉を裂いて、骨を抜けて、それが届くのが解る。
嫌な違和感。だけどそれもすぐに終わる。それも解った。
もう止められない。
ここから何を抗っても、最後が変わる事なんてない。
これが私の最期だと。
ある、筈がない。
終わると解っているのに、私はもう一つ抵抗した。
貫くつもりならそれでもいい。終わる事も、最早抵抗はない。エンが私をどう思っているか、それも今更だ。今の結果が語っている。
抵抗したのは、只一つの理由。
エンの姿が。
エンの眼が。
エンの声が。
エンの意志が。
……私を殺す事。
赦せなかった。
私のエンが私を殺す事が。
私のエンが穢される事が。
だから私は。
只、笑った。
もう一度、
“昔”のように笑い掛けた。
この一度だけ。
“じりじり”
全部が、朱い。
空が。雲が。“じりじり”雨が。顔が髪が刃が朱“じりじり”、朱、朱、
“じりじり”、朱朱朱――。
――“じりじり”
・
―――
「でも、やっぱり君もおかしくなりそうだね」
それはいつの話だったか。
「一つ、予言してあげる」
只、夢だと思っていた。
だって実際夢で、目が覚めた時は現実だったから。
「君はいずれ、二つのものを消す」
いや、今もそれを夢だと思っている。理屈なしに。そう思える程に夢のような夢。
「今は望んでいなくても、君は必ずそれを望む」
なのに、あの子が笑顔のまま言った言葉は、
「笑いながら、喜んで、狂い愛するように二つのものを消し去るんだ」
溶け込むように、私の髄から離れない――。
・
――そうだった。
私は“それ”を、殺して良かった。
本当に今更、気付いた。
私の手で、潰して良かった。
私の手で、消して良かった。
私は“それ”を、なかったものにして良かった。
――そうしたいと思っていた。
「っはは……はは、っは――――――」
なんて――笑える事か。
こんな事に今更気付くとは。
いや違う。気付かないようにしていただけ。
消していい事に気付いてしまえば、本当に私も消えてしまう。
私は、エンによって、今まで生かされていたのだから。
それがなくなれば、今の私の理由もなくなる。
本当――なんて矛盾か。
消える事が、私の、エンの結末。
私がどちらを選ぼうとも、終わる事は決定している。
“エン”が消えれば、“エン”も消える。それが私達の、当たり前な終わり。
いつか、聞いたあの子の予言は、これ以上ない程、大当たりだ。
いずれ消し去る、二つのもの。それと、これ。
……なら、不公平だ。
エンが私を消すつもりなら。
私もエンを消す権利はある。
それを行使する権利は……今の私にも、ある筈だ。
エンにばかりさせては、悪いから。
“じりじりじり”また煩い。
私の胸を貫く刃。
折角だ、これを使わせて貰おう。
消える私を通じて、エンも一緒に、消えて貰う。
どうせ結果が同じなら。
その幕引きくらいは、私にさせて欲しかった。
だって私も今。
エンと同じように。
狂ってしまう程、それを愛しいと思っていた。
“じじじじじじ――”
・
私のそれが、エンに伝わる。
それと共に、エンの体もびくんと揺らいだ。
私に覆い被さって。
私を見たまま、
“エン”も消えてゆく。
……もしかすると、
その時私は泣いていた。
でも降り注ぐ赤い雨は、
私が泣いている事さえ覆い隠して。
……エンが泣いていたように見えた事さえ曖昧にして。
私の顔に掛かるその雫。地面を叩く赤の雫。
その全てが私達の涙の代わりで。
それが私達の気持ちを代弁してくれているのなら。
一緒になって泣いている事が、
とても嬉しかった。
エン。
エンは今。
笑っているか。
泣いているか。
私もそう、同じだ。
エンと同じ。
笑って、泣いている。
嬉しいのに。
二年ぶりに、一つになれたのに。
楽しい事は、あっという間に過ぎ去っていく。
それを振り返って、悲しいと思う事さえ、しばらくあとには過ぎた事になってしまう。
それはまるで、祭りのあとのよう。
終わってしまったそれは、寂しいなんてものではない。
楽しい事が消えたあとには――、
“じ――――――”
ああ、これは、虚しさだけしか残っていない。
・
今日と明日。その繰り返しが、ずっと続くと思っていた。
唐突にぶち壊されたそれを、エンは絶対に認めなかった。
――エンは目を逸らした。
目の前でなくなった時、今を認めなくなった。
……認めたかった、トオナでさえ――。
私を現す、私の記憶。
それを見た事で、私は自覚した。
消された私は、
まだ消えてはいない。
私は私の揺らぎを以て、私の矛盾さえも消してしまった。
消えるべき私は、消える事さえ望まれていない。
私の望みとは、何もかも違っていた。
あの時から、エンが家を出たあの時から。
私達は全て、何かに狂わされていたように思う。
それはまだ終わっていない。
まだ、狂った私が生きている。
“エン”の名を持つ私が。
いや、生きていると言うのは、正しいのかどうか解らない。
私はあの時、確かに殺されていた。“エン”によって殺された。
それでも私はここに居る。確かに意識を持っている。
息も吸えるし、水も飲める。食事は――抵抗があるのは確かだが、ちゃんと食べられる。
――左手を確かめる。指が、ちゃんと五つあった。
……生きていた。エンは生きていて、ユエンは居なくて、シエンも、居なくなっていた。
“――じりじりじり”
また。
気を抜くと、また煩い音が聞こえる。