1 1-25 彼の眠る地
相変わらず、森の中は奇妙な感覚を覚えたままで。前を進む精霊という道標がなければすぐにでも迷ってしまうと思える所だが。まるで酒でも呑みながら歩いているような――。
「これが、ケイニヒです」
レシラントの声に、ぼんやりとした意識が覚醒する。
「あ? ああ……」
「大丈夫、でしょうか」
精霊に心配される、人間の図。
「ああ。それで、ケイニヒとやらは?」
そう、それが本来の目的。だが見回してもそれらしいものは――。
「この木の、根元に眠っています」
レシラントが指を差す。木の陰になっている所。そこに、
「……こいつか」
白骨死体、とかでなく。完全な人の形をしたままで、それは木の根元に足を広げて座り込んでいた。目は閉じられているから、死んでいるのか眠っているのか、判断も難しく見える。息もしていないように見える。
西方服を着たままの、男のようだ。腐ってもいない。目の前にしゃがみ込んで調べてみるが、腐臭すらもして来なかった。それどころか、生き物の匂いがしなかった。
これは、人間のようでいて、人間ではない。
「機械人形か」
それは一部の法術師が作れるという、人間そっくりの人形。自分で判断する能力を持って、動力がある限り動く事も出来る。だが、生き物として土に還ったりはしない。普通の子が遊ぶような人形と同じ。故に今までそのままの形で残っているのだろう。
――成程。だから人間なら、か。人間にしか作れない、疑似の命を持つもの。しかしこんな精巧な機械人形、そうそうあるものではないぞ。
「……治せ、ますか?」
心なしか、レシラントの声が不安そうなものに聞こえた。
「そう、だな……」
出来ない事はない。詳しい資料と、材料が調達出来れば、
「直せるかも知れない」
それが人間ではない故に。本来命を持たないもの故に、人の力でまた命を吹き込めるかも知れない。
「お願い、出来ますか」
ってちょっと待て。私は専門家ではない。安請け合いしても直せる保障なんてないぞ。
なら、誰かを連れて来る?
……誰を?
専門家の知り合いなんて居ない。仮に詳しい奴が見付かったとして、こんな怪しい場所に来てくれる?
ねえよなそんなの。
ならば自分で。こいつを直すのに必要な部品など調べて、それを間違いなくくっ付けて動かせるようにする、と。
難しいなあ。無理とは言わんが専門外だ。だが精霊に頼み事なんてされるのは滅多にない事ではあるし。上手くいけば報酬――金とか物でなく、概念的な報酬とかも期待出来たり。
「……解った。私なりに最善は尽くしてやるが」
「ありがとうございます」
深く深く、レシラントは頭を下げた。
「だが。私も人間だ。対価として何か欲しいものだが」
「対価、ですか?」
下げた頭を戻し、首を傾げる。
「報酬だ。只働きはしないのが人間だからな。それにこいつを直すのにも金が掛かる」
「ほうしゅう、ですか」
……しばし、レシラントは考え込む。
「……貴方には、迷いがあります」
「迷い?」
そりゃあ人間なんだから、あるにはある。というか今も道に迷っている最中だ。いや、迷わされて、と言った方が正しいか。
「私は、人に迷いを与える事が出来ます」
「そうしたら余計に迷わないか?」
というか、今迷っているのはこいつのせいではないのか? 迷わせた挙句に私をこんな所に連れて来たんだと。
あり得る話だ。
「迷いを打ち消す迷いです。今ある迷いに別の迷いを加える事で、迷いを違うものに変える事が出来ます」
……なんの事やら。
「つまりどうなる?」
問い掛けに、レシラントは少し思考する。……何か馬鹿にされている気がしないでもない気がするのは、気のせいか。どう説明すれば解るのか、と。
「……、迷っている事が、なくなります」
成程。迷いを打ち消すというのなら、迷いはなくなるよな。単純過ぎる理屈だ。
だがしかし。
面白そうだ。
迷いがなくなるという報酬。色々と行き詰まっている身としては、これもまた巡り合わせのように思う。
「いいだろう。その依頼、引き受けた」
「ありがとうございます」
レシラントが、深々と頭を下げた。
・
だが、取り敢えずこの森の中だけでなんとかする事は無理だ。どう考えても、単純でいいから設計図のようなものと、動かなくなった原因の部品は必須だろう。
さてではどうするか。森の中で修理なんて出来ようがないし、ならば森の外にケイニヒを連れ出すしかない訳だが。
……レシラントが納得してくれるかなあ。
いやどのみち外に出られねばどうにもならない。それを説明した上で、レシラントに納得して貰わねば。
第一どこが壊れてどうなって動かなくなったのか、専門的な部分がまるで解らないのだ。
やはりこのケイニヒさん、どうにかして外に連れ出した方が早い気がする。専門家――というのならば、やはり人形系の法術師に当たるのがいいのだろうか。
……寺院に居るのかね? そんな協力的な専門家が。だがまあ探さねば。駄目元であってもな。
――という訳で、説得を。
「ここで直すのは無理だぞ」
「そうなんですか?」
「そうなんです」
「……どこでなら治せるんでしょう」
「取り敢えず森の外だ。でなくばケイニヒは何年経ってもこのままだぞ」
レシラントは考え込む。ケイニヒの方をちらちらと見ながら。
「ケイニヒと、離れる事になるんですか」
「少しの間だけだ。直せたら二人で戻って来るよ」
「でも、ケイニヒは歩いてくれませんよ」
「そりゃあ――」
と、よくよく考えてみると、こいつを連れ出すという事は、人を引きずって外を歩くという事と同じではないか。体格は私と同じ程度に見えるとはいえ。
死体ではないが、死体に等しい機械人形。
……絶対に問題事になるよな。傍目から見られた際には。
いつかのツヅカ サキの時のようにはいくまい。あの時は雨で暗かったし、一応あの時本人には意識があって、体を支えながらだが歩いていた。
つまりは生きていた人を運んでいた訳で。
今回はそうではない。意識的にも身体的にも、人形として死んでいる訳で――。
結局、手間を掛けて森で直すか、危険を冒して外で直すか、二択しかない事に気付く。
……無理ではないのかねこれは。
「……予定変更だな」
「はい?」
「ケイニヒはここで治療する。時間は掛かるだろうが」
まあ、時間はたっぷりとあるし、報酬も魅力的ではあるし。
「それで、いいのですか」
「ああ、だが――」
問題は、ここでどうやって治療するのか。
一番いいのは機械人形に詳しい法術師をここに連れ込む事なんだが。
ケイニヒを直せる法術師か。……あてがないんだよなあ。
……いや、ない事はないか。以前にそれっぽい連中と会った事がある。ルア・カンパーズとリア・カンパーズ。とある町の、寺院の長を任されていた機械人形。
本人が機械人形なんだから、そりゃあ構造に詳しい筈。というかそれしか頼れるものがない。
「やむを得ん、か」
「何が、ですか?」
私の独り言に、レシラントが訊いて来る。
「どのみち一旦は外に出ねばならん、という事だ」
「……外にですか?」
「あいにく今の私は、ケイニヒを直す手段を持っていない。故にだ、外に出て直す手段を探さねばならん訳だが」
「はい」
「外に出るには、お前の“迷い”を解いて貰わねばならん。でなくばケイニヒを直すも何も出来んからな」
「……、そう、ですね。解りました」
「戻って来たら声を掛ける。その時にはケイニヒの所に連れていってくれればいい」
「はい」
「では頼むぞ。またな」
一時の、別れの挨拶。そしてレシラントが、“迷い”の効果を解除する。青白く色褪せた森が、只の緑に覆われた空間に戻っていた。
「――さて、行くかね」
森の出口に向かって歩き出す。レシラントの気配は、もう感じなかった。