1 E3-2 アサカエさん家の
――アサカエ ユエンの朝は遅い。
……。
……。
……むくり。
……。
と、身を起こす以外、なんの動作もないままに朝が始まる。
そしてぼけっとしたまま、眼も殆ど開けないままにゆっくり部屋を出て行く。
……。
「あ、おはようございます、ユエン」
「おう、おはようなユエンよ」
……。
と、居間に居た両親の挨拶にもなんの反応もなく、ほぼ眠ったままの頭で、ふらふらと食卓――ちゃぶ台の前にまで行く。そして畳の上にすとんと正座をする。
「はい、ご飯ですよ」
と、母がユエンの前にほかほかのご飯の入った椀と味噌汁、おかずの焼き魚を置く。
「……、あ」
朝餉の香りに、ユエンの意識が反応し。
「おはようございます、ユエン」
「おう、起きたかよユエン」
と、そこで睡眠欲が食欲に切り替わり、ユエンの一日はそこから始まる。
「む、うん。おはよう父さん、母さん」
両親も慣れたものだった。眠気が残る中、細い眼をしてうつらうつらと歩き回るユエンの姿を見て、「今日もおげんきですね」と声を掛ける母も相当ではあるが。
――ユエンは一日の殆ど、眠気が頭のどこかにある。効率が悪い。不便なものだと思いながらも、眠いものは眠いのだ、と、ユエンはどこに居ても寝られるという技能を会得している。
だが、寺院通いとなって、万年寝太郎となっている訳にもいかなくなった。時間厳守の機会が増えてしまったからだ。
そこでユエンは、西方の国から伝えられた、とある新しい話を切っ掛けとして、新たな技能を編み出すに至った。
――曰く、
人間の脳とは、右脳と左脳、二つに分かれている。
曰く、
人間の脳とは、普段はその殆どが働いていない。
――ならば、
その片方を強く働かせ、
その片方を眠らせれば、
なんと起きながらにして睡眠を取る事が出来るのだ!
無茶な理屈ではある。
しかし、成せば成るのだと、半ば強引な思い込みによって、意識的に会得したのだ。
片目を閉じ、片目を開いている。
寺院にて、講義を受けている最中、そうしたユエンの顔を見る事は珍しくない。それは、只今半分眠っているという、紛れもない証拠でもある。
だが講師は何も咎めない。なぜなら確かに起きているのだ。呼べば応えるし、講義の内容も憶えている。少しおかしい、と思っても、咎める理由がどこにもない。
だが当人の感覚では、その時間確かに眠ってもいる。反応出来る。記憶出来る。だがその効率は、通常起きている時に比べると低くなる。効率は良くない、しかし眠気には勝てない。というか眠気と戦うつもりがない。
そんなユエンだが、成績はそれなりを遥かに越えて良い。確固たる目標が、彼のすぐ身近にあったからだ。まあそれがなければ、とっくに降参して随時眠っている事は想像に難くはないが。
そうして眠気と戦いながら、ユエンは直接の師であるリーレイア・クアウルの有する工房へと赴く。この部屋こそが、ユエンの寺院における拠点であった。
からからと、戸を引き開く。
「こんにちは、先生」
部屋の奥にある、広く立派な机と、豪華でふかふかの椅子。
その椅子に陣取り本を読んでいるリーレイア・クアウル女史は、弟子であるユエンが工房に入っても気にも留めない。ぺらり、と本のページをめくる音だけが、ユエンに対する応えであるように思えた。
勿論、ユエンの方も慣れたもので、一応挨拶はしたのだから、問題なしと工房に入る。これでも一応、法術師の陣地。故にリーレイアの許しを得ている、或いは認められた者しか、この工房に入る事は出来ない。そのように作られている。
「……よう、ユエン」
ぶっきらぼうに声を発する女の姿一つ。
ここにはもう一人女の子が居る。ほぼ同い年の、一応は先輩にあたる女の子。その名をイクヤ シズホという。
椅子に座る師とは逆に、ぺたんと畳の上に座り込んで、本を読んでいたその少女に、
「ああ、ようシズホ」
ユエンもまた、似せた感じの挨拶を返す。
「先生、また本の虫状態か」
その言葉は非常に的確なものだった。本を読んでいる間の彼女は、外の刺激に殆ど興味を示さない。視界を遮るなどすれば別だが、そんな事、誰でも普通に怒るに違いない。
「……いつもの事」
ユエンよりもこの状況をよく知っているシズホもまた、これをどうしようもない事と割り切っていた。
「……まあいいか」
楽観する。これもまたいつもの通りの事だ。特別な事でもなんでもない。只自分の学ぶべき事を淡々と行う、それだけだ。