1 E2-3 外へと飛び立つ女の子
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――私は守りたい。
神社の子として生きて来た私は、巫女になればなんでも出来ると思っていた。
実際強かったもの。神職としての適性で言えば、二つ年下の弟は置いてけぼり。それにあの子も、お婆の血を引いているだけあって、適正は強いけど、まだまだ。私はおねーさんなんだから、弟と、あの子と、家族と、神社と、山の全てを守りたいと思った。昔、実際にそうしていた巫女が居たのを知っていたからだ。
あの日、私は山に向かった。山神様に勅命を頂く為に。アサカエの巫女になる為に。
一生をアサカエに捧げる。それしか道はないと思っていたし。それが目的で行ったんだ。
そうすれば、全部守れる。私の傍の、私の世界を。
望みが叶う時だった。
だけど山神様は言った。
――巫女になってどうするのだ? と。
……嫌な響きがした。思っていたのと少し違う感じ。
私は答えた。
守りたいものを全て、守るんだ。と。
それは絶対。私の全部の前提だ。ここに来たのはその為だ。山神様と今向かい合っているのもそうだ。
――三日間の中で、山神様はいろんな事を教えてくれたけど。
只一つ、最も重要な一語を抜き出すとすれば、
――巫女になって守れるのは、巫女で出来る事だけしかないぞ? と。
……成程足りない。
今までの世界が崩れたみたいなこの頭で、それだけしっかりと思った。
私の知っている巫女で守れるのは、私の知っていた世界の中だけしか通用しない。
そして一度巫女になれば、あとはもうその道しかない。死ぬまでその道を、アサカエの巫女を続けるしかない。なぜならそれは、言うなら神様との契約と同じなんだから。それを反故にする事は、一度なったら死ぬまで――或いは代替わりが生まれるまで出来ない。
……私は、
あの子達の知らないものからも、守りたいんだ。
弟は私に憧れている。神職の道を突き進めば、いずれ私に追い付くだろう。
あの子はお婆に憧れている。あの子は多分知らない。巫女をやっていたお婆は、山の者達からは“反則”と呼ばれていた程の力があった事を。
弟は宮司に。
あの子は巫女に。
私が留まっている理由なんてないな。
「じゃあやあめた」
そう言って、私は山神様の元を去った。
根本的なものが変わった訳じゃない。根っこにある意志に変わりはない。
只それを成す為には、今のまま巫女になったんじゃあ全然足りない。
巫女は巫女という一つ。いろんなものはいろんなものというたくさん。
ほら全然足りない。
反則ではない私は、変則でなければその域には行けない。“巫女で全部を守れる”のは、お婆くらいなものだ。
よく知らないものはたくさんある。法術も、魔術も、他の世界も、……狂気病の事も。
全部を知ってやる。
その全部から、私の世界を守る。
それが、山神様の元を離れた理由だと思う。
裏切りなのかも知れない。だけれども裏切ったという思いは微塵もない。
この思いは変わらないし、後悔ももうしない。
最初から意志は決まっている。
神様を困らせてしまったけれど、少しばかりすれば、あの子が行く。
その時、私の分まで少しでもひいきにして貰えればいい。
――間違いはない筈。
アサカエの力を扱うなら、アサカエの者であるのが一番なのは当然の事。アサカエ ユエンがサヅキノ トオナよりも上手く力を使えるのは当然の事。
――だけどもしかし。
トオナもまた、あの反則の孫だ。
反則には及ばない。当然だ。あれは血筋とかでどうなるというものではない。そんな次元に居る者ではない。多分神話に語られる程の神様辺りが間違って憑いてしまった、とか。そんな無茶苦茶な存在が、反則と呼ばれる所以のあの人だ。
……だけどトオナも。トンビが鷹を、くらいの逸材だったりする。“人の範疇で”とんでもない才能が眠っている。私が、トオナに法術を学ぶ事を諦めるように言ったのも、法術発現の失敗、適性がないからという理由ではなく、大きな力の暴発を恐れたからだ。
それは、いずれあの子を傷付けるだろう。
傷付いては、欲しくない。
だから、あの子には巫女として。それを目指して突っ走ればいいと言った。
道は間違っていない。
あの子のお婆も、アサカエの巫女だったんだから。やろうと思えば、出来る筈。
私は、
私の生きる、関わりのある全てを守る為に動こう。
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「足りないからですよ」
「足りない?」
「はい。私はまだまだ未熟です。知識が足りないままで巫女に縛られたくはなかったんです」
「だから法術師になったと?」
「それも途中です。巫女としての務めも、法術師としての知識も、それだけでは全然足りないんですよ」
茶をすする。一つ間を置いて。
「だから世を見て回ろうと思いました。世界にはまだまだ未知の力がありそうですから。“先生ならば”ご存じなのでは?」
――その言葉に、先生はにやりと、口端をつり上げた。
「成程。お前は世の中にある力全てを取り込もうと言うのだな」
「端的に言えばそうですね」
「だが覚悟はしておけ。溜め込み過ぎた知識は、いずれお前自身に牙を剥くとな」
「それも覚悟の上です。不完全なままでいるよりは」
先生が、少しぬるくなった紅茶をすすり飲む。その間は、そして鋭い目線は、私との距離を測っているように思えて。
「ふん。弟子の分際で、私が与えた知識すら足りないものと言うとはな」
「感謝はしていますよ。法術師としての知識は、私に充分な力として生きるものと思いますから」
「また心にもない事を」
「いずれエン――いえ、ユエンも私を追っていこうとするでしょう。その時には、先生に是非お力添えをお願いしたいですね」
「それはそれは、是非とも断ると言いたいが……言うからにはそうさせまいとするように動いているんだろうね、お前は」
「ええ。先生は“お願いを聞いてくれる”ものと信じていますので」
「くだらん」
先生が卓の椅子から立ち上がる。それもそう、先生は私の思い通りに動く事が腹立たしいんだろう。
「いいだろう。代わりにお前は破門だ。望み通り世界をさまよっているがいい」
「そうさせて貰います。先生との付き合いは、このお茶を飲み干すまでで」
西方湯呑――カップの中身は半分程度残っている。ぬるくなっているこの紅茶の量が、この工房に居られる制限時間だ。くだらなかろうが、面白くないだろうが、私は私が望むまで手段を選ぶ事はしないんだから。
……だけど。
心持ちは、少し感傷的な感じだった。なんであれ、どんな形であれ、
……別れとは、まあ嫌なものだった。
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