1 E2-1 誓う為の刃
「はあ……」
それは、ずっと昔の事。
「また負けた……」
私は、私に最も近しい師のような人に、また一度も剣を当てる事が出来なかった。
「まだまだだねえ、エン」
二つの年しか離れていない姉の言葉。
それがそのまま現実を語っていた。
「強過ぎるんだよエンは」
「何言ってんの。手を抜いてたらあんたが強くなれないでしょ」
それはもっともな話だけど。一方的な状況ばかりというのも面白くない。
「そうだエン。もし私に勝てたら、なんでも一つ言う事聞いてあげるよ」
エンが、さも面白そうにそんな提案をする。
悔しかった。
「本当?」
守って欲しいと、思わせたかった。
「うん」
私が必要だと、思わせたかった。
「勝てたら、ね」
だから。
「だったら……」
私は、それを望んだ。
その本当の意味を知りもせずに。
・
「稽古は終わったかの」
神社の母屋に隣接する、道場の入口からひょっこりとトオナが顔を覗かせた。
「ありゃトオナ。大丈夫だよー今終わったところだからさ」
エンが、刃の短い木刀を置き場に戻す。つまりはここで手仕舞いとするんだと。
だけど私は、まだ幼く、納得のいかない思いに囚われて不貞腐れていたんだ。
「また仏頂面をしおって。どうせまたシエンに届かなかったとか、そういう事なのかの」
「喧しい。その通りだから余計に喧しい」
耳が痛いというやつだ。遠慮なく言うものだから、余計に私の心をえぐるような気がした。それが余計に私の機嫌を悪くさせる。
「まったく……ほんにお主は虚けよの」
「……言いたい事があるなら言ったらどうだ」
「はっきりと言ってもいいのかの」
トオナが、ちらりとエンの方を見やる。エンは只、一つうんと頷いて。
「いいんじゃない? お灸をすえてやるのも幼馴染の役目ってね」
エンが笑みを浮かべながら、そしてこの先トオナのお小言を聞かないといけない事が予想出来る為に、更に気が滅入る。
「シエンはお主の二年先を行っておるのだぞ。当然剣の技も二年先におる筈だ。
今のお主が勝てぬのも詮無い事ではないのかの」
「……ならどうすればいい」
このままだと永遠に勝てないんじゃないか。二年をいつまでも追い駆けて行ったところで、エンはずっと二年先から動かない筈じゃないか。
「こだわり過ぎなのだお主は。物事柔軟に考えねば、いつまで経っても同じ結果となるが道理ぞ」
「喧しい。解り切っている事をいちいち言わんでもいいだろうが」
「儂は何も悪い事は言っておらぬぞ。お主が意固地になるものだからの」
「煩い! もう聞かないぞお小言なら」
「……っ」
大声に、トオナが押し黙ってしまう。言ってしまって、しまったという思いが心の中に少しだけど生まれてしまう。
「な、ならば勝手にするがよいわ。虚け者め」
それだけ言って、トオナは道場を去ってしまった。
「あちゃーだね、まったく」
エンが、それだけ言ってトオナの行ってしまった出口を見やっていた。
「本当負けず嫌いだねあんたも。トオナの言った通りだわ」
「エンまであいつの肩を持つか」
嫌なものは嫌だと、はっきり言ったまでの事だ。大声を出したのは、流石に悪い事と思ったけど。
「はっきり言うけど」
「なんだよ」
「あんたが悪い」
「どうして!」
「解らないのが悪い」
即答するか。
「本当に解らないんだから非はないだろう!」
「うっわ……」
何やら、軽蔑の眼で見られている気が――。
「最っ低」
言っちゃうのか。
「とはいえ免疫ないもんねあんた。私が忙しかった間もそのままって事?」
「そのままって。私は私なりに頑張って」
「そこよそこ」
何がだ。エンの言う事に、指標がどこにあるのか解らない。
「あんたは稽古にかまけ過ぎって事」
「悪いのか」
「悪い」
また、当然のように即答。
「……っ」
流石に言葉は出なかった。
どうしてと聞けば、また同じ事の繰り返しになる。だろう。
「助言、お仕舞い」
話は終わり――と言うようにエンも立ち去っていく。
あとは、自分で思い至れ、という事か。
「……考えてみる」
去る背中に、それだけ言えた。
「うん、穴空いてぼろぼろになるまで考えなさい」
顔を半分こちらに向けて、それだけ言ってエンは道場を出た。
……納得行くまで考えてやる。
いらいらしていた。本当に。ここに居た全部にもそうだけど、一番いらついたのは自分自身の心持ちの方だった。
・
――海の見える小高い丘。それ以外は特になんの変哲もない場所だけど、ここは私達三人が見付けた、いわゆる秘密基地というものだ。
そこで私は膝を抱えて座り込んで、遠くの海と空の狭間をぼうっと見ている。それを見ていると、私の悩み事なんてちっぽけなものと、そんな思いが心を埋め尽くすようで。
「まったく……まだお主は不貞腐れておるのかの」
――喧嘩して、それでも来てくれた。私が謝りたいと思っていたところに、あいつは必ず――。
「いい加減、うじうじとするでないわ。儂とてこれ以上お主とこじれるのは嫌なのだぞ」
一年だけのお姉さんのように。私がいじけるとトオナはいつもそうやって姉さん風を吹かせるんだ。普段の立場とは逆に。
「……悪かったよ」
ぼそっと。
「何を言ったのだ。聞こえぬぞ」
小さな声だ。トオナの耳に届かないのも詮無い事。まだ完全には素直になれない自分に腹が立つ。
「悪かった! お前に当たるのは筋違いだったごめんなさい!」
トオナに向かい、頭を下げる。
「ぬあ! いきなり大声を出すでないわ!」
と言っても、私もトオナとこじれるのは嫌だ。それにここには、滅多に他の人間などはやって来ないんだから、他人の目なども気にする必要もないし、耳も気にしなくていい。
「一番悪いのは私だ。私が弱いから――」
「だから、焦るなと言っておる。お主が頑張っておる事は、儂がよく知っておる」
「……そう、だよな」
そう。トオナは血縁でない、だけど一番近くに居る人だ。だから私は――。
「話せば解ろう。お主は一人ではないのだからの」
その通りだ。だからたまにこう思う。
なんだかんだで、トオナは私よりも強い子なんだと。
「……解った。ならまた、隣に居てくれるか」
「勿論だ。儂はお主よりもお姉さんなのだからの」
私が座るその隣に、トオナも腰を下ろした。
奇妙なものだなまったく。いつもは私にいじられる側だというのに、私が寂しい時にはいつも寄り添ってくれるなんて。……だから私は心が安らぐんだ。この、ちょっと変なところのある自称お姉さんに対して。