表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二重季節 -Alignment Minds  作者: 真代あと
マイナス二話目 季節周期 -Dark of Memory
183/287

-2-38 季節前 三つ

 あの日の事は、今もはっきりと覚えておる。雪がしんしんと降る、寒い日の事と。

「ハトリよ、用事とはなんなのだ?」

 その日、巫女見習いとしての事を終えて、儂はアサカエ神社の本殿の中へと呼び出された。

「……来ましたか。トオナ」

 暗く厳かな空気の中、後ろを向いておったハトリが、ゆっくりと振り返る。その手には、細長い棒のように見えるものがあった。

「それは?」

「そろそろ貴方にも、見て貰った方がいいと思いまして」

 手に持っておるそれを、ハトリはじっと見る。それを床に置いて、おいでおいでと儂に手招きをした。

「一体、何を?」

 床に置いてあるそれを、じっと見る。ハトリの表情が――少しいつもより硬いものに見えた気がした。

「これが、アサカエのご神刀。魔を断ち祓う、神様の刃です」

 少しだけ、ハトリはその鞘を上げる。見えたのは、銀色に鈍く光る刃の部分。

「お婆も、巫女でしたから。この刀で妖怪退治……斬り捨ててはご免を繰り返していたそうです」

「お婆が……!」

 お婆も使っておったもの。成程それは大いに興味がある。食い入るように、その刀に目が引き付けられた。

「名は、なんと申すのだ?」

「桐生剣です。お婆はこれを、自在に振るっていましたよ」

「……これは儂にも、いずれ扱えるものなのだろうか」

 そう、おずおずと訊いてみると、ハトリは鞘を納めて、儂の方を見て少し笑った。

「……そうですね。これで妖怪退治をする、トオナも見てみたいかも、です」

「今更……目録まで持つシエンや、エンのように扱えるとは思えぬのだが」

「修行、あるのみです。トオナは……見立てでは多分、筋がいいですから」

 そういうものなのかの。まあお婆も使っておったとなれば、振るってみたいものだとは思うたが。


 不意に、ぶるりと寒さが来る。外では雪の降る寒さ、裸足で木の板の上に居るとなると、身も凍る程の、という例えがよく当て嵌まる。

「寒いでしょう。暖かい所で、お茶にでもしましょうか」

 ハトリは小さく笑って、刀を本殿の奥に仕舞い込んで、儂に外に出るよう促した。

 ……お婆も持っておったという、あの刀。

 儂もいずれ、あの刀を持てるものと、ハトリは言っておった。いずれ妖怪と戦う日が来るかも、とも。

 お婆もやっておった事。儂はまだ、その域に行けるものとは思うておらんかった。だが、そういう事なら思わぬ訳にもいかぬ。いずれそれを持つ日が来るのだと。お婆に近付くという目標が、また一つ出来たのだと。


 ――そう。あの時はまだそれしか考えてはいなかったのだ。

 お婆に近付く。それが最も強い行動理由であって、

 神社の為、近しい者達の為と思う事を、すっかり忘れてしまっていたのだと。




 ――その工房に足を運んだのは、これが初めてだった。エンちゃんの元師匠である、リーレイア・クアウルの工房。

 寺院の中は一通り把握していたけど、

「こんな形で、来るなんてねえ」

 リイ・ラハイムとしてここに来るとは。エンちゃんと付き合って来た間さえ、私はここにだけは接点を持つ事はなかったのに。

 なのに今来た。理由は一つ。リーレイア・クアウルに、事の次第を話すように伝えられたからだ。

 ――そう。私が最も近くに居た、アサカエの現状を話せと言われて。


 こんこんこん、とその戸を三回叩く。

「――いいぞ。勝手に入って来い」

 そうリーレイアの声が届いた。

「失礼しまあす」

 入る。寺院の中ではあったけど、この工房だけ見ると西方風のものだけが目に付いた。

「時間通りじゃないか」

 リーレイアは大きな机の椅子に座って、煙草を吹きながら、分厚い本を読んでいた。没頭している様子で、こちらには目もくれない。

 それは褒められたものかどうか。他の事に興味を持たないリーレイアの態度を見る限り、人に優しくするという概念自体がなさそうだ。

「あのですねえ。一応こちらはお客様として来たんですけど」

「知っている。私が呼んだのだからな」

 横柄な態度も解り切っている事とはいえ、やられる側としてはあまり気持ちのいいものじゃあないな。

「わざわざ来たんですから、お茶の一つでも淹れてくれればいいでしょうに」

「飲みたければ勝手に飲んでくれていいぞ」

「とことん人に興味を持たない人ですねえ」

「世間話も間に合っているぞ。まあ、来る弟子は減ったがな」

 肩の荷が少し下りた。そう言いたげに、リーレイアは言った。本当、人がどうなろうと知った事かと言わんばかりに。

「彼の容態は?」

 私は話を戻す。こいつの人格を論じても仕方のない事だし。知るべき事は別にある。

「酷い……が、案外持ち堪えるだろうね。死体は?」

「そのままのが一つ。一部だけなのが一つ。それと、もう一つ」

「死んだのか」

「……見られずには、出られないでしょうしねえ。結界で塞がれていましたし、“塔”でも動かない限りは」

 ……自分で言っておいてなんだけど、それはつまり確定と言うのだ。あの“塔”が動く事はあり得ない。もしもや奇跡的になどは絶対にない。死んでいるものは動かないのだから。

 この一件で、アサカエの一家はほぼ全滅。

 ……いや、レイハと言う女――彼女の伯母を除けば、もうすぐ全滅か。

「母の方も、一応は一命を取り留めている。が、どうだろうね。よくあるだろう? 生きる気力がないと病気に負けるって」

 リーレイアの言う通り。それは今こそ当て嵌まるのではないか、と思う。

 あの母は、果たして生きるつもりがあるのだろうか。

 そして彼も。

 どちらも、己にとっての最大をなくしている。自分の手で、それを落とした。

「いずれ目は覚めるだろう。が、現実に目覚める事は出来るかな」

 どちらとも、実は身体的には持ち堪えている。母に至っては傷すらない。

 彼女らの眠りは、言わば否定。心の底で、望みを抱いて気をなくしている。

 起きるのが怖い。いや、目が覚めて現実を直視させられるのが怖いのだ。だからこそ、まだ起きないでいる。決して叶わないだろう、一縷の望みを残して。

「……あっしも、どうにも出来なかったからさあ……」

「そりゃあそうだ。どうにか出来る方がおかしいんだからな」

 正論だ。正論だけど、それを淡々と言ってくれるリーレイアの神経もどうかと思う。




 いつか、見せて貰った刃。

 お婆も振るっていたと言う、銀の刃が、

 朱く。それを持つハトリと共に、朱色に滲んでいた。そして道場の床も、朱にまみれていた。


「あ……はは、ははは――」

 ――乾いた笑い声が、道場に響いた。

 認めたくなかった。

 信じたくもなかったが、ハトリは、その刃で、メイスケを、斬った。

 斬らざるを得なかった。でなければ、メイスケは更に被害を広める事となっただろう。

 だがそんな事。そんな残酷な事が。自らの手で、連れ合いを斬るなんて。

「……ごめんなさい。メイスケ」

 亡骸を前に、ハトリの、刃を持つ手がゆっくりと上がって、

 その刃を、自分の首元に添えるようにして――。

 だが、

「ハ、ハトリっ」

 見てしまった。ハトリが、恐らく自害しようとしているさまを。

「ま、待つのだハトリよ!」

 大声で呼び掛ける。だが、近寄る事が出来なかった。

 ハトリのその傍らに、メイスケの体があったからだ。黒く変色した体が。

「……寄っては駄目ですよ。トオナ」

 いつもの優しい声で、そんな突き放す事を言う。

「貴方までこうなったら、お婆に合わせる顔がありません」

「嫌だ! ハトリまで居なくなったら、エンはどうなる!」

 ……自分で言っていて、少し驚いた。お婆の事を言われて、それを第一と考えなかった自分に。

 そう。お婆の事を言われたとて、儂はこの家族が、なくなる事に耐えられずにおる。

 寄ろうとする、儂にハトリは刀を向ける。桐生剣を真っすぐに向ける。それは前に見た、シエンの必殺の型である虚御の型のように。

「寄らば、斬ります」

 その顔は、まるで仮面を被っておるようだった。かつて儂に向けていてくれた、優しい微笑みはまるでない。

 只、それは黒く重い悲しみをたたえておるだけだった。

「お願いです」

「……それでも、嫌なのだ!」

 お婆が隠れたあと、ないに等しい家族の温もりを与えてくれたのは、このアサカエの一家なのだ。それが唐突になくなるなんて事、あって良い筈がない。

 だから、近付く。一歩、一歩と。突き出す刀の、真ん前まで。

「っ――」

 ハトリが、顔を歪める。儂が寄る事に、ためらいを感じておる。

 そう。斬るならば斬るが良い。その覚悟を持って、儂は接しておるのだ。

 あと一歩。一歩寄れば、あの桐生剣の範囲に入る。

「……ハトリよ」

 斬られてもいいと思っておった。同時に、斬られる筈もないとも思っておった。

 だって、ハトリは優しい人だ。でなくばメイスケの為に、黄泉路を共にしようなどと思える筈がない。

「儂には、お主が必要なのだ。母の代わりとなってくれた、ハトリが」

 儂を、教え導いてくれた人だ。儂の言葉が、聞こえぬ筈が――。


 その時。

 外から騒がしさがやって来るのを感じた。

 役人達が、道場になだれ込む。さすまたを持って、ハトリを周りから取り囲んだ。

「狂気病、滅ぶべし!」

 儂が呼んでおったのだ。メイスケの頼みと、メイスケを助けてくれるものと信じて。

 だが、違う。今においては只邪魔なだけだった。もうすぐ、もう少しで、ハトリを救えるものと思うておったのに。

「ハトリ! 待て、違うハトリ――!」

 連れていかれる。周囲をさすまたで封じられたハトリは、逆らう事なく抵抗するもなく、歩かされていった。

 儂はまた、大切な人の傍を引き離された。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ