-2-34 特異の正体
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「まったく、君も不器用なものだね」
エンと別れたあと。先生の居る工房という仕事場へ行った。呼び出されたのだ。そうして顔を見せた第一声がそれだった。先生は「お茶を楽しむ時間だ」などと言って、儂と卓を挟んだ向かいでゆっくりと紅茶を飲みながら儂の言葉に応えていた。
「好いた男に気の利いた言葉も送れん。まあそれはあいつにも言える事だがな」
「な、何を言い出すのだ。儂は只――」
言葉は曖昧だ。自分でも解っている。こうした物言いに耐性がない事くらいは。
「まあいい。ところで、見付けたぞ。ユエンに取り付く呪いの正体」
「っ、真言か!」
思わず、卓の上に身を乗り出す。エンをおかしくしている呪い。その正体が解ったという事は、即ち解呪する方法も――。
「期待はするなよ? 正体は掴めたが、現状お手上げな事に変わりはない」
「構わぬ! 解るのならばなんとかする!」
……自分でも、内心驚く程の強い言葉。
強いのだが、
一旦崩れれば駄目だろう。自分の中で駄目だと納得してしまったら、覆すのは困難だろう。
そうとも解っている。
解っているからこそ、聞きたいと思う。これは一筋の光明のように思えたからだ。
「なかったものがある。ある事が当然と思っているから気付き難かった。異常の正体はそれだ」
……難しい。
先生は、最初には物事を誰にも解らないように話す。癖、なのかも知れぬ。
「……どういう事なのだ、それは」
「ユエンの体に、“変わった所がない”。それで気付くべきだったんだ。あいつの――」
先生が一瞥をする。机の上にあったものは、眠るエンの姿を撮った、一枚の絵――写真というものらしいが。それを見てみるが、確かに一見、変わった所はない。
「喰われた筈の左手小指。これはいつどうやって生えて来た?」
……これは。ない筈のものがある、だと?
「根本からなくなった指だ。綺麗に戻る筈がない。ある事は自然に思うが、この場合ある事そのものが異常だ」
見れば解る。折り取られたと言われたエンの小指。なのに今、エンの左手には確かに小指がある。
「裏付けにシエンの死体を調べたが、思った通りその手に小指がなかった。これですっきりしたよ。
シエンは自分の指をあいつに埋め込んだんだ。恐らくはあいつを刺した時だな。勿論それは曰く付きな呪い付きだ。ご丁寧にな、その呪いはシエンの知識にある全ての系統の術式を複合させたものなんだ。符術、陰陽術、法術、魔術、その他色々な。シエンがどれ程の知識を溜め込んでいたかは解らんが、真面目に解くなら、その術式系統に精通したディスペル――解呪使いを系統毎に集めて、複合術式の解析に――そうだな、一月も掛かれば早い方だ。完璧な構造はこいつを組んだシエンにしか解らんよ。
そしてその効果だが。呪いと言っても悪い意味ではない。少なくともシエンはこいつを守る為に呪いを掛けた。守る為だ。だからこそ余計にたちが悪いんだがな。
いつの時点か、シエンはこう考えたんだ。“私がしっかりと傍に付いていれば、みんなをちゃんと守れるのに”とな。勿論不毛な考えだ。どんな脅威があろうと、守る対象、全員に四六時中くっ付いている事なんて出来はしない。そこで、神社の娘だからすぐに思い至っただろう、お守りを作る事にした。ご利益と言うものがあるが、それは与える側に込められた念に比例して強くなる。この国で有名な神、それを祀る神社になるとワヅチのあちこちに同じ名を冠する分社を作っているが――まあその辺りの事はお前の方が詳しいだろう。小さく大量の念と、一つの中にある強い念、結局は同じ事だ、前者も結局は一つの神の中に納まるものだからな。
そう考えると納得だ。シエンが寺院に居た頃、急に寺院の偶像的存在になったのも、そのあと鞍替えした作業傭兵の所でも、派手に行動を起こして注目されて来た理由は自分に念を集める事だ。世にアサカエ シエンの印象を植え付ける事――要は神の真似事だ。そうして得られた念をご利益に変えようと、最近帰って来た訳だな。
ところが急にその機会はなくなってしまう。この一連の事件だ。本来ならばアサカエの神社の元でじっくりと作り上げるのが望ましかったのだろうが、その時間もないまま最悪の方へと追い詰められていった。
お守りは作れない。
自分のして来た事が無駄になる。
守ろうとしていたものが、居なくなる。
シエンに篭るのは負の感情ばかりだ。目的は定かだとしても、その為の手段を見失う典型だな。その結果がこの呪いだ。自分が傍に付いていれば守れる。その言葉通り、自分を傍に憑かせたんだよ。先程の解呪――ディスペルだが、術式に加えて、怨念だな、それを最終的に解かねばならない。正直その域になるともうお手上げだ。だが――、
解らんぞ? お前なら。怨念の向く方向はユエンとお前だ。シエンを良く知り、アサカエに通じ、今この場でまともに動ける、唯一がお前だ」
そこまで説明しておいて、先生は懐から何かを取り出して、机に置く。
小さな布。いや、それに包まれた何か。
「これはシエンの最後の欠片だ。お前がこいつから何かを得られれば、或いはユエンの異常も解けるかもな」
シエンの、最後の欠片。それは小さくて短い、棒のような形をしていて、布に包まれて解らなかったが、恐らくそれは――。
「ああ、取り込まれる心配は不要だ。ユエンの場合、欠けた所に同じ部位を当て嵌められている。故に完璧に呪いが作用している訳だ。持っている分には大丈夫だろうが、体に欠けた所がないか、よく確かめておけよ?」
「……先生。その……」
「あ?」
問う。これが、シエンの最後の欠片と先生は言ったのだ。最後の欠片、一つしかないもの、そしてこの小ささ、つまりそれは。
「こ、これがあるという事は、つまり、」
「ああ、気に病むな。シエンのあれは完全に善意だ。その右手小指は、お札に包まれたまま着衣から見付かった。歪んではいるが、ああだからこそ、ユエンもまた守ろうとしたんだろうなあ。お前が自分と同じ目に合わされると思った、だからシエンを止めたのかもな。
呪いの元はその二つ目で最後だ。大切にするといい」
シエンの、小指。大規模な呪いの掛けられたもの。
「これは――持っていてもいいのかの」
「その点はお前には大丈夫だろう。そいつは確かに強力な呪い物だ。かなりの影響も与えるだろうが、お前にはユエンのように反応する血がない。ユエン程の症状にはならないさ」
「……儂には、血がないと?」
「少なくとも土雲に連なる血はなかろう。それに及ぶ程の何かがあれば別かも知れんが」
……そうか。
「儂には、ありはせんのか……」
……先生が、本を開き、読み耽る。
儂に対する興味を失ったように。それをぼうっと見続けていた。
これを、シエンが作っていたとなれば、
それは、エンと同じ事を、儂にするつもりだったのだと。
……ならばなぜ、
しなかったのだ。
今更こんなものを渡されても――。
「……呪いを解かねば、エンはあのままなのかの」
先生の、本を読む手が止まった。儂の呟きに反応してか、栞を挟んで本を閉じた。
「あいつの世界との接点。そこには必ずシエンという存在がある。如何に関係の薄いものに見えてもだ。それは記憶よりも深い――言うなれば縁だ。失う事の出来ない。切る事も出来ない。厄介なものだよ」
椅子に座りながら、先生は煙草を取り出し、火を付けて吸った。間を置く時、先生はいつも煙草を吹かせる癖がある。
「今のあいつにシエンの記憶はない。だがそれだけでは不完全だ。あいつの記憶――生い立ちと言うべきか、お前の方が解るだろうが、それにはほぼあらゆるものがシエンに関わっている。
二年前とは状況が違う。今はもう、あいつはどこにも存在していない。シエンの記憶がないだけでは、あいつにとっての世界に矛盾が生じる。“有る”べきものが“無い”。そんな強固に刷り込まれた存在を消す事は即ち――」
そこで一旦息を切る。立ち上がり、今まで向かい合わせていた顔を逸らした。
「己の存在すら矛盾したものにしてしまうという事だ。シエンが居た、という事は、そこにユエンも居た、という事になるからな。それを解決する為には、やはり消さなくてはならない。シエンの記憶だけではない。それに関わるもの全て……お前や、或いは自分さえもな。全てを零に回帰させなければ、あいつの矛盾は消える事はない。なぜならシエンはあいつが生を受けたその時から、その傍に居たんだからな。ある意味親以上に近しい存在。分身だ。だから絶対基準がない世界は、認めない。
――要するにだ、あいつは家族が居ない“現実”が嫌なんだよ」
「そのような……そのような馬鹿な事……っ!」
「それがあいつの望む結果だよ。……いや、今となっては、望まずとも修正力が見逃さないな。あの矛盾は人間の身に余る。
……ここまで来ると本当に呪いだね。シエンもまた現実を否定し、あいつの母も同じく命を絶った。あいつらは弱い。だが、壊されたものが強過ぎた。否定は必然だったのかも知れん」
それは、全てが最悪ではないか。どうあっても、世界はエンをなかったものにしたいらしい。
「いずれにしろ、遠からずあいつは終わる。未だかつて修正力に抗え得た者は、只の一人も居はしなかった。
あれには実体も何もない。異物があるから排除するという概念、理屈そのものだ。干渉出来るとすれば、神か魔か、或いは伝説種の類か……何であれ人間程度には抗えない。
だからシエンもそれに縋ったんだろうね。問答無用で消し去ってくれる意思に。可哀想になあユエンも。結局、家族全てに裏切られたんだからな」
あとの話は、殆ど聞こえなかった。
エンは、遠からず、終わる。
その宣告が、儂の持っていた希望を、あり得ざる形にまで歪めていく。
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