-2-28 連鎖する虚しさ
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――逃がさない。
逃がすものか。あの人は、あいつは、先輩の目を――。
「お馬鹿……お待ちなさいコイコ」
隣から、かすれるような先輩の声がした。
「せん、せんぱい」
なんで。先輩は、右目を刺されて、もう、戦えない程に疲れている筈。取り返しのつかない事になってる。なのに。
「アサカエ シエンはもう引きますわ……深追いは、無用ですわ……」
「でも先輩、め、目が――」
「今日、二回もフレイアを撃った……貴方にもう、術力は」
「なくても――」
もう一度、構える。こんな未熟な私でも、やらないといけない時がある事くらい、解る。
「なくても、こんな事、許しちゃ駄目なんです!」
源素を、大地から吸い上げる。自分の術力がなくなって、それでこんなものを撃ったらどうなるか、解っている。貰った宝玉で術力を補っているとしても、まだ足りない。……それこそ、命に係わる事になるだろう。
だけど今、この時には。
引けない。先輩が、どうなっても止めようとした、あのアサカエ シエンを――。
「おやめなさい、コイコ」
だけど先輩は、私を止める。怪我人とは思えない、強い口調で。
「貴方の未来を奪ってまで、やるべき事ではありませんわ」
「でもっ、先輩は――」
「わたくしは、すべき事をしたまでの事ですわ。コイコ、貴方は、わたくしに付いて来てくれるのでしょう?」
……何も言えない。先輩の言う事は、正しい。だけど、
「貴方は、わたくしを一人にさせるつもりですの?」
「う……」
「わたくしは、まだ生きていますわ。コイコ、貴方は」
先輩が、右目に刺さったままの短刀に両手を添えて、
「く、ああああああ――!」
引き抜いた。どうしてそんな、並みの痛みじゃない筈だろうに。
「せ、先輩っ!」
術を中断して、先輩の傍に駆け寄る。どうして。今それを抜いても、痛みしか――。
「っふ、ふふふあはは――」
なのに笑った。力はなくだけど、先輩は笑った。
「い、痛みはあろうと、死にはしませんわ。この程度では――」
潰れた右目から、血が滴り落ちる。その右目があった場所を、先輩は手で押さえる。
「コイコ、わたくしを支えなさい。流石にこれは、つらいのですわ」
……先輩が言うのなら。
私は、先輩の傍にしゃがみ込んで、その左手を肩に回す。そうしてゆっくりと、立ち上がる。
「……これは貰っておきますわ。勝ちの証ですから」
先輩の右手、目を押さえるそこにはあの短刀があって。その刃は真っ赤に染まっていた。
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「エンちゃんっ」
やっと、追い付いた。飛んで行かれてたら、間に合わなかっただろうけど。
だけど呼び掛けても、私の方を見もしない。只、ふらふらと足だけを、前に動かし続けるだけだった。
「落ち着こうよお。今回の事、こちら側で最大限手を貸すからさあ。ユエン君も心配してるよお?」
「――煩いよ」
冷たい言い方、そして、
「どいて」
その眼は、本気だった。
今のエンちゃんは、私を障害物として見ている。
場合によっては――。
「……そんなの」
そんなもの、まるで、“自分”と同じじゃあないか。
「待ってよお……私のお願いも聞いてくれないのお……?」
反吐が出る。自分でも解る。でも、それでも言えた。自分は、間違いなく、彼女と、
「――親友、でしょお?」
「煩い――!」
叫ぶ。その敵意が、彼女に短刀まで抜かせた。
「邪魔してくれるな。あんたも」
「エンちゃあん……」
声が震えた。
「――怖い? そう」
その、あざけるような笑みを浮かべているエンちゃんは、私と同じように壊れているふうに見えて。
「怖がるんだ。あんた」でも――、
ひっ――と、空気が引き込まれた。
エンちゃんの顔が歪んでいく。怖がるように、私ではなく、それこそ自分が、
「あ――これ、ごめんなさい、怪我、ない?」
放り捨てた。その刀を。そして、今までそれを突き付けていた胸元、その具合を確かめた。
錯乱していた。先程とは違うが、それでも、この優しさも、エンちゃんとは違う――。
「あ――」
動きが止まる。その眼が、私の視線を捉えて――そこでやっと理解した。
今が、シエン。私の知っているエンちゃんだった。見た事のない姿だったけど。
「――ごめんなさい」
呟く。泣きそうな声で。
そして逃げた。
}
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茫然自失――。
エンちゃんの走っていく後ろ姿を見ながら、私は只立っているだけだった。
残った私は、ずっとその方向を見続けていながら、只その場に。
「……駄目だよお……謝っても」
口元が、自然と少しつり上がった。
駄目。そんな逃げは許せない。
何一つ、彼女が謝るような事はしていないのに。
}
{
訳が解らない。だけど、違う。
今は、何もかもが、違っている。
ここは一体どこなのだろう。
自分がおかしくないのなら、
おかしくなっているのは、自分以外だ。
全部が全部。
私は、何をしていたんだろう。
いや、それより、これから一体、何をすれば――。
}