-2-24 絶望の霊
「潰すだなんて、また大きく出たものですわね」
一歩前に出るリリさん。
「何よりわたくしを見ていない。それが一番腹立たしいですわ」
「見る必要なんてない」
その女は、リリさんの方を見ないまま、右腕を眼前にまで上げる。
「只、邪魔」
そしてその右手を下へと曲げた。
ずどん! と大きな音が。
最初、何が起きたのか解らなかった。リリさんが、崩れ倒れていて、地に這いつくばっている。
「な――」
なんで。と言いたげだったリリさんは、息を荒くして、それでいて立ち上がろうともがいていた。だけど、なぜだか起き上がれない。立つ事もままならない様子で。
「……重力、ですわね。重さを与えて――」
リリさんの物言いにも、ウズハヤという女は何も興味を抱かないでいる様子で。それでいてなぜか、私の方をじっと見る。
「貴方は、特別」
ウズハヤが、また右腕を上げる。……それを見て私も身構える。私にまで重力を被せるつもりか。だけど、私は先程見ていた。来る事が解っているなら、対処は簡単――。
そいつが何やら呟く。先程にはなかった、これは詠唱か?
いずれにしても、好きにさせる訳には。駆け出す。振動の力を実行させて、左手を――。
「現れなさい。世に留まる、死霊達」
手が触れる前に、そいつが力のある言葉を口にした。何が起こるのか。死霊?
――それを見た時、見てしまった時に、足が止まった。
「……うそ」
死霊と、そいつは言った。名の通りに、それは死んだ霊の事だ。
なのに、なんでそいつが、うっすらとだけど、
「貴方の。いや――」
その顔が、歪んで見える顔が、どうして、
「“お前の父”だよ。ユエン」
父さんの顔をしているんだよ。
あう、あ、うあああ――。
そんな呻き声を上げながら、父さんの姿をした、半透明のものが寄って来る。
悲痛な顔をして。
何をした。何が起こっている。それも解らない間に、ウズハヤが、続けて詠唱を行う。
「お、おいユエンっ!」
イスクが呼び掛けるけど。動けない。というか、イスクにもそれが見えるのだとしたら、あの半透明のものは――。
詠唱が終わって、もう一人現れた。その姿は、
「……カ、カイ……?」
見覚えのある、なのにもう一つと同じく、苦しみに歪んだような顔をしていた。
両手を上げ、前に伸ばして、私の方に向かい歩いて来る。
「嘘……こんな、こんなの」
幻術だ。私はそう結論付ける。
どこでどうやって父さんとカイの事を知ったのか知らないけど、死霊なんて大嘘だ。
だって、
あの二人が死んでいる筈なんてないもの。
「っ――揺らぎ、実行」
どのみち、あんなまがい物なんて、すぐに消してやる。あんなの子供騙しにもならない。とっとと消さないと気分が悪い。
半透明の、人の姿形をしたもの。それに駆けていって、揺らぎを込めた左手で触れる。
“じりじり”
あの時と同じ、妙な雑音。そしてすうっと手が胸の辺りをすり抜けていく感じがした。消えろ、消えればこんなもの、偽物だろうと心を痛める事には、
ぎああああああああ――!
――耳をつんざくような悲鳴。
それが、私の“手”が触れ、通り抜けた瞬間に。
その声が、聞いた事のある聞いた事のない声で。
父さんと、カイの声で悲鳴が上がった。
「へえ。そんな簡単に殺せるんだ。そいつらが、」
にやあ。と。
その女は笑った。笑って言った。
「本物だとも知らずにか」
違う、本物な訳がない。あの二人が、こんな奴相手に。
だから、完全に消えるまでやめない。
「やめてユエン」
――意外にも。シズホが私を止めた。私の衣を引っ張り、悲痛な声で言った。
「あれは本物」
って、なんで。シズホまで幻覚に惑わされるか?
「倒すなら――本体だけ」
シズホの眼が、あの女を見る。
「あれが本物に見える。どちらにしても、あいつを倒せばいい」
「どういう事だよ。あれが、本物って――」
「“眼”で見えた。あの二人を、あいつが殺した」
「違う」
ウズハヤが、シズホの言葉に短と割り込む。奇しくも私も、違うと思った。
「私はそこの男に触っただけ。拾ったのはそのあと」
なんだよ。なんなんだよ。この二人は、あれが本物だって言う前提で話しをしているけど。
……じゃあ何か? 本当に、父さんとカイが――。
「う、嘘だろそんな……」
足に力が入らない。目の前に迫る“あれ”を直視出来ない。
駄目だ。見てしまったら。“あれ”が本当に、死んだあとの姿だって思ってしまうと、
……あいつに殺されたって事に。
「うあ、ああああ、あああ――」
化物にされた。いやそれを認めてしまったら、もう――。
「あはははは――!!」
女の笑い声が、この場に響く。
「駄目だなあアサカエ。心を痛めるってのは、もっと」
二人の影が迫る。それらは、いつの間にか得物――半透明の短刀を持っていて、
「悲劇的でないと、面白くないよ」
お互いが向き合い、お互いが、短刀を、
刺し合った。
ぐぎあああああああ――!
二人分の悲鳴が上がる。
「な、あ――」
なんで、こんな事をする。なんの為に、死霊同士を傷付け合うのか。
決まってる。私の心を、もっと痛め付ける為にだ。
解っていても。
「やめろ、やめて――」
こんなの、こんなものがある筈なんて、
「やめろいい加減に!」
イスクの大声。そして腕を向けて、幾つも矢を放つ。あのウズハヤに向かって。
「ふん」
その矢は、ウズハヤに届く前に地面に落ちていった。
「お呼びじゃないんだよ小僧」
何をしたのか。重力だ。飛んでいく矢に重力を加えれば、それは落ちる。
「もっとだよもっと。折角いい玩具があるのに」
「くっ」
イスクの攻撃が通じていない。そして今度は、二人の影をウズハヤの前に、守らせるように動かした。
「解らないかな。私に攻撃したら、もっと痛がる事になるって」
また、お互いの影が短刀を刺し合う。
――悲鳴が響く。
父さんと、カイを盾に……? それだともう、本当どうしたらいいのか。
「滑稽だね。死んでも痛みは感じるなんてな」
傷付いたようには見えない。だけどお互いを刺して、その痛みや苦しみはある。
「やめて――」
「止めないのかな。お前が止めてみせろよアサカエ。でないと二人がずっと苦しむだけだぞ」
「やめて、お願い――」
駄目だ。あれが本物なら、私にはもうどうにも。どうすればいいかなんて。解る筈がない。
――光の線が。
どこから、と思ったけど、それはリリさんの放った小槍、その一つだけが、ウズハヤの胸――心臓の辺りを貫いていた。
「図に乗ってるんじゃねえですわゲスヤロウ」
重力で伏せったままのリリさんが、苦いながらも笑みを浮かべて言った。一つだけ、自由になっていた小槍でウズハヤの死角を取れたんだ。
そんな言葉を聞いて、ウズハヤは穴の開いた胸元を見やる。だけど、それ以上の動きはなくて――。
次には見えた。その貫いた筈の穴から、何かうごめくものがあると。
そしてそれが漏れ出た。まるで気持ちの悪い化物の触手のように、胸元から真っ黒くうねる何かが出て来た。
「あれが正体ですわ。早く、潰しあそばせ」
息絶え絶えで、リリさんが言う。気付くと二人の影も消えていた。維持が出来なくなったか、維持する余裕がなくなったか。
成程あいつは正真正銘化物だった訳だ。人に寄生し、操るもの。だったら本当、遠慮する事なんてなんにもない。“ウズハヤ マヤ”と名乗ったそれも、只の外側でしかない。
「――頼む」
次こそ、終わらせる。揺らぎの力、それを左手に込める。そして駆け出す。
「消えろ」
“じりじり”
妙な雑音。それは揺らぎが、ちゃんと動いている証明だ。
それが、ウズハヤの頭蓋に届く。
触れたと思った、瞬間、
「ぐっ!」
焼けるような痛みがした。一体何が起きたか、解らなかったけど。
通り抜ける。その手が熱い。手を振って、少ししたら治まって来たけど、これは一体どういう事か。
触れた瞬間、という事は、奴の体自体に原因があるんだろう。
あいつの中身、即ち正体と言っていた部分。それがこの手に痛みを与えているのかも。
じわじわとした痛み。それが引いて、やっと私は相手を見る。
そいつの頭の部分に、黒くうねる何かが生えていた。それがあいつの本体なんだろうか。
「まさか。ここまでやってくれるとはね」
そう言うと、その化物は背を向けて走り出す。
「な、待て!」
逃げるつもりだ。冗談。こいつは自由にさせちゃいけないものだ。逃がすなんて、以てのほかだ。
「逃げるなあっ!」
駆ける。足は遅い。追い付く事は充分に――。
と、そいつが走りながら、右手を後ろ――私の方に。
何を。と思って、だけどしまったと思い至る時にはもう遅かった。
そいつが手先を、下に向ける。
体が、急に重くなった。
「ぐは――」
何かに押し付けられるように、地面に倒れ込んだ。
リリさんにも使った、重力だ。体中が満足に、動かす事が出来ない。
「ぐ――待て! 逃げるな、返せ、返せえっ!」
後ろ姿が遠くなる。その姿がふっと見えなくなって、やっと重圧から解放された時には、もう遅かった。
「くそ――ちくしょう――」
地面に伏せながら、地面を叩く。涙もあふれて来る。結局私は、あいつを逃がしてしまった。
父さんも、カイも、持っていかれた。