-2-19 遅かった“全て”
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――朱に染まっていた。
日も。空も。雲も。地も。草も。
今までに見た事がない程の、朱だった。
そして、あまりにも紅い空の下。
町の外れの小さな丘、私はある一点を見つめて、只立ち尽くしていた。
そこは、町より少し離れた場所。
海が近く、小高い丘に囲まれ、近くには大きな森もある。
……私の家がある筈の場所。私達の祀る神社があった筈の場所。
それがまるで影のように黒ずんでいた。
朱に染まった空間の中、只呆然と立ち尽くすしかなかった。
しばらく経って、私は家に向かってゆっくりと歩き出す。
目の前の現実から考えられる最悪の思いを払拭する為に。
もしかすると、今みんなはどこかに出かけているのかも知れない。
何かあったとしても、みんなはどこかに避難しているのかも知れない。
あれ程強いメイスケやカイさんに、もしもの事なんてある筈がない。
そう思っていた、思おうとしていた。
ゆっくりと、その場所に近付いてゆく。
……その場所の前には、布のような……いや、よく見てみると干し掛けられた幾つもの衣服があった。
元の色が解らない……取り込まれてもいない衣類は、元の色に関係なく、朱かった。
それらを通り過ぎた先に、あの子らが戻って来る筈の場所があった。
そこは、あの時のような白ではない。
どす黒く変わっていて、扉はなかった。
その朱が、果たして夕焼けに染まった色だったのか。
残り火が未だ燻る色だったのか。
それとも××だったのか。
理解出来なかった。
憶えているのは、全てが終わってしまったあとに、
只立っていた私を、誰かが見付けてくれた事。
そして誰かが、それを処理している所。
空が朱い。
ここは朱い。
濡れる事のない雨のように、纏わり付く。
朱い雲。
晴れる事はない。
私には、晴らす事は出来ない。
鮮やか過ぎる朱だった。
・
「――メイスケっ!」
トオナに呼ばれた私はやっと、彼の居る道場の所にまで辿り着いた。
事情は聞いていた。心の準備はしていたつもりだった。まさかと思い、冗談を願った。
だけど、
「――ぐ、ぎ」
私が呼んだ時、彼はもう、薄黒い土色の肌をして、まともな言葉さえ発する事はなく。
「……嘘、ですよね、メイスケ――」
そう呼び掛けても、彼は只こちらを見据えて、歯を剥き出しにするだけで。
――ああ、そうだ。狂気病になってしまったら、もう――。
やるしかない。
やるしか。
小刀は持って来ている。長い刃の得物もある。
今だ。
まだ大人しいうちにやらないと。
やらないと、やらないとやらないとやるしかないやるしかやるしか殺るしか、
でないと――。
だけど、
動けない。
狂気病になったとしても、彼は、メイスケは、私の――。
そう、ためらう。
ためらうに決まっている。
――その時、彼が一歩前に歩み出た。
「ひ――」
思わず声が漏れて、小刀を眼前に構える。
そのまま、一歩あとずさる。
彼の顔は、もう人の表情をしていなくて。
そしてこちらに来るという事は、もう狂気病としての本能で動いているしかなくて。
寄って来る。
更に、あとずさる。
怖い。
彼はもう、優しいメイスケじゃない。
「ぎ、があぁ……」
言葉ではない、声。
冷や汗が流れる。
一歩。一歩。彼が歩いて近付いて来る。
その分、後ろに下がる。
私の背中が、壁に触れた。
逃げるなら、今が最後、だけど。
――小刀を持つ手に、力を入れる。
彼の手が、前に出される。
もうすぐ、それは私に触れるんだろう。
それはいけない。そうすれば、私が感染するだけで終わってしまう。
彼を救えない。
覚悟を、しないと――。
――その時。
彼の、体の前に突き出された右手が、
ゆっくりと戻って、
自分の胸を指すようにした。
「う、うあ……」
なんて事――。
彼は、喋らない。
いや、もう喋れない。
だけど、伝えている。
自分の胸、心臓を刺せと。
そして、私の目の前で、歩みを止めていた。
多分、それは無理やりに。意思とは関係なく、彼の意志によって。
……やれと、
やれと、彼は言っている。
私に対する、最後の願いを。
「あ、う」
彼は、
狂気病になって、意識が消えてしまっても、まだ――。
手に、力を込める。
小刀を、前に突き出す。
そして、
「うううう――!!」
――。
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