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二重季節 -Alignment Minds  作者: 真代あと
マイナス二話目 季節周期 -Dark of Memory
161/287

-2-16 見守る彼女

 ――ぴくりと。

 努力の賜物か。

 何かの間違いか。

 或いは百万回の奇跡か――。

 偽物ではない。

 感覚でもない。

 確かに動いた。

 重いながらも、確かに私は実感した。

 本当に僅かに、指が動いた。

 ……それでも何度も繰り返す。

 今までとは違う、確かに動く実感。

 錆びた針金を曲げるような、ぎこちない動き。

 それがとてつもなく新鮮に思えて。

 新しい玩具を手に入れた幼子のように、確かめるように、私は何度も指を曲げる事を繰り返した。


 指を動かせる事に満足して来た頃、やっと私はそれ以外を動かす事を試みる。

 私が動かしたものはほんの末端。指だけが動いた所で、この世界は実感出来ない。

 だけど一度動くというこつを掴めば、あとは意外に簡単に運んでいった。

 意識は働いている。一部だけど、体が動く事も出来た。

 あとはそう――現状の把握。私が今“ここ”に居るという事は、私は今、多分生きているという証拠だと思う。

 眼を開こう――そう思い立った時には、既に光は感じ取れていた。

 今までの暗闇じゃない。だけどもどこかから差し込む光でもない。分厚いものに遮られた、半端な色。

 まぶたの向こうに感じられた光。

 それを頼りに、やっとの事で、眼を開く。

 まず目に入ったのは、真白の壁。

 ……いや違う。私はここに寝ていた、だからそれは天井。

 ……すぐ横には壁。これは壁だ。やはりこれも真白だった。

 天井。壁。

 ……ここは部屋だ。私はどこかの部屋に居る。床の上で眠っていた。

 真白の部屋。

 何もない部屋。

 ……違和感が現れた。

 とても……いや、なんとも不気味な違和感。

 ……違う。

 これは違う。確か私は森に居た筈だ。

 森に居て、何かに、何かに取り付かれて――。

 ああそうか。ならこれは夢か。

 私は確かに森に居たのだから。薄暗くなった森に居て、何か嫌なものに襲われて。

 それが本当の筈。だから、私は立ち上がって、壁の方へと向かう。そして何気なく手を差し出して、

 手が、壁に触れた。

 触れた。夢なのに。夢だと思っていたのに。

 確かに感触がある。作られた壁の質感。

 あり得ない。夢の筈なのに。ここは確かにある。

 ……ならどちらが。

 感覚は、ここが現実だと認めている。だけども少なくともここに見覚えはない。至った経緯も解らない。

 それにそれまでに居た筈の森の事、しっかりと覚えている。

 どちらが正しい。どちらが夢だ。

「やっと、動けたね」

 唐突に耳がその音を拾う――。

“じり”

 という、一つの雑音。

 それが、女――の声と重なって聞こえた事に、違和感を感じた。

 ――これは誰の匂いだろうか。

 それはいつか嗅いだ事のある匂いだ。

 近い。近くにある。

 ……?

 おかしい。

 どうして私は、その匂いが人のものだと断定している?

 それは只嗅覚が感じ取る情報でしかない筈で。

 いい匂いや嫌な臭いを嗅ぎ分ける事は出来ても、人の匂いを嗅ぎ分けるなんて。

 ……犬や狼でもあるまいし。

「死んでいないなら生きているか。受けているなら拾えもする――」

 いや、それを断定出来たのは、その匂いをよく知っていたから。

 いつも近くにそれがあったから、今のこの状況で鋭敏になっているだけだろう。

 何が犬か。

 このおかしな状況に、まともに頭も回らなくなっているようだ。

「うん。やっぱりこちらが正解かな。そうだね、間違いじゃあなさそう」

 知らない女は一人、勝手に納得している。

“じり”

 雑音がまた、一つ大きく鳴った。

「幾ら代を重ねようと、この子らがすっかり忘れていたとしても、アサカエの中には彼女が居る。イリカになんとしてでも生きて欲しいと願った、あの土雲が」

「お前――」

「でも、やっぱり君もおかしくなりそうだね」

 ……何か、勝手な事を言ってくれる。私が問おうとしている事にはなんにも答えない癖に――。

「いずれ君は君でなくなる。それまで君が生きているか、それも知らない。それでも君は、今の所は予想に近い」

 だから、お前は――、

「誰だ」

「私は私。それ以上、今の君には知りようなんてない。君は本当ならここに居る筈がない存在だからね。君は限りなく目覚めに近い夢。かつての土雲の血を引くお客様。だからここに居る事くらいは出来る。っふふ、面白い。それはやっぱり君が異端だから? それとももう居ないから?」

 言葉はすらすらと紡がれる。だけど言っている意味が、解らない。やっとまともに答えが返って来たのに。

 それとも。それは私の問いに対する難解な答えだったのか。

「一つ、予言をしてあげる。予言だからあてにならないかも知れないけれど、今の君なら多分当たるよ」

 予言……それは望みの答えとは程遠い。寧ろそんなものに興味はない。私が今望むのは“今”しかない。

「君はいずれ、二つのものを消す。今は望んでいなくても、君は必ずそれを望むだろう。笑いながら、喜んで、狂い愛するように二つのものを消し去るんだ。或いは消すのは一つかも知れない、その場合、もう一つは修正力が動くのかな」

 だけど……その言葉に、何か心引かれるものがあった。なんだろうか、それはとてつもなくおかしな――矛盾を孕んでいる内容のように思えるけど。

「そちらが、真実か――」

 また、違う声が聞こえた。

 この声には――本当に聞き覚えがある。

 それは――、

「真実かどうかは不確定。だけど事実の一つには違いない。いずれ成る可能性の一つ。私は経過は見えるけど、結果までは開けてしっかり見ないと解らないよ」

「お前の限度はそこまでか。成程、確かに私とは遠い」

 間違いない。

 先生の、声。

 その方に眼をやると、先生は部屋の端の椅子に腰掛けていて、静かに煙草を吸い、煙を吹いていた。

「先、生……?」

 確かに、私の知る人だ。

 じゃあ、ここは先生の……?

 だけど、ここは先生の工房とも雰囲気が違う。あの工房に居て、こんな全部が真っ白な場所があるなんて知らないもの。

 本当、一体ここはどこなんだ。

「“今”には意味はない。ここがどこかも問題ではない。どうせ泡沫、すぐに消える場所なんだからな」

 ……先生は難しい事を言う。当たり前か。だから先生なんだろうから。

「だからといって、考えを放棄するのは愚者のする事だ。ユエン、お前にとっての現実は確かにあるんだからな」

 ……現実。

 そう。ここは現実とは違う筈。じゃあどうして私はここに居る? ここで目覚めた意味はなんなんだ?

「目覚めて後悔するくらいなら、そのまま死んでいれば良かっただろう」

 先生の言葉は冷たい。

 それでも私はその言葉をしっかりと受け入れていた。

 先生の言う通りだ。

「でも、死ねませんよ」

 ここは夢なんだから。夢の中で本当に死ぬなんて事、私は知らない。

「ああ、そうだったな。お前には死なない為の契約がある。施行されている以上はまだ正常だが、いずれ矛盾は拡大する。死ねはしまいが、喰われるぞ」

「呪い……みたいですね」

「いい例えだ、あながち間違ってはいない。強力な意志による空想の類は呪いと同格にある。或いはそれはかつての方陣だ。そもそも歪みは二年前からあった筈だが、修正されるには時間が足りなかったか。やはり予測は正しいようだが?」

「予測は常に最善が選ばれる。結果がそれに追い付いて来るだけ。正しいかどうかは問題じゃあない。予測なら幾百も出来るけれど、結果は常に一つしか選ばれない。私の認識はそんなもの」

「そうだったな。お前の認識は正しい。もっともそれが認められるのであれば、お前は常に最善を選べる筈だが。この結果はお前の望みに当て嵌まるか」

「私が願える結果なんて、今まで当たったためしがないよ」

「それは皮肉な。“刻遣い”らしくもない」

 二人して、難しい事をのたまっている。私は一人、置き去りにされて。

「出来るなら……ここがどこなのか、教えてくれませんか」

「ここがどこか?」

 語り合いながら、私の声は拾っていた。

 先生はその問いに、一つ煙草を吹かした。

「そんな問いに意味などない。ここは異なる世にあって、現実にはない場所だ。お前に解りやすく言うならば、限りなく覚醒に近い夢だよ。現実とは程遠いがな。……しかしそれに気付けるのは大したものか。矛盾を内包するからには矛盾に敏感になるか」

 言っている事は難しいけど、つまりここは……やっぱり違う場所なのか。

「現実を何で区別するかは人それぞれだ。この場所も間違った場所ではないが、それを正しく認識するにはお前はまだ若い。現に、お前はここに違和感を感じているだろう? それは“この”世界との繋がりが希薄になっている証拠だ。現実のお前もまた同じ。夢を夢と認識出来るケースは本来珍しいものだが、お前の場合は少々特殊だ」

「……そんな説明、先生しか解りませんよ」

「結論だけ言うなら、お前はもうすぐ覚醒する。目覚めは恐らく地獄の続きだ。

 精々心しているといい」

 頭が、くらりとする。

 そうか。先生の言う事は正しい。ここは違う場所。なら私は目覚めないといけない。

 ここに来たのは、きっと、夢か幻なんだろう――。

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