1 1-13 直情的彼女
{
私はそれを望んだ。その為に貴方は望んだ。
貴方はそれを望んだ。その為に私は望んだ。
私は貴方の何? 貴方は私に何を望む?
}
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なぜ、人間は未知を恐れると思う?
例えば暗闇だ。視界からはなんの情報も得る事は出来ない。そこになぜ恐れを擁く?
例えば自分の知らない術式を展開するのに、必要以上に緊張するのはなぜだ?
そういった恐れは、大抵は未知から生まれるものだ。
ならばなぜ未知が恐れを生み出すのか。その理由は只一つ――。
それは死だよ。死というものは未知の究極なんだ。そうだろう。人は己の死の先を想像出来ない。生きている人間は死んだあとの世を見た事がない。死後の世界――なんて教えもあるが、それさえあるのかどうか不確定だ。だろう? 死んで生き返った人間という事例もなくはないが、そいつが死後の世界を体験して来た、などという話は私は聞いた事がない。
どれ程論理で武装を施し、宗教などでそれを保障させようとも、自分の死の先を見通す事は不可能なんだ。生きている限りはな。
生物にとって、未知とは見えない死を連想させる。生物の本能から来る恐れ。だからこそ、未知の解明には躍起になるんだ。下手に知恵を持つが故に、下手な屁理屈まで捏ねてな。
無知であるが故の罪、という言葉もあるが。結局の所、人は全てを知る事など出来ないんだ。それこそ生まれながらにしての罪人だよ、私達は。
私は――他よりは軽いかもだがな。
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ある雨の日。とある町の路地裏の、薄暗く怪しい通路にて。
旅の途中に、そのざまを見付けた。見てしまった。
「……穏やかではないな」
男が三人。そして、女が一人。
その男女が向かい合っていた。女は建物の壁にもたれ掛かっていて、それを男達はじっと見ていた。
とてもでないが宜しい組み合わせではない。と言うか、一見して既に危ないを通り越していた。
……男三人。それはいい。興味なんてないし、女を襲うような奴がどうなろうと、或いはどうなっていようと知った事ではない。
……女一人。こちらはなんと言うか。襲われたとか犯されたとか、そんな問題では既になくて。
はっきり言うとだ。
右の脇腹に短刀が突き刺さっていた。
「……冗談」
思わず言葉を口に出してしまっていた。
その声に男達が気付いたらしい。しまったと思うのも遅く、しかし男達は明らかにうろたえ始める。
……少女を見やる。まだこの国では見慣れぬ白い長袖の西方服を着て、黒く長い洋袴を履いている。そして腰まで届く長い黒髪を頭の真後ろで束ねている。只、上着の方は短刀が突き刺さっている所を中心に赤く染まっていた。
そいつは、酷い敵意を目に映していた。私の方は見ていなかったが、まるで目の前の連中、全てを殺してやろうかとでも言いたいように。
束の間。
少女は糸が切れたようにへたり込み、男連中も、ばつが悪そうにしてそそくさと逃げ出していった。
残ったのは、壁にもたれて座り込んだまま、荒い息を吐く少女と、まったく運悪くこの場に出くわした私。
……なんなんだろうなこの図は。
「具合はどうだ? 介抱は要るか?」
ゆっくりと、近寄って流血をしている少女の前にしゃがみ込み、声を掛ける。
容態はいいとは見えなかった。こいつを見付けた時から一対多数で囲まれていたし、少女には外傷も多い。貞操も奪われているかも知れないが、それ以前に腹の刃物がどうなんだ。これが先が長くないと解ったなら、精々役にも立たない慰めでも掛けて、有耶無耶の内に立ち去るくらいしかしてやれない。私は坊さんなどではないのだから、お経とかは唱えられないぞ。
……女は私の声に答えなかった。
或いは、もう答える力さえもないのかも知れない。
そうなると本当にお手上げだ。もう私に出来るのは神様仏様辺りに祈ってやるくらいのものだろう。
「……」
黙祷を捧げてやる。
そして私はその場を通り過ぎ――、
「……待ってよ」
呼び止められた。
「動けるか」
振り返る。目を閉じ、今にも死に掛けていた女が、苦痛に歪む笑みを浮かべてこちらを見据えていた。
「動けないよ……だから駄目なんだ。君が居ない間に奴らが戻って来たら、その時が僕の最期になるよ」
そうだな。最期にされるかは解らんが、もしあの連中が戻って来たらどうなる事やら。ちらりと見た感じ、奴らは普通に悪漢に見えはしたが。何せこうして女を殺し掛けるような連中だ。この場に置いておくのはまずい。それでなくとも放っておけば出血多量で死んでしまうのは目に見えているだろう。
ならばどうする。一番いいのは第三者がこの場に加わる事だが、あんなごろつきが根を張る場所なだけあってか、この路地裏はまるで人通りがない。
この場に居るのは二人だけ。
ああそうか。つまりは私こそが第三者。
「これも何かの縁だ。こんな僕を見付けてしまったからには、責任を取ってしばらく面倒を見てくれないか……嫌だと言うなら無理強いはしないよ。この世の誰も、己の命が可愛いからね……その俯角まで干渉する事は僕には出来ない。明日の新聞が見物だね……ああ、僕は見られないかも知れないけれど」
息絶え絶えに。……だが脅迫の類だ。それも微笑みながら。
物凄く怖い。まともな人間だとは思えない。
ここまで喋れる気力があるなら、放っておいてもいい気がする。
が、仮にこの件が明日の新聞にでも載っていたら、相当寝覚めが悪いのは間違いあるまい。見ないとしても、噂を聞いたり耳に入ったりとか、まったく最悪。
「見返りを要求するぞ。お前が助けろと言ったんだから」
「勿論……なくなる筈の命を拾えるんだからね……君が望むのなら余す所なく差し出そうじゃないか……金でも、命でも、貞操でも」
やはり捨てていきたくなった。
多分、いや絶対、こいつは危ない奴だ。いろんな意味で。
だがこれは間違いなく命の危機だ。それを見放す程の外道にはなりたくはなかった。