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二重季節 -Alignment Minds  作者: 真代あと
マイナス二話目 季節周期 -Dark of Memory
159/277

-2-14 危機的な今

 一つが迫って来た時には、既に死の臭いが充満していた。

「がはっ」

 普段聞く機会のない、鈍い音。その瞬間にイスクの体が私の横に倒れ、後ろへと転がっていく。

「イスク!」

 まずい。このままじゃ駄目だ。あの時出口の門でこいつらに対抗出来たのは、充分な人数と術力をほぼ溜め込んでいたからだ。

 ここでは、そのどちらもない。加えてイスクには、残りの矢が殆どないだろうに。

 座して死を待つ、なんて考えたくもない事だけど、このままだといずれそうなる。なんとかここから逃げおおせる事が出来たとしても、この妙な空間からどうやって出れば――。

「……くそ、舐めた真似しやがって」

 イスクがまだ立ち上がる。体の至る所から血が滲んでいるのに。

「イスクもういい! なんとか逃げる方法を考えて!」

「そんなの、馬鹿な俺に出来る訳ねえだろ」

 自慢出来る事か。シズホの方も、疲れが大きいからか、眼を使う事も出来ていないというのに。

「雷、撃――」

 雷を現す術。だけどそれも弱々しく現れるだけ。術力が尽き掛けている証明だ。

 眼に頼り過ぎたんだ。なら、あとは私が突破口を作るしか。

「暴風――実行!」

 風の力を、一か所に集中させて放つ。先程エンが使っていた手だ。どこでもいい、何匹でもいい、化物を吹っ飛ばして隙間が出来れば、逃げおおせる希望はある。とにかく今は、逃げる道を――。


 立ち上がった瞬間には、背後にある異常に気付いていた。

 直ぐさま左腕を差し出す、金属に力が掛かる重い音。

 右腕を突き出す、その手に仕込んでいる弓から放たれた矢が、左で止めている自身の何倍もの大きさに見えるその腕に突き刺さった。

 一瞬の怯み。受ける左腕を勢いよく払い、そのまま遠隔で矢に仕込まれた術力を爆発させる。

 かなりの深手、それを与えられた熊の怪物は、大きな唸りを上げて腕を引いた。


 一閃――目の前の狼の足を裂いた時、後ろで大きな唸りが聞こえた。

 眼をやるとイスクが背を向けたままこちらに下がって来る。先程の唸りはそちらからか、そこには大きな熊の怪物がのた打ち回っている。

 ……今なら逃げられる。奴らに深手を負わせた訳じゃない、今は機会の一つだ。囲まれてしまえば、あんな奴らをまともに相手には出来ない。

「行くぞ二人共!」

 真後ろに居るイスク、隣で詠唱を行なっているシズホを確認し、私は走る。二人も共に来る。

 あとから姿を現した怪物、それに向かって、

「風精の下に……“旋風”“対する”“双風”」

 発現。

 シズホから周囲に放たれる術球。そこからそれぞれが風を現し、一点に向かって直進していった。中心には、後ろを追う鳥の姿をした魔物。

 爆音、二つの渦が捻れる。その風は刃ではなく、断絶。

 風に巻き込まれれば、否応なく中心にまで押しやられ――そこに待つのは真逆の流れ。

 全く対する暴風に挟まれれば、柔な肉など、

 ――ぶちり。と、

 そんな音が聞こえるように、魔物の羽が二つに捻じ切られた。

 こちら。

 口に出す前に二人の手を取り、その真横へと逃げ道を変更する。

 先程の術で全てを仕留められたかどうかは解らない。法術は確かに強力な攻撃手段になり得るが、その大抵は一撃で命を奪える程の攻撃にはならない。法術はあくまで人の力で現すものであり、如何に強大な意味を付けられた力でも、術者がそれを想像出来なければ充分な威力を持たない。それに所詮は見習い程度である私達に教えられる術などたかが知れている。この中でそれの例外はシズホだけだ。

 しばらくその筋を走って、それが目に留まらないずっと遠くになった所で、手近の木に寄り掛かるように止まった。

 ……息が続かない。突然現れたあの化物を延々相手にして、体力など殆ど残ってはいない。

 体中が無理を示す悲鳴を上げ、肺は大きく息を繰り返し空気を求め続ける。

「くそ……あ……いつら、ふざけんな……まじにやりやがって……」

 この状態でよく悪態を吐けるものだ。息を切らせながら、イスクは言う。

「シズホ……大丈夫か」

 見やると、息こそ乱していないものの、気だるそうにうずくまっている。無理もない、奴ら相手に休む間隔もない程に法術を発現して来たんだ。私達に体力が残っていないように、シズホには術力が残っていない。

 その手に持つのは、複雑に字の書かれた数枚の札。そして周囲にも幾つかが落とされている。私達を囲むように落とされているそれは、その内の空間を分断して隠す、結界。

 ここまでに追い詰められても、シズホはやるべき事をこなしてくれた。

 ……一人だけに頼り過ぎた、今度は私が――。

 不意に、聞こえた鈍い音。

 木の幹を削り取り、その手前に居たイスク。

 その右肩に、虎の爪が、食い込んでいる。

 シズホがイスクへと駆け出し。

 瞬間に私は詠唱を始める――。


 虎の直前に迫り、その手のひらを――、

 現す震動を、背後へと放ち、

 顔面へと叩き付ける――。

 現れた鳥の翼を弾き飛ばす。

 打ち倒した、それを確認して振り返る。

 シズホの目の前にあった虎は、その一撃に完全には怯む事はなく、シズホへと牙を向け、

 確かに入った筈の手のひらの奥から、表情とも言えない書き殴ったような歪な形相が覗いていた。

 それは、見るものに対する、絶対の敵意。

 ――これが人を襲い喰らう化物の――。

 ――吹き飛ばす。

 発現した突風がシズホを強引に弾き飛ばし、その間に手に持つ刃を虎に向ける。

 ためらえない。虎は獲物を捉えずに体勢を崩した。そのままその顔面へと、刃を突き立てる。


 小さな呻き。目の前の虎から発せられたとは思えない程の小さな呻き。その瞬間に、虎は絶命し、崩れ落ちた。

 ……。

 倒れた。動かない。……ああそうだ。シズホは、イスクはどうなっている。

 とっさの事とは言え、シズホを吹き飛ばしてしまった。加減も出来なかった。虎の食い物にされるよりはいいだろうけど……。

 イスクの方も、かなり深く肉を抉られていた筈だ。

 二人を見る為に視線を向けて――。


 私はそれに、やっと気付いた。

 シズホは無事だ、イスクも怪我は酷いけどまだ動きがある。

 だけどそれ以上に、多くの動き。

 ――ああそうか。

 私達は逃げられたんじゃなくて。

 追い詰められたんだ。

 既にこの場は、化物達に囲まれていた。


 障壁の術を張り巡らせる。

 もうそれくらいしか、抵抗するすべが思い付かなかった。

 ――助けて。

 助けて、エン――。




 シズホとイスクはまだ動けない。――それどころか、深手を負ったその体は、流れ出る血と共に、いつその命までも流し出してしまうようで。

 直前に、大熊が迫る。障壁に阻まれている筈のその形は、だと言うのに少しずつその腕をめり込ませて、目の前に、鋭い爪が、やがて太い腕までも現れる。それは障壁に曲げられながらも、確固たる意思を持って。

 破られている、これ程術力を込めていると言うのに。これが私の最大だというのに。

 迫る。障壁に阻まれたままの、非常にゆっくりとした動き。それは確実に私に近付いている。私の障壁を突き破る程の力を以て。

 迫る。迫るそれを凝視すると、それは赤に彩られていた。

 赤。赤い爪。熊の爪はそんな色をしていたのか。

 迫る。全身が敏感に反応している。違う、それは赤かったんじゃない。

 赤いだけで錆びた鉄のような臭いを発するものか。元より赤いならなぜ。

 ――その赤は、見覚えのある鮮やかな色をしている?


 赤くなっていた。

 幾重にも重ねられたそれは。

 幾重もの死を現した形。

 人を流れる、命だった朱色。たくさんのそれで濡れていた。


 迫る。私の顔に迫るそれは、本当の間近。

 視界を覆うその手は。私の思っていた死そのもので……もの凄く、怖い。

 拒絶したい。

 目を背けたい。

 だけどそれでも耳に響く唸りは。鼻に付く臭いは。間近に迫る感触は。

 ――なんて事。自分の意思で否定出来るものは、目しかない。耳も鼻も体中の感触も、単体では閉じる事が出来ない。否応なしに私に入り込んで来る。

 来るな。そんなもの私は要らない。

 手を上げて、それを払う。来なければいい、もしその手が届いてしまえば、私は――。

 幾度も払う。全力を込めているのに、それは僅かにしか引き退いてくれない。

 払う。来なければいい。それが来ない間は、死も来る事はない。

 ――突然、腕が止まる。

 払えない。動かせない。早くしないと目の前のそれが――。

 抵抗しようと凝視すると、それは私の腕を掴んでいた。私の左腕が、どんなに抗っても動いてくれない。

 力が込められる。ゆっくりと。怪物としか思えない太く荒いその腕からは思いも出来ない、優しい力。

 それが少しずつ、優しさを越えてゆく。強引に。乱暴に。敵意を持って。

 遂にはそれは、私の想像を越える。骨が嫌な悲鳴を上げる。あるべき肉の感覚が消えていく。

 痛い。痛みさえ通り越して。それは徐々に、死を現し始めた。

 寒い。寒さが死と共にそれを包んでいく。

 死ぬ。死が少しずつ大きくなっていく。腕が生きる事を止められていく。

 潰れていくそれが、朱も現さず、黒に滲んでいく。

 怖い。なんて怖いもの。こんな怖いものが私を覆う。

 死が腕に留まらなくなった。

 腕を越えて肩――、

 肩を越えて胸――、

 胸を越えて首――、

 右肩――、

 腹部――、

 右腕――、

 頭――、

 足――、

 爪先――、

 冷たい。寒い。怖い。

 全身に死が滲んで来る。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 私はそんなものは欲しくない。

 如何に生が実感出来なくとも、まだ生きる目的はあった。

 私はそれを果たしていない。私はまだ死んではいけない。望まない。

 だと言うのにそれはますます濃く現れる。

 決して消えない、一つに染まる形。

 私を支配していたもの。私を支配して“在った”もの。

 全てを上書きして。

 一つに染まるそれは。

 潰れたそこから現れたそれは――。


 黒くもない。白くもない。

 私は想像さえしなかった。

 一つだけの××色。

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