-2-6 予感していた不穏
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今回の試験、全部の中心は寺院の管理棟にある。その門の部屋を出て、すぐに背後から足音が駆けて来た。特に振り返らずともその人物は特定出来る。
「どこに行く。シエン」
予想通りの声の主に振り返る。リーレイア・クアウル――私の寺院内において最大の理解者であり、最大の変人であり、尊敬する師。それは先生の下から離れた今となっても変わっていないつもりだ。
「んあ、ああ少し見回りに」
「何か問題でもあるか」
軽い口調で答えたつもりだけど、しかし先生は真剣に問うて来た。
「はあ? いやいやそんな、暇潰し序でですよ。今は特にやる事もなくて暇ですから」
「誤魔化すな。これでもなかなか付き合いは長いからな。不肖の弟子でもお前の事はそれなりに理解しているつもりだ」
煙草を吸いながら、先生は言ってくれる。
「いい事言いますね。呑みの席なら泣いてたかも」
「だから誤魔化すな……何をがあった」
「何も、今のところおかしな事はないですね。雑音が聞こえるだけで」
「雑音……?」
「小さいですけどね。目の前にあるだけで嫌悪するって言うか。“じりじり――”っていう最高に気に入らない雑音。そんな感じしません?」
……先生は答えないまま、考え込む。それはつまり、その問いが他人にとって思ってもいなかったと言う回答、そのものを示していた。
「そうかごめんなさい。気のせいかも」
「……いや、調べてみよう」
「んえ?」
気のせいかも知れないと。なのに先生は意外にも、真面目に考えてくれていた。
「言っただろう、お前の事はそれなりに理解している。昔から特別敏感だったからな。おいそれと無視は出来ん」
「……うん、ありがとう。一応あいつの為にもね、変なちょっかいは極力なくしとく必要があるんだ。という訳で見回りして来ます。何かあったら教えて下さい」
そうして見回りを再開する。何もない――と思えなかったけど、異変があるとすればその芽は早くに潰しておくべきだ。
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見回りを始めて半刻程。特に現状、気に掛かる所は見当たらない。
うーん、気を張り過ぎたか? リイの忠告も外れたかな。
試験官なんてやるのも初めてだけど、こうも何もなかったら退屈にも感じて来る。門の中ではてんやわんやなんだろうけど、それに私達が介入する余地も今のところない訳で。
「ふあーあ……」
眠気がして来る。試験官とか、こんな事する機会なんて多分エンが参加しているこの一回限りだろうな。こんな退屈、何度も引き受けるもんじゃない。
まだまだ試験の時間はある。思えば私はどれだけの時間を掛けて試験を乗り切ったんだっけな。
「うーん」
よく憶えていない。無我夢中――或いは乗りと勢いで一人で進んでいて、気が付いたら歴代最速、なんておまけが付いて来た、それだけの事。
当時はそんなの関係ない事、って思ってたけど。それもあとあとになって利用出来る事になるなんてなあ。人生、経験に無駄はないってこういう事か。
利用出来るものはなんでも。
無茶だろうがなんだろうが、今そのおまけが生きているなら、それで良しか。
「あの」
突然声が掛かる。私の真後ろから。
「もしかして、アサカエ シエンさんですか」
狭い、建物と壁の間。一本道の通路のようになっている所で。
「そうだけど、何?」
振り返る。そこには一人の少年が立っていた。年の頃は、エンと同じか……少し下だろうか。それならここの院生だ。ここには一般人は入る事が出来ないし。この年齢でこの場に居るという事は、法術師か寺院生以外にない。……一人の例外が居るには居るけど、それはまた別の事だ。この少年とは関係ない。
「お願いがあるんです」
少年が言う。まだ声変わりのしていない可愛らしい声だ。
「お願い……?」
「仕事の依頼です。一緒に来てくれませんか」
顔に柔らかい笑みを浮かべている。それもまた可愛らしいと言えるものだったのかも知れない。だけども表情とは違う、思ってもいなかった言葉がその口から出て来た。
既に、おかしい所は山程あった。先程からの違和感、雑音、そして少年の態度。だけどまだだ。意図が解らない以上は自分の態度を崩さない。
「……残念、私は今お仕事中なの。他当たってくれない?」
「仕事の依頼です。一緒に来てくれませんか」
少年が繰り返した。全く同じ口調で。
……これは、もう無視は出来ない、明らかに私に用がある。それも特別に厄介そうな。
「仕事の依頼です。一緒に来てくれませんか」
口調は変わらない。それどころか、言葉の間隔、表情も、全てが先程と同じだった。決められた動きをする人形のように。――そんな事をする奴を、私は一つ知っていた。
思わず、左足を後ろに下げた。それは私に、想像以上の危機を知らせている――。
「……聞き入れない」
少年が言葉を洩らした。先程までとは違う、平淡な感情を感じない声で。その表情だけが変わらず、異常なまでの違和感が滲み出た。
瞬間、私の背後に気配が現れた。
正直動揺は隠せなかった。背後とは言えここまでの接近を許せる程、私は鈍くはないつもりだった。
だけど自制心を狂わせる程愚かでもない。素早く、しかし少年にも気を向けられるように、半分だけ首を振り向かせる。
通路の間。壁を背後に、右側には今まで居た少年。左側には現れた気配。挟まれた形に私は居る。
ちらりと目をやると、それは少女だった。少年と同じ年頃で、首元には十字の印がある。最大の違いはその表情、全く何の感情も、そこに浮かんではいなかった。緊張でもして固まったような顔だった。
「聞き入れない」
少年が呟く。表情は笑顔のまま変わらず。
「聞き入れない」
少女が呟く。少年と同じ、平淡な声で。
「聞き入れなければ、開始する」
少女が続けた。
「あんた達……何?」
訳の解らない問答。その意図するものは汲み取れなかったが、それが連想させる予感が、決して穏やかなものにはならない事が、なんとはなしに読み取れた。
なぜなら、この場における少年達の存在そのものが、既に異常なものなのだから。
「開始」
少女が言った。
宣言通り、少年の背後から、何かが光った。そしてほんの少しして、轟音が響いた。
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