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二重季節 -Alignment Minds  作者: 真代あと
マイナス二話目 季節周期 -Dark of Memory
148/280

-2-3 明日への期待

「……雨、あがらないですね」

 暗くなった時刻。居間の障子の向こう、外の様子を見ながら母さんが言う。

 昨日の夜から続いている雨。

 暗い夜と重なっているそれは、まるで今の私の心情のようだった。

 先の見えない暗い世界。いつまでも止まらない水滴の鳴らす音。

 私の力が通用しないなどとは思っていないけど、それでも、未知なるものへの不安、そして恐れは簡単には消えるものじゃない。

 解っている。解っているのに、心はそれを完全には受け付けてくれない。

「明日は、大丈夫でしょうか……」

「そんなもの、雨くらいでどうにかなるものでもないでしょ?」

 明日の試験の事を言っているのだろう。母さんの言葉に、卓の前に座って頬杖を付いているエンが答えた。

「でもね……明日はユエンの大事な日ですから、やっぱりちゃんと晴れていた方がいいと思いません?」

「うん……それは、まあそうかも知れないけどね」

 まあ、気持ち的には、晴れているに越した事はない。すっきりした天気であれば、自然と心持ちも爽やかになるのは否定しない。

 だけど実際に試験を受けるという事に関しては、それはあまり関係のない事だった。その試験は晴れでも雨でも関係なく、日程通りに行われる。それに試験を受ける者全員が同じ条件なんだから、全く問題のない事だ。

「それに、昨日から洗濯物が干せずに溜まってしまって……お日様が出ていないと、ちゃんと干せません……」

 頬に手をやり、困った表情をする母さん。

「そんなもの家の中で干せばいいじゃない。なんなら私が乾かしてあげよっか?」

 エンの言葉に、母さんは更に困った顔をする。

「うん……でもシエン、ずっと前に同じ事やって、洗濯物を燃やしてしまったでしょう」

「うっ……」

 ……それは私も覚えている。

 私達がまだ小さい頃。雨の日に洗濯物を乾かそうとして、私は暖炉を使えばいいと言ったのに、「大丈夫任せなさい」などと言って、エンが当時覚え立てだった炎を現す法術を使ったら、火力が強過ぎて危うく火事になり掛けたという話。

 当然それらの洗濯物は見るも無残な状態になってしまい、当事者のエンは、その時母さんから静かに、それでいてこっぴどく叱られていた。

「そんな昔の事、大体私ももうそんな子供じゃないんだから」

「っふふふ」

 エンの物言いに、自然と笑いが出て来た。

「そこっ! 笑わないっ!」

 今となっては幼い頃の微笑ましい昔話だ。そういう事にしておこう。まあ今でもエンにはそういう、自称お茶目な所があるのだけど。

 本人は否定する時もあればしない時もある。気分によってまちまちで、はっきり言えばいい加減なんだ。

「貴方達はまだまだ子供なんですよ。私から見れば永遠に子供ですけど」

 そう当たり前の事を言いながら、食卓に置かれている茶碗に茶を淹れる。

 茶碗から薄い湯気が上がる。半分の境目まで茶を淹れ、香りを楽しむ。

「それにしても、本当に晴れてくれるといいんですけど……」

「ふう……お天道さんの都合なんぞになんやら言っても仕方ねえだろよ」

 その時、道場の片付けをしていた父さんが居間に入って来た。

「そうは言っても、こうまで暗いと」

「俺の子だぞ? 俺はこいつを軟弱に育てた覚えはねえからな。雨が降ってる程度じゃなんともならんさ。なあ、ユエンよ」

「んえ、ああうん」

 どういう根拠で言っているのかよく解らないけど、まあ父さんなりに思う事があるんだろう。

「な? そんなに心配ばっかしてやらんでも上手い事やるんだよこいつらは」

「そう?」

「もう少し気楽になってろ。お前が心配してどうなるって訳でもねえだろ。勝手になんやらやって勝手になんとかするってもんだ」

「ふうん……ふふっ」

「んあ?」

 珍しく、母さんが微笑んだ。あんまり感情を表に出さない人なのに。

「メイスケはね……」

 母さんがエンに向き直って。

「あんな格好いい事言ってますけど、シエンが家を出てしまってから、ずっとうわの空になってしまって。ご飯も手に付かない程――」

「なっ! 馬鹿! そんな事ねーっての!」

 母さんの言葉に、父さんは思いきりうろたえる。……あの時の父さんの気持ち、私としては解らないでもなかった。

 私だってエンが旅に出たあの時、どうしようもない程の寂しさを覚えていた。

 大切なものが抜け落ちたような気持ち。当たり前のものがなくなってしまったという虚無感。

 しかし、あの時の父さんの凄まじい落ち込みようは、自分の父親として情けないと、初めて思わされた瞬間でもある。

「いいじゃないですか。自分の子を心配して悪い事なんてないんですから。メイスケも久しぶりにシエンが帰って来てくれて嬉しいでしょう?」

「へっ……まあそういう事にしておいてやるぜ」

 素直でない父だな我が親ながら。

 ……だけどそう。正式に法術師となってから、エンは殆ど家に帰らず世界を歩き回っていた。たまに、風の噂でその活躍が聞こえて来るくらい。

 それが法術師となった、エンの意思……だと割り切ろうと思っていたけど、やっぱりそれで寂しさを紛らわす事にはならなかった。

 抜け落ちた欠片は、同じ物でしか埋められない。

 だからエンが帰って来た時には、私も、

「……私だって、なにも心配ばかりしてる訳じゃありませんよ。只平穏無事でさえいてくれれば……それでいいんです」

 ……みんな、色々と想っていてくれている。本来なら、私はアサカエの跡取り、神社の事を一番に考えないといけない立場だというのに。

 みんなの心持ちをはっきりと感じ取れた、この瞬間。

 だけどそれでも、雨の降る音は、いつ終わるとも知れずに続いていた。




 最終試験当日の朝。数日前からの、家族四人で取る朝餉。

 日々忙しく動いていたエンが久々に帰って来て、みんなが嬉しい様子だった。

 勿論、私もだ。

 いつもよりも明るく感じられる談笑の時。それは二年程前にはいつも同じようにあった事だった。

 朝餉なのに、少しばかり豪華に彩られた食事を終えて、いつものように片付けようとした私を母さんは制した。今日くらいはいいから、落ち着いていてください、と。

 因みにここ数日、我が家では同じように豪華な料理が食卓に並んでいた。

 理由は二つ。

 エンが帰って来たお祝い。それと、私の試験に関する願掛け。

 それだけ、この事は母さん達にとって嬉しい事だったんだろう。

 私はこの時、まるで子供だった頃のように、ある事を思っていた。


“この時が、ずっと続けば――”。


 幸せな日々。

 エンが、

 みんなが、

 家族が一緒に居て、

 みんなが笑っていられる。

 今この時が、ずっと続けば――。


 だけど、時間は流れ行く。

 そろそろ寺院へと赴く時間だ。

 ……赴かないといけない時間だ。

 私は一旦部屋に戻って、必要と思われる物を纏め、それを持つ。

「じゃあ、行くよー」

 玄関で待っていたエンが声を掛けて来る。

 法術師として有名となっているエンは、今回の試験における特別試験官を引き受けていた。その為に久しぶりに帰って来た訳だ。つまりは仕事の序でとしての帰郷。

 とはいえ、だからと言って試験に何かしらの影響を与える訳は、当然ない。

 私が挑むのは、あくまで自分の実力。不正は許されない。

 そうでなければ、この試験を過去最高成績で突破したエンに追い付く事など出来よう筈もない。

 そしてエンにも、そんな気はさらさらなかった。

 普段は優しいが、厳しい時にはとことん厳しい。

 それに、エンにとってはそれこそ無意味な事だった。

「そんなのどうでもいい事でしょう」

 私は試験前に帰って来たエンに、試験官なのにここに居ていいのかと言った。

 その答えにエンが言った言葉。

 全く意味を成さない、実につまらない質問に答えるように。

 信じている、という事か。

 それとも、これくらいは自分の弟ならば出来て当然と思っているのか。

 ……どちらでも良かった。そんな事はどうでもいい。

 一緒に居られる時間が持てた事。

 大切な時間を過ごす事が出来た事が、私にとって何よりも良かったと思える事だったから。


 エンと一緒に、玄関を出る。父さんと母さんがそれを見送ってくれた。

 昨日の雨はすっかりやんで、雲一つ見えない、青く澄んだ空が広がっていた。境内には所々水溜まりが出来ていたけど、それもしばらくすれば乾くだろう。

 母さんはとても嬉しそうで、これでやっと洗濯物を干す事が出来ると喜んでいる。

「じゃあ、行って来ます」

 私は父さんと母さんに、そう言った。

「ああ、当たって砕けて来い」

「父さん、それ間違ってる」

 この試験は、予定として丸一日程掛かるものだという。

「頑張って下さいね。ユエン」

 少しの間、会う事は出来なくなる。

「終わったら最高のご飯、お願いね」

 だから、

「ええ」

 いつものような、いつもと同じ挨拶。

「行ってらっしゃい」

 母さんのその言葉が、ずっと印象に残っていた。

「……行って来ます」

 その言葉が、ずっと心の底に残っていた。

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