1 2-43 師と師
――“戸”を隔てて、何が起きているのかある程度は察した。幾ら寝坊助と言われるような私でも、こうまで騒がしくされると流石に目が覚める。
「……まったく」
呆れてしまう。夜は静かな時間だろうに。
取り敢えず、クオンとマノクズコ、それと他に誰かが居る事は解った。あのクオンが、夜中に騒ぎ出すような奴ではない事は解っている。
――ならばそう、想定外の事が今起こっていると考えるのは、まったく以て自然な話だ。
寝床から身を起こし、戸の所まで行って戸を開けた。
「まったく喧しい。ゆっくり眠れないではないか」
夜の暗闇の中。そこには予想通り二人が並んでいる姿と、あと二人、地面に倒れ込んでいる妖怪? としっかり地に足を付けて立っている、人形? のようなものが。
「……起きて来たね」
人形から、声が掛かる。そいつは私の方を見て、
「いきなりで悪いけど、クオン達は頂いていくよ」
そんな事を口にした。
「……笑えるのか笑えんのか、ともかく冗談としては二流だな」
あの二人は、先生からの預かりものだ。仮にも師として、私は二人を守る責務がある。
「邪魔するならば、敵として浄化してやるが」
短刀を構える。人形はそれを見て、
――くすくすくす。
と笑うだけだった。
「馬鹿にしているか。ならば本当に」
「――そうはいかんな。アサカエ エンよ」
その時別方向、真横から低い女の声がした。
「な――」
顔を向けたその時には、眼前に光る術弾が迫っていて。
「くっ」
地面に仰向けに倒れ込むようにして、なんとか避ける。術弾は、そのまま私の真上を飛んでいって、どがんと、そこにあった木を揺らした。
「この――!」
術符を投げ飛ばす。術弾の飛んで来た方に飛んでいく術符は、どがん! と爆音を鳴らした。
……どうなった? 普通ならば、当たれば立っていられない程の衝撃の筈。聴覚や脳を揺らすものを、防ぐ手段など。
「思い込みとは、毒だ。そう思わんか? 馬鹿弟子め」
聞き覚えのある、女の声が。その姿が、白衣を着ている、丸眼鏡を掛けてぼさぼさ頭の銀髪長身女性――それに思い至って、
「馬鹿な……」
呟くように言う。だって、こんな事――、
「先生?」
ある筈がない。あのリーレイア・クアウル先生が、こんな夜中の森の中に現れるなんて。
「ご苦労だったな、エン」
間違いではない。そこに居たのは、本物だ。
「……どうしてここに」
先生が、自らこんな森の奥にやって来るなんて考えにくい。
「どうしてここに? 愚問だな。引継ぎの確認だよ。ヒイラギ クオンは今から、“刻遣い”のものだ」
目当てが、クオンにあると?
「引継ぎ?」
「つまらん話だ。こんな事の為に、私まで駆り出されるとはな。だが――」
術力が、先生の手の中に現れ、その手が私に向けられる。敵意――とまでは行かずとも、私に対する意思があるのだと。
「それが望みならば、手を組む者として最大限動く。なあ、エンよ」
……先生の放った術弾は、私が人形へと向かう方を塞ぐように放たれた。
それをかわす。いや、かわさせるように撃ったのだ。その一撃を避けるには、人形に向かう距離を離さざるを得なかった。
あの人形と、共謀していると? ……だから邪魔をするな、と?
「……ならどうして、私に預けたんですか」
先生は、煙草を吸っていた。口元から、やわい煙が吹き出される。
「元々依頼は“刻遣い”から与えられたものだ。お前を使わせて欲しいと言ったのも、依頼人の指名だ」
「私を、使ったと?」
「そうなるな。お前は充分な仕事をしてくれた。お前の術式を解析出来た今、お前の役割も終わりだ」
……馬鹿な。私の力を使わせる為に?
だとするなら、これは。
「私を騙していたんですね。先生」
そう問うと、先生は煙草を手に持ってくつくつ笑った。
「今更気付いたところで、なあ」
符を投げ飛ばす。爆音の仕込んだ符は、しかし先生に届く前に何かに阻まれて爆音を鳴らした。
……見えない障壁を張っていたか。届かないのも道理だ。
「私を敵とするか? エン」
「騙しておいて、何を――」
「それがお前の甘さだ。あいつの方を見てみろ」
先生の目線が、私から逸れる。それを追って見てみると、
「何……」
クオンの姿が、おかしい。何か薄らいで見える。
「それが答えだ。ヒイラギ クオンは、どうあがこうがもう“刻”のものなんだよ」
“刻遣い”、と先生は言っていた。それは名の通りに刻を司る妖怪だと。
「クオン!」
呼び掛ける。だがクオンにはその声も届いていない様子で。
「先生貴方は――」
なぜ先生がここに居るのか、解らなかった事が今解った。
「最初からそのつもりだったんですね」
私の足止めだ。先生は、私がクオンと“刻遣い”との契約を邪魔すると解っていた。だから。
「ならば――」
煙草を吸いながら、そう言った。
「どうする?」
「……止めます」
あの人の言葉に、ためらいながらも続ける。騙されていた事もそうだが、私が本当に憤っていたのは、
――私のものを、無為に奪われる事。
それは、例え先生だとしても。あそこに居る妖怪だとしても。
預かった以上、クオン達は私に属するものと。
だから私は、あの人にも短刀を向ける。
「やめておきなよ。アサカエ エン」
脇の方から、その女の声が響いた。
「今更さ。抵抗するのは、無意味だよ。決めるのはこの子だから」
あの人形の声。そちらを見やると、クオンの姿は殆ど薄れていて。
「……済まねえな。先生よ」
そのクオンの傍には、同じく姿の薄れたマノクズコが出て来ていて、こちらを見ていた。
「お前もそうか。鬼っ子」
「俺はクオンの使い魔だ。こいつが行くんなら俺も行くさ。再就職先も悪くはねえしな」
……二人して消えるつもりか。こんな唐突に。
「じゃあな“先生”よ。あんたと居たのも悪くはなかった」
マノクズコが、そんな事を言うなんて似合わない。だけどそいつが、クオンの腰をぽんと叩く。
と――クオンの体が、こちらに向いて。
ぺこりと。頭を一つ下げて。
そうして消えていった。
「……クオン」
二人の姿が消えて、人形が笑みを浮かべたような表情をして。
「引継ぎは終わった。じゃあ、あとは任せたよ、リーレイア・クアウル」
そう人形が言った。
「ふん。さっさと行くといい。まったく損な役回りだ」
……先生が、少し苦い顔をして、それを誤魔化すように煙草を吸って、煙を吐いた。
「じゃあ、またねエン君。君とはいずれまた、会う日が来るだろうから」
そうして、人形もまた姿を消す。手を振っている最中に、本当突然に消えてしまった。
この場に残ったのは、私と先生だけになった。