1 2-23 怪盗、ナイトナイト
「――という者が、今町の方を荒らし回っているのだよ」
卓の前に座って。――ずずっ。とお茶をすすって、一つ息を吐く。
「なんだって……ないとないと?」
意味が解らん。そんな言葉、この国ではまるで聞いた事がない。
「西方言葉だね。直訳すると“夜の騎士”と言うらしいよ」
同じ言葉を二つ並べておいて別の意味とは。
「なんにしても、ふざけているな」
「ところが馬鹿にも出来なくてね。教会を始め、色々と被害が出ているんだ。主には窃盗。なんと言っても怪盗だからね。珍しいのは、人を傷付けたという報告がないんだ。獲物だけを指定して、それだけをかっさらっていくというね。そして面白い事に、名が通っている割には正体がはっきりとしていないんだ。ナイトナイトとは、いわゆる通り名のようなものでね、本名はナツバナ ミミコという。名前からして女らしいが、はっきりと顔を見た者も居ない。声を聞いた者も多いが、それも明確な指標にもならない。なぜなら彼女は、変装も声を変える事もお手の物。犯行の際にも、犯行自体の痕跡は残すが、彼女の正体についての痕跡は一切見当たらない。唯一はっきりしているのが、ナツバナ ミミコという名前。だけれども、このツクミヨのどこにもそんな名前の女が居ない」
「偽名か?」
「そうだろうね。公式には正体不明の女だよ」
むう。殆ど正体不明とは。それはまた――。
「面白そうだろう?」
にやあ、と笑みを浮かべるのが凄く気持ち悪い。怪盗よりも厄介そうなのがそこに居るぞ。
「……で、私にどうしろと?」
「うん?」
「只のネタで話しに来た訳でもあるまい。そいつに関連する何かをさせに来たんだろう?」
私の言葉に、またもにやあ、と笑うツヅカ サキ。
「相変わらず、察しがいいねえ。エン君」
「いや察しがどうとか以前にだな」
突然ここにやって来て、唐突にそんな訳の解らない話をされる。……これで気付かなければ只の馬鹿みたいではないか。
「君にはこの怪盗の捕縛、及び情報収集を手伝って貰いたいんだよ」
やはりまあ、そう来るよなあ。だが、
「……気が乗らないな」
「おや。珍しく引くねえ。何が気に入らない事でも?」
「私もたまには噂を得る事もある。名までは聞かずとも、怪盗と言われる奴が居る事もな」
「うん」
「そいつが標的としている連中、相当な悪党ばかりという話ではないか」
それは例えば、町民を騙して私腹を肥やそうという奴だったり、夜の路上で盗みを働き逃げ回っている奴だったり、役人が手を出せない程の立場に居る者の悪事だったり。
そんな奴らに対して、怪盗は行動を起こしている訳だ。一般の町人からすれば、気分の晴れる程度の話のネタとなっている。
「被害者は確かに居るさ。残念ながらね、僕らの立場としては明らかな罪を優先に罰する義務があるのだよ」
「大体だな、そういう仕事は役人連中が頑張ればいいだけの話だろうが」
「それで解決出来ないからみんな困っているんだけどね」
なんでだろうな。最近の役人はみんな弛んでいるのかね。
「要は役人共の尻拭いではないか。そんな体裁などに付き合っていられん」
気が乗らない事は本当。悪を懲らしめる悪というものは、どんな時代でも憧れを持たれるものだ。
「義賊という話も村で聞いている。民からの評判がいい事もな。私の出る幕がどこにある?」
小屋の奥の寝台に腰を下ろす。そして、
「ふうん。それで気が乗らないと?」
「まあな」
ぱたん、と簡素な布団の上に寝転がる。
「それに私は眠たいんだ。夜通しとなる作業など、私に合っているとは思えん」
「そうかい。まあ確かに、この怪盗について情報が不足している現状もある。君に手を借りるには少し事が早過ぎたかもね」
「だな。一晩の眠りが無駄になるかも知れんのだ。そんな面倒事など……、……」
「おや。エン君?」
「う、む……くー……」
「眠ってしまったか。まあ、いずれ君には動いて貰う事になろうから、充分に体を休めておくといい。では、また明日――」
・
夜とは、人間の時間からは外れている。
人間は眠るものだ。それは主に夜に。たまには昼間にも。その自然に従うのは私も同じく、意識をさっさと休めたいと、ふと覚醒した意識を、また眠りに潜らせる。
小屋の中には、寝息が一つ。その他の殆どが闇に。少しばかりあるのが、小窓から差す月の光。
こんな暗い中でうろうろとしたがる連中は、魑魅魍魎の類。そこから逃れる為に、人は家で眠り、ひっそりと朝を待つ。
……暗く、眠い。それ以上に思う事はない。
しかし――。
……とん。
きひひ――!!
――。
とんとんとん。
戸を叩く音。それが私の意識に入って来る。
……ううむ。なぜやら今日は寝覚めが悪い。妙な夢でも見たかのように。
――まだ眠っているのかい? エン君。
そんな声が耳に入る。サキの声だ。
無視してやろうかとも思ったが……居るのだから応えねば。それは人として最低限の礼儀であると思うが故にな。
のっそりと起き出して、狭い部屋を縦断する。クオンが昨日に引き続いて寝床にて眠っていたのだが、それもまあ構わないと思いながら戸を開く。
「やあエン君、おはよう」
声の主、ツヅカ サキはいつも通りの気味の悪い笑みを見せながらそこに立っていた。
「……おはよう」
「おや? なんだか今日はえらく不機嫌そうだね」
……サキ。
「虫に寝床でも荒らされたかな? なんだか嫌なものでも見てしまった顔だ」
「……サキか?」
「ん?」
「夜中に、誰かここに居た気がする」
「ほう……それはそこのクオン君とは違う?」
それは違う。クオンが寝ぼけていたとて、それならばそれで解る筈なのだ。
「そういえば、昨夜に町からこちらの方面に向かう不審人物が見られたらしい。まだ確定ではないけども、もしかすると、君は件の怪盗を見たのかも知れないね」
……あれが? 妙に気持ちの悪い笑みが頭の中に浮かんでいるが――それはうっすらと、夢の中のようにぼやけているものだった。
……そもそもだ、怪盗とやらが私の家に入って来て、何を盗んでいくのだと。価値がありそうなのは法術関連のものくらいだろうが、それも法術師でなければ利用価値なんてほぼないと言っていいものだ。
「こちら側には、君の小屋以外には件の山と、神社一つくらいしか目ぼしい所はない。夜中の不審人物も、このいずれかに用事があったのだろうと推測するが、さて、では何を目的に来たのだろうね」
んー……。
考えてみるが、寝起きのせいか頭が上手く回らない。怪盗が他に狙いそうな物など、この辺りには――。
「確固たる目的があったのだと思うね。誰かに会いに、では夜中故に不謹慎だろう。では夜でも関係のないあの山、もどうだろう。怪盗と言えど、うっかり入ると命が危ない。もしかすると、やましい目的だったのかもね。そう、例えば夜に行われるそれと言えば、夜這いか、盗みか、どちらとも、考えられるとするなら、君の所よりは――」
ぐい。とサキの胸倉を引っ掴み、顔を寄せる。
「んお?」
「……怪盗」
「うん」
「私が見付ける」
っふふ。
「そう来ないとね」
そう、思考が動く事が目的であるように、サキはにやりと笑みを浮かべた。その笑みを見ると、違う意味で落ち着く。いい意味で、という事では絶対に違かろう。気をしっかりと持たねば、喰われてしまうぞ、という戒めのような心持ちで。
……だが、しかし。
あの神社を狙いに来るとなれば、確かに話は別だ。あそこに害を及ぼす者が居たならば、それは何者だろうと必ず潰してやるからな。