1 2-20 哀れの基準
「やあ、お疲れ様だエン君。見事世に仇なす奴を打ち倒した訳だね」
少しの間、止まっていた空気が動く。サキが、まるで簡単な仕事を終わらせたような調子で、私に接した。
人型の腕をえぐるなど、気持ちのいい感覚ではないのだが。
だが。
行き過ぎた思考とはいえ、奴は確固たる信念があった。
「……世に仇なす者とはいえ」
「ん?」
サキが、私の言葉に首を傾げた。
「どうあれ奴は、己に準じた。自分を貫いて終わったんだ」
目の前の、もう動かない異国の屍を見ながら、私は彼を哀れと思ったのだ。最初に、彼が私を哀れと思ったように。
「ふうん……」
「なんだ?」
「いや。まさか奴に同調でもしているのかと思ってね」
「まさか。暴走思想なんぞに同調などせんよ」
そもそもだ。私には信じるべき神が居ないのだから。
――かつては居た。神社の息子として、その道を進み、守る事を継ぐものと思っていた。
……今の私は。
私は、あの場所には戻れん。
何もかも、なくなってしまった筈の場所に戻って、何が得られるか。
解らない。信じるものも、守るものもなくなった私に、何が出来るかなど。
「まあいいさ。結果的に仕事は成功だ。ちょっと危ないとは思っていたが」
――そう。それで思い至る。クオンは大丈夫だろうか。怪我の有無もそうだが、精神的な意味で。
「クオンよ、意識は正常かね」
へたり込んで、虚空を見つめて放心状態の様子。やはり刺激が強過ぎたかと。
気を付かせようと、クオンの肩に手を、
「がああ!」
「なっ!」
背後からの叫び声。と共に何かが迫って来る。
顔を向ける、直後に、どかりと。
「がはっ!」
衝撃。殴り飛ばされる。
背中に痛みが。つまりは背中に突撃を喰らって吹き飛ばされたのだと。
「い、今の……」
解る。マノクズコの仕業だ。なぜ――と見てみると、あいつの顔は怒りの形相で、自我も失われている様子に見える。
自分の意思がない? なのに攻撃をする意思はある。
いや理屈も解る。クオンがマノクズコを使役している状態であるのならば。
私がクオンに触れた事、無防備状態でのそれが、マノクズコにとって主の危機と捉えられたのだろう。先程の、狂信者がクオンに銃を向け、撃った時のように。
「エン君!」
サキの声が。どうやらこの流れ、サキにとっても予想外の事らしい。
「……案ずるな」
声に応える。無事だ。無事ではあるのだが。この状況をなんとしよう。
マノクズコは今、クオンを強制的に守るように動いている。どうすれば治まってくれるのか、その条件もよく解らない。
……それは相手を殺すまでか。或いは、まずクオンの目を覚まさせるのがいいのか。いずれにせよ、クオンにとっての“敵”でなくなれば、あいつも止まるのだろう、と。
ならばどうする。この状況を、なんとかするには、
「サキ! クオンを頼む!」
私が、マノクズコを止めている間にクオンを目覚めさせないとだ。サキにマノクズコを足止め出来るとは思えんし。
「うん。任されたよエン君」
そちらの方は、サキの手に任せるとして。
……正直あいつ、あの狂信者をどうにかするよりも厄介そうなんだが。腕力と素早さ、その二つにおいて、私よりも上の能力なのだとはよく解る。
……うん。二人共無事には難しい。だがやらねば。私が、マノクズコを引き付ける。
「さあ来い虚け者。相手をしてやる」
予定外にも程があるが。クオンを背後に、マノクズコを塞ぐように立つ。
「ぐ――」
マノクズコは、私の事を認識出来ていない様子で。怒りの顔を以て私を睨み付ける。
そして、
「があっ!」
跳び掛かる。来るのならば、対処しないとだ。
「爆音――」
今、あいつにやるべき事とは、
「実行!」
動きを止めるだけ。傷を付けずにだ。
左手から放つ爆音。
それを以て、マノクズコにぶつける。見えない音の弾であるそれを、あいつはまともに喰らう。
だが勢いは止まらない。意識を失うまでに、私の目の前に右手の爪を迫らせ――、
それを、短刀で受け止める。だが更にあいつは、もう片方、左手の爪を振りかざす。
……まだ動くか。なんて奴。
だがそれも、
キイン、と。
もう一つの短刀で受け弾いて、そうしてやっとマノクズコの体が、足から崩れるように倒れ伏す。
「……はあ」
止まった。そしてもう一つ。
「クオンは」
背後に居る二人。その無事を確かめる。
「安心し給え、エン君。この子は無事さ」
「……先生」
クオンが、意識を戻したのか。それによってマノクズコの“主人を守る”という強制力も失われたと。だからマノクズコは、あっさりと倒れてくれたと。
「ごめんなさい」
謝罪の言葉を、クオンは口にする。マノクズコが暴れたのは、使役の能力による副作用だという事も、クオンは今まで知らなかったのだ。それもそう、自分が気絶している間の出来事など、知りようがないのだから。
「謝る事などあるものか。君の使役に関して知識不足だった私にも問題はある」
勉強不足、といっても、使役なんてものの事例は私は知らない事なのだ。使役した者がいきなり暴れ出す――それが主人を守る為といっても、知らないものは知らん。それこそ法でも魔でもない、現す術のない能力ならば。
学びはしたが。……そうか、これが先生がクオンを危険視する理由の一つでもあったのか。クオンへの危害が与えられる事によって、召喚、使役したマノクズコが暴れ出す。そこに善意も悪意もないままでも。
……なんて危険なものを押し付けてくれたのかね先生は。
「……まあ、取り敢えず、仕事は終わったな」
「ああ、君のすべき事は終わったよ」
ならば、あとの処理はサキの手に任せよう。
「では行こうか。クオンよ、マノクズコも連れていかねばな」
「……でも、僕は」
クオンは、遠慮がちに言葉を発する。迷惑を掛けた、そこに負い目を感じているのか。
「取り敢えずは茶だ。お前の言いたい事はそこで聞く」
これも私の仕事の内なのだ。クオンがどう思おうが、私は私の責務を果たす義務がある。その為に必要なのは、やはりゆったりとした場ではないかと思う。それこそ、あの茶屋のようにな。
「……はい」
クオンが、未だ意識の混濁しているマノクズコを己の領域内に仕舞い込む。これでもう危険はない。マノクズコもいずれ真っ当に戻る筈だ。
だが勿論、ぼろぼろの状態となったままで茶屋に行く訳にもいくまい。あの場はあくまで平穏な店としてある訳で、裏の事情にまで巻き込む所ではないのだから。
……衣を変える術式なんて知らんからなあ。幻を見せる術式ならば聞いた事はあるが。
……やむを得ん事か。
「ああ、サキよ。このまま歩き回るのもなんだから」
「着衣をよこせ、ってところかい?」
ああ話が早くて助かるな。
「その通りだ。経費絡みにしておいてくれ」
「解ったよ。他ならぬ君の頼みだ。只、流石に今すぐ用意しろというのは僕でも無理があると思うけどね」
それはそう。幾らこいつが万能に見えても、出来ない事は出来ないと。
「見た目を誤魔化せればなんでもいい。最悪ぼろを被るのでも構わんぞ」
「それだと今のなりと変わらないじゃないか。まあ、僕はこいつの処分があるからね。今は離れる事は出来ないから、近くの服屋で見栄えを整えるといいさ」
「解った。代金はあとで請求するからな」
「はいはい。まあ君は見栄えなんて気にする柄じゃないのは解っているからね。これを機にそこのクオン君にでも教えて貰うといいさ。ああ本当は僕の好みでいろいろ着て欲しいというのが本音ではあるけどね」
「嫌だなそれは。変態指向のお前の事だ、ろくな服を用意するまい」
「酷いなあ。まあ確かにそう思っていたと、否定はしないけど」
そら見ろ本音では私を好きにしたいと言っているようなものではないか。
「では行くぞ、クオン」
戦いの爪痕を残したままの、その場を去る。こんな異教徒絡みの仕事など、もうやりたいとは思わんがな。