1 2-15 お手紙
身が震える程度の冷気が漂う、冬も半ばのある日ある時。私の住んでいる森の木で建てた小屋の戸に、謎の紙切れ――手紙が挟まっていた。外を適当に散策していたあと、小屋に戻った時にそれを見付けた。
……はてこれはどういう事なのか。こんな薄暗い森の中に、どうやったら手紙が届けられるのか。配達員の姿なんてここで一切見ていないぞ。
勿論こんな所なのだから、人なんて殆ど入って来ない。数少ない例外が、私に好んですり寄って来る、仕事の依頼人兼相棒のツヅカ サキという変な女。
恐らくはこれもそいつの仕業だろう。来たのなら直接会えばいいというのに。と思いつつ、手紙を取って小屋の戸を引き開ける。
「あ、お帰りなさい先生」
そこには一人の少年が居た。いや少女かも知れない、その名をヒイラギ クオンという。一応私の弟子らしい。私の師――先生に半ば強引に押し付けられた子だ。
「ああ、勉学は順調かね?」
押し付け――と言っても、依頼として引き受けた事に変わりはないのだから、これは仕事として割り切る。やれるべき事はやるつもりだ。
「はい、教えられた事はあと一つで」
「それは重畳。符術の方はどうかね」
「感覚はありました。法術は使えなくても、あれなら」
物覚えのいい、優秀な弟子ではある。術師として少しばかりの問題はあるのだが。適正という意味で。故に私は簡易で使える符術の使い方を学ばせた。この子の欠落――創造力の部分を補う為だ。
「宜しい。ところで一つ訊くが、私の居ない間に来客などあったか?」
小屋に入り、戸を閉めてクオンに訊く。
「はい? いえ誰も来てないと思いますけど」
けっけっけ。と突然の笑い声が。
「いいや来てたぜ女が一人。気配は消してたけどな、人間の臭いまでは消せねえってな」
姿は見えず、だがここに三人目の声がした。クオンが使役してしまった、褐色肌の少女姿の小鬼、マノクズコの姿がクオンの真後ろに現れたのだ。
「気付いてたの?」
「黙ってたんだよ。あいつがてめえらを潰しに来たってんなら面白えと思ってな」
「僕らをって……」
ここには主であるクオンと私しか居ない。潰しに来るかもって、穏やかな話ではないな。
「私は人に恨まれるような事はしていないのだがな」
「はっ、どうだかねえ」
とにかく、小屋の中にある只一つの寝台の所に座り、手紙を開き見る。
手紙の内容もごく単純。頭の変な奴が書いただけあって、言い回しも妙な形になってはいたが。
抜粋。“やあエン君。この頃の寒い中で風邪など引いてはいないだろうね。まあ君には風邪なんて大した症状にもならないだろうが、あっはっは”
……手紙の中でまで笑い声を出すんじゃない。だがそれ以上に、書かれた文字の全てがあいつの声で頭の中に響いてしまうという所が、余計に腹立たしい。
“そんな君に朗報だ。実は僕の管轄で面倒な事件が発生してね。猫の手程度とまではいかないが君の手を借りたいと思っているんだ。詳細はいつもの店で話そうではないか。首を長くして待っているよ。君を愛するツヅカ サキより”
そんな内容の手紙だった。無駄に凝った事をしてくれる。普通にサキがここに来て、伝えたい事を喋れば手っ取り早いだろうに。一々考える事の解らない奴。
……だがまあいい。お仕事はお仕事だ。こんな暗く寂しい所での暮らしとはいえ、望ましい物が全くないという訳ではない。そして、人の世でそうした物を手に入れようとするならば、何はともあれ金銭というものが必要になる。
「……行くかね」
動き出すには少々億劫にも思える、この身この場所。だが望む物の為には動かなければ。具体的には、美味いものとか、酒やらお茶やら。その為に私は動く。ささやかな欲の為に、仕事を引き受ける事にする。それこそ人であるが故の性である。
「また、出掛けるんですか?」
クオンの声が掛かる。それに少し考える。クオンに、こうした仕事を見せてもいいものかと。
……悪くはないか。私の弟子という事で、全て通せばいい。
「ああ、少し遅くなるかもな。良ければ付いて来るかね」
こうした仕事を見るのも、クオンにとってはいい勉強になるやも知れんしな。
「え、いいんですか?」
「悪ければ呼ばんよ」
外出の準備を簡単に整え、狭い部屋の中を寝床から二、三歩程度で横断して、外への戸をからからと開く。寒い空気が小屋に入って来て、思わず身を震わせた。
「寒いなあ。凍えてしまいそうではないか」
冬も只中。寒いのは当たり前の事とはいえ、こんな日に二度も外に出るとはな。
「そうですね……僕も寒いです」
クオンの方も、身を震わせながら同意してくれる。こんな時に現れる厄介事など、どうでもいいと思い始めて来るが、それこそ本末転倒、金を稼ぐ手段がなくなってしまう。
そうして私達は、寒さを我慢し、暗い暗い森を抜ける出口へと――。
・
「あ、おきゃっさーん、いらっしゃいませー」
町の端っこに位置する、私がひいきにしている茶屋がある。サキの言ういつもの店というのが、この茶屋という事だ。対応してくれたのは、笑顔の似合う割烹着を着た若い女の店員。
「いつもの、三人分頼めるか」
「はーい、少々お待ちをー」
いつもの、で注文が通じる程には付き合いの長い店だ。とはいえ、私はその店員の名前も知らない。勿論店主の名前もだ。まあ、客商売としては些末な事。見ただけで解る事なのだから、何一つ関係性に支障はない。
「また待ち合わせですかー? お仕事潤ってますねー」
注文を終え、外にある長椅子に座って少しばかり待っていると、その子が話し相手になってくれる。因みに頼み物というのは、煎茶に茶菓子――みたらし団子を指している。私の要望に合わせてくれる優良な店だ。それを三人分頼んでいるのは、未だ表に出て来ない三人目の――。
「まあな。貧乏暇なしとはいえ」
別段貧乏という訳でもないのだが、話を極力合わせておく。こういう仕事の報酬として、私はサキから結構な額を貰っている。只、それらは殆ど手元にはない。仕事の依頼人であるサキに預かって貰っているのだ。手持ちの金としては、そう多い額を持ち歩いている訳ではない。
やがて、所望の品が私達の元に届いた。それはここの店主が作ったものなのだが、その店主は気難しい気質らしく、私と雑談などした事は殆どない。というか殆ど顔も見ない。いつも店の奥に引っ込んでいて、物を作る事に没頭している。
「あの、僕のは別に」
皿と茶を差し出されたクオンが遠慮がちに言って、手を振る。
「いいのだよ。酒と茶は分かち合うものだ」
今し方届いた、程良く熱めの煎茶に手を伸ばす。茶には少しばかり煩いこの舌。それが認める数少ない店がここだ。
手に持つ茶を、ずずっとすする。
「……ふはあ……」
うんいつも通りに美味い。口に残るちょいとした渋めの味がいい感じだ。これに甘い茶菓子を重ねると、また一段と――。
「んあ?」
手を伸ばした皿にみたらしが。だがそこには二本ある筈なのに一本しかない。一人分というのは、一つの皿に二本載っている、という事な筈だがこの店では。
「クオン?」
皿を指差しクオンの名を呼ぶ。クオンはそれに、
「え、いえいえ」
と手を振り否定をした。確かにクオンはみたらしを食ってはいたが、それは自分の皿から取ったものだというのは見れば解った。クオンの皿の上に、みたらしは一つしかない。
クオンではない。ではこれはもう一人の仕業か? だがそれが現れた気配はなかったし。
「やあエン君。時間通りに来てくれて嬉しいよ」
答え。いつの間にか後ろに居たサキが、串を口でくわえながら、もきゅもきゅとみたらしを食っていやがった。
「……何をしてくれているのかね。サキよ」
一言語っただけで変な女と解る。腰まで届く長い黒髪で、西方風の灰色の服装――向こうではこれをスーツと言うらしい。
「いやすぐそこに美味そうな甘味があったものでね。ついつい手が伸びてしまったんだ。不可抗力というやつだねあっはっは」
悪びれもせずにまあ。だが、私に仕事と金を提供してくれているのはこいつだ。そういう意味では軽々に怒るのもどうかとは思うが。
「仕事料に上乗せして貰うぞ。数少ない楽しみを奪ってくれやがって」
「僕だって女の子さ。甘い物が食べたくなる時もあるんだよ」
甘味は別腹? なんて似合わない台詞を吐くのだろう。おまけに理由にもなっていないし。
「まあいい。それで、今度の事件とはなんなんだ。私も一応仕事中なんだぞ」
「まあその話はあとあと。今は少し、甘味と茶を交えて語り合おうじゃあないか」
「へっ、だったら俺も混ざってやんぜ」
突然に、この場に本来居ない筈の女の声がした。マノクズコが私達の前に現れたのだ。ああますます面倒な状況に。
「ほう、君が噂の召喚体か。実際の成功例を見たのは、僕も初めてだよ」
「実験体みたいに俺を見てんじゃねえよ殺すぞ」
「はっはっは、怖いなあ。確かに僕が相手ではどうにもならないような子だ。どうだろう、ここは一つ落ち着き間を空けられるものが必要だと思うんだがねエン君」
こちらに話を振るんじゃない。ややこしい事に巻き込まれるのはごめんだというのに。
「……済まない少女よ。同じものをあと一人前、頼めるか」
「あはは……はーい少々お待ちをー」
少女店員も、若干引きつった笑いをして、だが商売人らしく私の注文に答えた。
いやいいんだがな。サキに代金を追加させればいい話なのだから。