1 2-6 依頼への依頼
寝床となっている寝台に、うっすらと光が差す。
いつもと同じような朝。今日も規則正しく目が覚めた。森の中の住処、清々しい空気が辺りに満ちている。
寝台から足を下ろし、ふああ――と一つ伸びをしながらあくびをする。眠気に弱い、自分のその弱点は充分に解っているつもりではある。故にまだ眠くはあるが、今はそうもいっていられない事情がある。
この小屋は私の領域だ。森から貰ったものは自然のものだが、この小屋にあるものに限っては全て私のものだと言える。空気、小川の水、保存している食べ物、ちょっとした道具。一つの所に留まると、自然と自分の物が増えていく。
一つ、いつもと違うのは――。
「おはよう。昨日は良く眠れなかっただろう?」
木造の掘っ立て小屋の中に居る、もう一人の存在――いや、正確には更にあと一匹。
目を覚ましたその子が、ぼんやりとした目で私を見やる。
「あ……いえ取り敢えずは大丈夫です。おはようございます」
この子。ヒイラギ クオンの存在。それだけが昨日までとは異なる要素だった。いつも一人で居たから、誰かと夜を共にするという事に過度に気を遣う。おまけにだが、この子はとにかく中性的な名前や体格、声をしている。髪も肩に掛かる程度には長く、胸元をちらりと見ても、女としても小さい者が居る故に判別出来ない。どちらの性別なのか、その辺りも先生から聞いてはいなかったが、本人に直接訊く事も何やらはばかられる気がしている。
「うむ。では早速朝餉としようか。嫌いな食べ物はあるかね」
「いえ。特に嫌いなものは」
「そうか。とはいえここで食えるものといえば野草や木の実や川魚程度だが。良ければ裏の小川で顔を洗って来るといい。そのあとで村まで用事を片付けに行こうではないか」
「あ、はい先生」
――と、これが最初の朝のやり取り。
この先しばらくは、こうした日々が当たり前となるのだろうな。
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私の住居は、とある森の奥の方。その少しひらけた所にある。森は深々としており、背の高い木々が空を埋め尽くしていた。充分に日の当たる場所なんてものは、私の住むこの場所を除けばほぼないと言っていいだろう。
更に奥に入っていくと、生い茂る木々の至る所から垂れ下がっているような、白い糸のようなものが目立っている。それらは木々の葉をすり抜けて来た、陽の光らしい。昼になると現れ、夜にはそれが消えているのがその証明になろう。
誰が見ても辺ぴな所。そこに私は小屋を作って住んでいる。森の木を使って建てたものだ。と言っても人が二人入れば少し窮屈さを感じる程の狭い部屋と、木で作った寝台のある寝床の二部屋のみ。本来自分一人で住まう事を前提とした作りだ。勿論人間なんて殆ど立ち入って来ない。迷うもの。
そんな所に、私は弟子(仮)を連れて来ている。ヒイラギ クオン。年の頃は、私よりも少し下といったところだろうか。只背丈はそう変わらんという、あどけない少年らしさを持っている子だ。そのクオンは少々ややこしい能力を持っていて、その制御、或いは抹消を先生から依頼された。それがこの子がここに居る理由。一人で居る事を前提とした作りなのに、二人目を入れて暮らしをさせている。
……小屋を拡張すべきなのかもな。実質一部屋なのに常に人が二人居るのだと、狭苦しくて詮無い。そうなるとやはり、もう一部屋は安息の場が欲しいかもだ。またケイニヒにでも頼んで、拡張の協力をして貰おうかね。
身なりを整え、朝餉を食ったあと、二人して村に向かう為に森を通る。村までは、順調にいけば半刻程で行ける距離にある。
この森の中には、色々なものが住み着いている。食える植物や動物も多いのだが、それらに混じる形で不可思議な者も居たりする。
「にーんげーんみーっけ」
なんて言いながら笑みを浮かべて襲い掛かって来る、妖怪にも満たない変な妖精なんてものも居たりして。
「ひっ」
と、隣に居たクオンが、私の後ろに少し身を隠す。
「こらこら。仮にも私の弟子が妖精如きで引っ込んでどうする」
そう、その程度のものと解ってはいるのだが、クオンにとっては最初の出会いな訳で。驚くのも詮無い事と言えばそうなのだろうが。
「ご、ごめんなさい。だけど、いきなり出て来て」
「まあ、気持ちは解らんでもないがね」
こういう妖精は、通常人間とは異なる、姿や気配のない所に居る、らしい。姿を見せるのは、人や何かに干渉する時だけ、とも。
だがこういったもの、大抵は純真無垢で、見た目の通りに無邪気な子供みたいな奴が多いのだ。その中でも血気盛んな奴らは、人間を見付けたとあっては進んで構って来ようとする者も居たりして。
……なんて面倒臭い。
「んありゃ? あんたは確か、変な新入り!」
実際最近に引っ越したのはそうなんだが、何やら変な覚え方をされているなあ。その妖精も女の子供に見えるが、実際どれだけ生きている――いやここに在るのかは、見た目で判別するには難しい。本当幼子程度の年齢かも知れないし、何十年も子供のままでここに居るのかも知れない。只、だからといって精神的な成長率が、さぞかし高いのかと言うと――、
はっきりと断言する。そんなもの殆ど居ない。
装飾も少ないもので、例えば目の前のこいつなど、白い布切れのような衣を身に纏っている、その程度のものだった。裸で出て来られるよりはましか。妖精は自然――つまり源素から力を得られると言うが……。
「丁度いいわ。新入りのあんたに、ここでのじょーいかんけーってのを教えてあげる!」
「上位も何も……」
呆れる程の頭のよろしくなさ。
「まあ、とにかくお前は今から私を襲おうとしている訳だな」
「そーだよ人間。なんか文句ある?」
そう。こういう連中は、とにかく目に付いた人間を襲って、己の格を上げようと考えている。そうすれば、いずれ妖怪と呼ばれる、強い者として認識されるものだろうと、そう思って動いている訳だ。叶わぬ願い、とまで言うつもりはないが。
「いいだろう。肩慣らしには丁度いい。悪い子は折檻されるものと教えてやろうかね」
そうとも。これから私は仕事なのだ。その準備運動のようなものと思えばいい。
「ええい、出来るもんならやってみろー!」
……とはいえ、流石に浄化までさせてしまうというのは気分が悪い。あのなまくら短刀を使う気にもなれない。妖精というものは基本純粋で、悪気があって人に構って来るという事は殆どない、と思う多分。少なくともそれらの上位種である精霊よりも目的に対して一直線というのは解る。
まあ、本当基本頭がよろしくないという事。或いは単純思考というか。襲って来るにしても、本物の妖怪のように人を喰うまではしない。人間をある程度いじれば、勝手に満足して勝手に帰っていく、その程度のものだ。
だが今回は鬱陶しい。加えて仕事の邪魔。ならば、やはりさっさと実力行使で大人しくなって貰うしかない。正当防衛でもあるしな。まあ精々、真正面からのぶつかり合いで力の差を教え込むくらいの事はしてやろう。