1 2-3 先生からの依頼
「単刀直入に言うとだな、お前に師を任されて欲しいんだ」
……シ? し。
一瞬意味が解らなかった。変換出来たのは、一拍置いて。
「……師と言うのは、つまり弟子を取れと?」
「ああ。厄介な弟子でね、法術師を目指していると言うのに別の才能が芽生えているらしい。まったく面倒な事案だよ」
「是非とも断ります」
「即答か」
先生は一瞬だけ眉をしかめる。どうでもよかった。一つ言えるのは、その面倒に巻き込まれるのはご免だという事。
「他人の指導なんて柄ではないですから」
「君も技量だけなら立派に師をやれるだろうに」
「そんなつもりは少しもありません」
そんなつまらない理由なら来る事はなかった。私とて暇ではない。常にサキにこき使われる身だ。あとは寝ている身。つまりは一人が性に合っている。なのに誰かを預かる? そんな器用な事、私には向いていない。
「勿論只でとは言わないぞ。とはいえお前は金などに興味はないか。そうだな、私もそれ程興味はない」
また話を聞かずに進めている。
「相応しいだろう報酬はちゃんと用意しているよ」
言って先生は、机の下を探って何かを持ち出した。細長い棒状のもの。それが、どこか見覚えのある――鞘に収められた刀だと思い至ったのは、ほぼ一瞬。
「それは――」
「見てみるか。半端な金よりは興味を引かれるだろう?」
机上に置かれたそれに、手を伸ばす。見ただけでも真っ当な代物ではない事が解る。鞘に触れ、その表面を指で撫でる。触れる事で直に伝わる、高貴な形。
抜きはしない。これ程の物……術式を込められたこの刀、下手に抜けばこの源法術師の館――その罠だらけの何に反応してしまうか解ったものではない。だが好奇心は私を乱す。抑えようとしても落ち着かない。それを見透かすように「まあ落ち着け」と先生が鎮めた。……にやにやした笑顔をして。
「察しの通り、それは只の刀ではないよ。幾らか昔にある神魔の塔の深部で掘り出された年代物だ。なかなか興味深い護字が彫られていてな……まあそれはいいか。これの本題は別にある。こいつはな、一種の忘れ形見だよ。君の姉、アサカエ シエンのな」
……意識が止まった。
「何……が」
思考がやっと、働きを再開する。
「預かり物だよ。元々研究用にとあいつが持ち込んで来たんだが、そのまま返しそびれてしまった。なかなかに面白い代物なんだがね。今の私にはあまり意味がない。刃物は私の趣味ではないしな」
「先生。エンって……」
「ああそうだよ。シエンが持ち込んで来たものだ。あいつがお前の元を離れて一年頃か。新しく発掘された神魔の塔の調査に入り込んだ。その時に掘り出したものだよ」
……エンの物。この刀が。
「報酬は……これですか」
「そうだよ」
「用件は、師になれと」
餌に食い付いた魚と言うのは、今の私の事を指して言えるのだろうな。
「ああ、そうだ」
まさにそうだ。あとはもう引っ張り上げるだけなのだろう。
「一つ訊きます」
「んあ?」
「どうして私なんですか。それこそ先生が見て下さい」
「私はもういい。厄介人の世話はもう疲れた。まったく、寺院の連中は私の工房を託児所か何かと勘違いしているようだ。君らという前例の上に今度は不能力者か。どうして私には厄介な奴しか寄って来ないんだろうね」
それは先生が最大の厄介人だからだろう。寺院側も管理出来る者を一所に纏めたいんだろうな。
「気のせいか。何やら不快な意思を感じたが」
「先生それは責任放棄です」
先生の言葉には答えず、意見だけ述べる。
「だから依頼なんだ。私も対価を用意する。あと必要なのは応えるものだけだ」
対価はエンの刀。応えるものは、私。
必要なものは、全てここに揃えられている。
「断ると言うのなら無理には言わん。伝手は幾つかあるしな。だが仮にも師としては信頼出来る者に任せたい。大して知りもしない馬の骨に渡してしまっては気分も悪いしな」
そんな言葉で逃げ道をなくそうとするのだ。それが手だと解ってはいる、のだが、もう遅い。本当に断りたいのなら、先生に喋る隙を与えてはいけなかった。
先生が望み、行動する。そうしたらもう、私などでは太刀打ちなど出来ない。
「まあ私もそう暇じゃあないんだ。別に面倒な仕事を引き受けてしまってね。そちらを断る事が出来なかった」
「面倒な仕事、ですか」
「君は森に引き篭っていたから知らんだろうが、この界隈で話題の殺人鬼。その処理だ。好き勝手に暴れている挙句、役人までも手に掛けてしまってね」
「先生」
「んあ?」
「どちらかと言うとそちらを引き受けたいんですが」
「そうして欲しいのはやまやまだが。言っただろう? 面倒な仕事だと。
これは殺人鬼と対する事が、ではない。依頼を押し付けて来たクライアントが、だよ。メンツに拘る部類でね。君にはそこまで背負う資格はない」
はっきりと言われた。この先生、面倒事は嫌う癖に、そんな面倒そうな仕事は引き受けるのか。律儀というかなんというか。
そして、その皺寄せがこちらに来るのだと。
「解りました、引き受けます。……序でに一つお願いしていいですか」
「なんだ」
「試し斬りをしていいですか。出来れば先生で、今すぐに」
面倒事を無理やり押し付けられたのだ。半分冗談、半分本気の静かな怒りが湧き出ている事もある。
「……可愛い弟子の願いは聞いてやりたいが。流石にそれは聞き入れるのに抵抗があるな。外に巻藁があっただろう? そいつで我慢してくれ」
成程、あれはその為にあそこに置いていたのか。訳が解らない物が早速効いたよ。
「解りました。では」
前報酬の刀を持って、私は事を引き受ける旨を伝える。
「宜しい。あの弟子――ヒイラギ クオンと言うんだがね、奴には君の住処に向かうように手配しよう。順調に行けば明日の昼までには着くだろうかね。まあ、上手くいくように願うくらいはしておこうか」
……私の居場所まで筒抜けか。一体どれ程の情報を持っている事やら。
――そして、事の詳細を告げられる。成程これは確かに危険そうな案件だった。先生が見切りを付けるのも納得出来る。
話が終わり、私は一礼して先生に背を向ける。その時には先生は、既に机に向かって本を手にしており、私の方は見向きもしなかった。
部屋の外に出ると、女給さんが扉のすぐ傍で待っていた。
「――用件はお済みでしょうか」
そう訊いて来る女給さん。
「ああ、はい、終わりましたよ」
そう答えると、「そうですか。では」と言って、彼女は扉の方に向かう。何をするのかと思っていると、女給さんはいつの間にやらその手に鍵を持っていて、
がちゃり、がちゃり、と同じ鍵穴に二つの錠がある、その鍵を閉めていく。
……やっぱり、面倒臭い鍵だと思うんだが。そういえばこんな鍵など掛けて、先生は出て来られるのだろうか。まさか、その鍵は先生を閉じ込める為の――とは考え過ぎか。
「それでは、館の外までお送り致します」
そう言って、女給さんは廊下をさっさと歩いていく。遅れず、私もそのあとを付いて行く。あまり大きくない館だ。迷いはしないだろうが、人気のない屋敷故に一人にされると心細いものがありそうだ。
誰も居ない廊下を進んで、玄関にまで。
「私がお見送り出来るのはここまでです。では」
玄関まで来たのに、またもや扉は開けてくれなかった。
「ああ、では」
詮無いので、自分で扉を開け、
「――お待ちを」
「え?」
声に振り向くと。
女給さんの姿が目の前にあって、
――気が付くと、ぎゅうと体を抱き締められていた。
え、え?
これはなんだ。訳が解らない。何が一体どうなってこんな状況に? ……だが、いい匂いがして、なんだか柔らかい。
思考が停止して、何も考えられずにいた。
「……恥ずかしい真似を致しました」
少しして、女給さんが身を離して言う。
いや、恥ずかしいとか以前に、状況を知りたい。私だって恥ずかしいぞ。
「実は私、西方国にて作法を学んだもので、ハグも日常茶飯事だったのです」
「あ、ああそう……」
西方国云々はその姿を見れば解る事だが……だからと言って。
「失礼を致しました。どうぞ、お気を付けてお帰りになって下さい」
そうして、女給さんは一歩下がって一礼する。
……いやまあいいんだが。私も男である身、綺麗な女の人に抱き付かれて悪い気はしない。
不可解ではあるのだがな。