1 2-2 貴族まがいの先生
「いや、先生がいきなり貴族になっていたんで驚きました」
「勝手に貴族なんぞにするな。好きで今の地位に居る訳ではないんだ」
心底嫌そうな顔をして、先生が答える。部屋の真ん中には椅子と卓があったので、遠慮せずにその椅子に座る。
「あの女給さんも――誰なんですか? 貴族に仕えるのにお似合いそうですが」
「あれは新入りだよ。今まで使っていた奴が暇を出してね。信頼の出来る所から借り受けた。無愛想なのも詮無いな。なにせ今日一日だけの契約だ」
「一日の為に?」
「暇を持て余す程暇ではないからな。本人たっての希望でもある。まあ君が気にする事でもあるまい」
……気にする。今日という日、私が来るように指定されたこの一日のみに、たまたま一日だけやって来た給仕さん。
作為がないと思う方が馬鹿みたいではないか。何者なのだろう、あの給仕さんは。
「綺麗な館ではないですか」
考えても詮無い事なので話題を変える。――勿論この物言いの半分は皮肉なのだが。
「見てくれなんてものはどうでもいいよ。役に立つかどうかが物として重要なんだ」
「役に立つ、か。手間が掛かる方がいいんですかね。あの鍵とか」
入口を指差す。先程の二重の鍵の事だ。
「ああ、あれも一種の用心だな。それなりに有名になると敵も多いんでね。まったく面倒な事だ。こんな大層な立場など、欲しければ只でくれてやると言うのに。出来れば報奨金でも付けてやりたいくらいだ」
「先生ならあんな鍵に頼る必要なんてない気がしますけど」
主に実力と性格的に。
「自衛と用心深いのに越した事など何一つとしてないよ。少しは考えてみるといい。使えるものならこのカップだって命の足しにはなる」
机の上には、本と共に西方湯呑や筆などもあった。その中の西方湯呑――カップを持ち上げて先生は言う。中には紅茶が入っているようだ。そんな香りがした。
「棺桶や巻藁もですか」
「そうだよ。一見にして想像出来ないだろうからこそ効果が期待出来る」
ずずっとカップを口に付け、先生はその中身をすすった。
「……例えば、私にも?」
「そうだね。お前に想像が出来ないのであれば」
そして、思い付いたように先生は席を立ち、部屋の端に向かう。少しして、先生のと同じカップが私の前の卓に置かれた。煎茶が入っていた。
「ポストもですか。あれは皇国の管理物でしょう。勝手に置いていても害にしかなりません」
貰った煎茶をすすりながら、一番危なそうな突っ込みを入れる。あれが仮に見付かればどんな罪になるのだろうな。器物破損? 窃盗? いずれにしろ面倒な事になるのは間違いあるまい。一体何に使ってどんな得を得ようと思うのだろうな。
「幾つかのリスクは承知の上だよ。そもそもこの世ではあらゆる事に対価が必要なのだが、それを差し引いてもメリットがあるなら充分に価値があろう? だがそれは確かに諸刃ではある。皇国の物だからなどと言うつまらない理由ではない。情報使用の相違としてだ。殺す可能性を持つものは、殺される可能性も常に含んでいるものだからね」
それは、なんとなく解る。それは例えば、対すものを斬り裂く刃物の事。裏を返せば、その刃がこちらを向くように――それと同じ事が、カップや棺桶などといった、訳の解らない物にも当て嵌まる。そう言いたいのか。
「例えばだ。このカップを使ってお前を言い包める手段は幾つもある。荒唐無稽に思うだろうが、否定は出来まい。お前は私の手の内を知らないからだ。私がこいつで何をしでかすか。どんな式をこれに組み込んでいるか。或いは罠があるか。考えられない可能性であっても零には出来ないだろう? だからお前はこの使い道を探れず、結果私に思惑を操作される。
だがお前がこれの別の使い道を知っていたならどうだ? 私の知らない手の内をこいつを使って現したなら、情報を知らず、対抗手段のない私は逆に誘導される。そういう単純な絡繰によって、攻守は簡単に入れ替えられる。
つまりだねエン。この館には私の身を守る手段は幾らでもあるが、私の命を保障出来る道具は何一つないんだよ。武装と非武装に大した違いはない。目に見えるか見えないかだけだ。見えるのならば警戒するし、見えないのならば油断する。私は単に見せているだけだよ。そうする事で思う通りの警戒を引き出す事が出来る。噛み砕いて言うなら、単に見せるだけで効果があるんだ。
そう――お前の場合ならば、私が剣を持って対した時と、法術書を持って対した時。どちらにより作為を感じる? 法術師である私が書物を持てば、単純に警戒するだろうね。書物は術式の塊だ。私がそれでどんな術式を現すか解ったものではない。だが一見して解りやすい分、心構えくらいは出来るだろうな。なら仮に私が剣を持てばどうだ? 私が剣を持った所をお前は見た事がないだろう。果たして私は強いのか弱いのか。どれ程の技量があるのか、それともないのか。普通に考えるなら刀を学んで育ったお前に対抗出来る筈がない。だがそれを知っている筈の私に作為がない筈がないと思うだろう。想像出来ないお前はより幅広く警戒せざるを得なくなる。単純に斬り掛かって来ただけでもな。そこに想像を含める事は困難だ。
これが見知らぬ者が相手ならば逆だろうがね。それも突き詰めれば状況次第、こけおどしが出来れば充分なんだよ。有利な状況だけ作る事が出来ればそれでいい」
よくもまあ、これだけ理屈に攻撃力を持たせられるものだ。先生なら非武装のままから国一つ攻め落としかねない。……実際に出来そうで怖いから口には出さないが。
「結局は、はったりの延長なんですね」
「そうだ、その見方も正しいと言えば正しい。だがそれによって気を許す事も愚かだ。人間は人間の世に居る限り精を削るように出来ているからな」
「必殺と呼べる仕掛けは幾つも要らない。周りの道具はそこに誘導する為の囮……いや、或いは囮さえも必殺に出来る用意がある、という事ですか。……それともこの館も――」
私の答えに、先生はくつくつと笑う。
「成程成程。見た目はあれだが、随分近い考え方じゃないか。いやいやこれでは笑えるものも笑えないな」
「見た目は余計です。どういう意味ですか」
先生はよく、会話の途中で自分の世界に入る。訊いている私に、先生は震わせている肩を徐々に落ち着かせた。
「昔ね、あの師にしてこの弟子ありなんて失礼な事を口走りやがった奴が居たんだ。成程、こうして見るとその目も節穴ではなかったという事か。いや、奴には失礼な事をしてしまった。私もあの頃は若かったんだなあ」
昔を懐かしんでか、遠い目をしてにやけた顔を浮かべている。私にその意味など解らないし、そいつが何をされたのかも知らない。意味などないが、冥福を祈ってあげよう。先生は今この瞬間に改心しましたよ。それがどれだけ遅かったかは知らないが。
「どれだけ経ったんでしょうね。気付くのに」
「まったくだよ。時の流れ程無慈悲なものはない。気が付ける時は僅か一瞬だけだ。人の夢とは儚いんだよ」
皮肉のつもりで言ったのだが、気付く事なく理屈で返された。
「先生」
「んあ?」
「本題はなんなんでしょうか」
どうせ展開は一方的だ。さっさと用件を済ませる事にする。
「うむ……いかんな、つい熱中すると話を突き進めてしまう。職業病かな」
自覚しているなら改める努力をして欲しい。もっとも一、二年程度で治るのなら、弟子としては苦労しないのだが。
先生は自分の頭をこんこんと叩いて、それから真剣な面持ちをして私を見据えた。