1 2-1 魔法使いの館
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「しかし暇なものだね君も。たまの休みくらいのんびり寝て過ごすなりすればいいものを。そこまで気が張り詰めていては普段と変わりあるまい」
――私の勝手です。放っておいて下さいな。
「ふむ。まあしっかり働いてくれるのならば異存はないよ。精々、良い休日を満喫し給え」
――そうします。では、仕事の話に戻りましょうか。
「仕事、ね。果たして君は何を望んでいるのやら」
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直接呼ばれる事さえなければ、ここに来る気はなかった。
つまりは呼ばれたからこそ、ここに来る事になったのだ。
最後に会ったのは、あの時。
私が記憶を識った直後に、まるで予定通りに姿を現した。それが半年前の事。
居場所は解っている。会おうと思えばいつでも会える所に居た。
だけど私は――未だ納得が出来ないでいた。
先生は先生だ。源法術師、リーレイア・クアウル。間違いはない。だけど先生には何か妙な違和感がある。
その正体を、私はまだ解らないでいた。
町の端っこにその館はあった。あまり大きくはないものの、外から見ればそれなりに立派な洋館。
先生とは知り合ってからまあ長いが、先生がこんな館を所持しているとは今の今まで知らなかった。或いはこれは借り物なのかも知れないが。
先生の性格から言って、こんなかさ張るものをわざわざ所有する理由が簡単に思い付かない。寺院内では源法術師の“風位”なんて大層な二つ名を付けられていたが、先生はそれこそ目立つ事が嫌いだった。勝手に付けられた二つ名なんて塵以下の価値もないと、以前に愚痴を零していたのを聞いた事がある。弟子である私に愚痴を言った所でどうしようもないのだが、それ程本気で嫌がっていた。
そんな先生が、こんな目立つ場所に身を置くのはなぜだろうか。
小さな門を潜ると、砂利を敷き詰めた短い道が玄関まで延びており、その横手には手入れされた芝が覆う、それなりに整った庭がある。
何気なく見やったその庭には、まるで仕舞うべき場所(例えば物置など)から溢れ出た物が、片付ける事さえどうでもいいと言わんばかりに乱雑に放置されていた。
そこに転がっていた物も、見ただけでは大きな物が五、六個程だが、どういう意味でそこにあるのかも理解出来ない組み合わせ。
注意して見れば造り物だとかろうじて解る程、精巧に出来た人形。
本来西方の家の居間にでもあるのが自然だろう、まるでそこから小さな木が生えているようにも見える、逆さにされて置かれている円卓と、その正位置にある一つの椅子。
なぜかしっかりと地面に固定されている、打ち込みの稽古にでも使うような巻藁。
鎖によって頑丈に縛られている、一体何が入っているのか解らない(解りたくもない)……見様によっては棺桶のようにも見える細長い形をした黒い箱。
そして一番理解不能なものが――一体どこから持って来たのか、乱雑に何々かが散らばる中で地面に横倒しにされている真赤の郵便ポスト。
これ、皇国の所持物ではないか。見付かれば大目玉どころでは済まないのでは?
……まあ、そうなった所で私には何も被害はないか。
それらを出来るだけ気にしないようにして、玄関へ。その扉を叩く。
こんこんこん、と三回叩いてほんの少しの間……実に静かな音を立てて扉が開かれた。
ゆっくりと現れたものは、扉の向かいで直立不動の姿勢を保つ、西方風の如何にもな使用人の服を着込んだ女給さん。――向こうの言葉ではメイドと言うのだったか。女は金色の髪をしていて、すらりと背が高く、僅かな差でこちらを見降ろしている格好になっている。
つくづく、私は成長していない――それを否応ながら思い知らされた。身体的な劣等感……思っても詮無い事だが。
「アサカエ エン様ですね」
仮面のような無表情を現すその口からか細い、しかしよく透き通る声が発せられた。
「そうです」
返事を返す。解っているのなら返事は必要ないだろうが、こちらも一応の礼儀は持ち合わせているつもりだ。
「ようこそいらっしゃいました。ご主人様がお待ちです。どうぞお入りを」
……ご主人様と来たか。つくづく私の想像を超える人だ。いつから先生は貴族の端くれになったのだろう。
女給さんが奥に向かって歩き出したので、私もそれに付いて館へと足を踏み入れた。
外から見ると館にしてはあまり大きくない印象を受けたが、中に入るとそこはそれなりに広く感じられた。というよりも、実際それなりに広い。
だがそれは外の大きさと中の広さが合っていないという訳ではなく、貴族の館にあると連想されるものが全く存在していない事から来る、意識的な広さだった。
簡単に言うなら、貴族が好みそうな調度品、装飾品の類が全く存在していない。
それっぽい所なのに。歩く廊下は遮るものなく直線的であり、時折覗く開かれた扉の向こう、部屋の中は空き家の如く、家具も何も置いていなかった。
そして、それと共に人の気配もまた、この館からは感じ取る事が出来ない。
生活感のない館。本来人が快適に過ごす為に造られた筈のそれは、本来の役割を捨てられたみたいに伽藍としている。
……外も中も普通とは思えない。一体ご主人様は何を考えてこんな所に居るのか。明確な理由があるなら是非とも知りたい。興味はある。先生らしくはあるけれど。
やがて、女給さんが一つの部屋の前で歩みを止める。廊下に並ぶ扉の奥から二つ目、古めかしい扉が目の前に重々しく立ち塞がった。
どこから出したのか、女給さんはいつの間にか二つの鍵を手に持っていて、一つを扉の鍵穴に差し入れる。捻る動きと共にかちゃりと音を立て、その後鍵が引き抜かれた。
更に、女給さんはもう一つの鍵をその鍵穴に差し込み、それを先程と逆に回した。一つの鍵穴に二つの錠がある、面倒な鍵だ。ご主人様は余程用心深いのか、それとも鍵自体が捻くれているのか、主人と同じく。
「ご主人様は中におられます。どうぞお入り下さい」
そこから女給さんは少し後退し、私に入るように促した。……扉は開けてくれないらしい。
「ああ、ありがとう」
……捻くれ者か。
心の中で一つ悪態を付き、私はその手で扉に手を掛ける。先生の事だからおかしな罠でも仕掛けているのかと用心してはいたが、それは杞憂で済んだ。
そのままゆっくりと扉を開ける。女給さんは一礼だけして、しかしそのままその場に立ち続けていた。
――その姿は、部屋に入る私をまるで気にする様子もないままに、回転椅子に座って背を向けていた。故にその表情は伺い知れない。
どうやら本を読んでいるらしい。少し待ってみると、ぺらりと本のページをめくる音が届いた。
「ご機嫌いかがですか、ご主人様」
放っておいても埒が明かない。故に私から声を掛けた。
「なんだ、その微妙にむかつく他人行儀は。半年程も顔を見せなかったから詮無いと言えば詮無いだろうが。私は誰かの主人になった覚えはないぞ」
低く、少し威圧的にも聞こえる声。先生は自分の行動や自分の時間を邪魔される事を凄く嫌うのだ。そちらから呼んでおいて……。
「そうでしょうね。数月ぶりです、先生」
その言葉に、ようやく先生は本を机の上に置いてこちらを向く。
「そうだな。久方ぶりだ、アサカエ エン」
私の挨拶に、少し優しげにも感じる声で、先生が言った。記憶の通りに、眼鏡を掛けて、長い銀髪で、男性用のような白い西方服と、黒い洋袴を着ている女性が。