××× 二色世界――古き古きのおはなし
エン君のお話、第二章です。
過去編がちょっと長過ぎたかもですが、本編も過去編もまだまだ途中という事で構想しているので、お付き合い頂ければ幸いです。どうか宜しくご覧下さいませ。
{
――最初に解ったのは、ここは白と黒しかない所なのだという事だった。
そう、その鳥は、只二つだけが見える世界に居た。
白い世界と、
黒い世界。
あらゆる形はその二つの色にしかならない。時が経てば、白と黒とが入れ替わる世界。
例えばそこに葡萄があっても。
例えばそこに月があっても。
例えばそこに机があっても。
その鳥にとっては、白と黒。
只二つの形でしかなかった。
それはとても寂しい色。
それはとても悲しい色。
鳥にはそんな事さえも解らなかった。
鳥は、その場に居た時から、その色しか知らなかったから。
見て解る事は、二つ。
黒の中では、白しか動かない。
白の中では、黒しか動かない。
そんな単純な事。
それだけが、はっきりと解る事だった。
鳥にとって、それが自分がここに居る上での当たり前な事だった。
・
ある時の事。
白の時間のとある時に、鳥の前に、突然に人形が立っていた。
今までに見た事のない形。人形というものさえ、鳥は知らなかった。
ここには、鳥を襲うものもない。
だから恐れる事もなく、鳥はその人形をじっと見ていた。
白い――白一色の、切り抜いた布を纏った、女の子の人形。
人形の瞳は、真っ黒い石で出来ていた。だからその中に白を映さない。
人形の体は、草臥れた布で出来ていた。だからそこに暖かさはない。
人形の心臓は、胡桃の実で出来ていた。だからそれに鼓動はない。
それは本当に、只の人型をした、白の形。
人形は、珍しそうに、楽しそうに、動き回る鳥を追い掛けていた。
時には遠巻きに見続け、時にはずっと走り回って。
鳥は人形に気付いても、それは白にしか見えなかった。
只白い、動くもの。
それが鳥を追い掛けても。
それが鳥を抱き上げても。
それが鳥を優しく撫でても。
……やがてそれが動かなくなっても。
鳥にとっては、只の白。
二つの世界の、二つのもの。
あるべきではない異質。
それでも鳥は、その異質は嫌いではなかった。
異質だったからこそ、興味を持った。
それがまだ、傍にあったから。
人形は、白の中なのに、白く動いていたから。
・
いつの日か動かなくなったそれを、鳥はずっと見続けた。
見続けている間、白と黒を何度も繰り返す。
やがて動かなくなったものは、その視界から消えた。
少しずつ、冷たい白が積もって消えていった。
小さな思考がそれにやっと気付いても、鳥はまだ見続けた。
白と黒だけの世界で。
鳥は、それが見えなくなっても、それが白の中にあると思い続けていた。
まだ、人形は傍にある――。
その思いは事実であって、そう思う限りは間違いだった。
・
真白の中に、雪が積む。
黒の地も。木々も。がらくたも。
あらゆるものを白に埋め尽くす。
そこには他に何もない。
只、白一色。
そこはもう、“白”という、一の世界。
白以外のものなんて、そこにはもうない筈だった。
寒い事さえ白。
お腹が空いた事さえ白。
眠気がやってくる事さえ白。
そして、人形が居ない事も、白の底に埋まっていった。
その筈だった。そう思い込んでいた。
鳥はいつしか白に包まれる。二度と変わる事はない。
一の世界に落ちてしまえば、
それは、零と変わりがなかった。
・
“白”の世界がやっと終わる。
その頃になって、鳥は世界を歩きだした。
切っ掛けは、なんて事はない。少し日差しが暖かく思えて、普通に歩いていた頃を思い出したのだ。
それは白以前の昔の事。
行く先、目指すのは、すぐ目の前。
“白”の世界にはなかった筈の白があった場所。
鳥を抱いてくれた白が、あった筈の場所。
その場所に辿り着いて。
初めて鳥は、それが消えてしまったのだと気付いた。
それはもう、どこからも出てくる事はない。
傍にある筈なのに、ない。
あの時撫でられた事を思い出した鳥は、
その時初めて鳴く事を覚えた。
ひゅいい、と鳴いた。
・
鳴き疲れた鳥は、代わりに空を見上げていた。
今は白い筈の空、“白”の世界では今も、白のままだった。
でも鳥は知っていた。
その空には、“黒”い世界もあった事を。
見続けても、“白”は変わらない。だけど確かに、“黒”が滲んでくる刻もあった筈。
“白”を見続けるのに飽きた鳥は、空を見上げて羽ばたいた。
鳥は鳴いたから。
鳥は思い出したから。
鳥は、それがあった事を覚えていたから。
・
鳥は、自分を撫でていた“人形”を見付けたかった。
・
どれだけ羽を伸ばしても届かない場所。
どれだけ昇り続けても見えない場所。
それでも鳥は、この空で羽ばたき続ける。
始まりのない空、終わりのない空。
只一色に染まる、青の空。
白を越えて、それが下になって、
二色の世界を飛び出して、初めて鳥は時間を知った。
いつまでも過ぎる時間。朽ちてゆく世界の時間。
初めて止まった、青の色。
いろんなものを、鳥は見て、聞いて、触った。
だけど、
鳥はそれらを知りながらも、
いつまでも、人形に気付く事はなかった。
それを知る事さえも、永遠になかった。
鳥は、
人形を、“白”としか覚えていなかったから。
白い布を纏った、瞳だけが黒い人形。
その人形が残した、小さな欠片にも気付かずに。
近くにあったのに。
近くに居たのに。
今の鳥には、もうずっと遠い所。
ここはもう、鳥が居た地の上ではない。
果たして鳥は知る事があるのか。
知らない事さえ、知らないままなのではないか。
もしも誰かがそれを教えた時には、
鳥はまた、ひゅいいと鳴いてしまうのかも知れない。
二回鳴いた鳥は、もう――。
}