1 1-7 冗談のような
何が冗談か。
私の予想は殆どが当たりであって。
僅かに外れた予想が、完全に理解の範疇になかった。
……冗談。と女と逃げながら思う。
幾ら術符で、力や詠唱を補った所で、あんな破壊力が、普通の人間の手に余るものか。
誰だあの札を渡した馬鹿者は。あんな馬鹿者にあんな馬鹿力を。
「ちょっと! なんとかしてくれるんじゃないの!?」
後ろから、手を引っ張られている女がわめいて来る。
「馬鹿。あんなものに対抗出来るかっ」
「って、あんた法術師なんでしょなんとかしてよ」
「万能みたいに言うな。出来が悪かったんだ私は」
「ああー使えないーっ!」
逃げる。その間こいつは無茶苦茶に文句を言っていたが、買い被ってくれるな。助かりたいと本気で思うならば、相手をよく見てからにして欲しい。私はそちらの専門ではないのだ。
そうして追って来る連中から身を隠す為に、また茂みの中に隠れる事に。
「ちょいと仕掛けを置いたからな。少しは時間が稼げるだろう」
生き延びる為に逃げる。それは至極真っ当なやり方であって。
私はそれに特化している。通った道に簡単な罠を仕掛けておいたのだ。引っ掛かれば連中は混乱をして、上手く行けば私達を見失ってくれるかも知れん。
「ああもう……センナだったらあんなの簡単になんとかしてくれるのに」
「そいつに頼め」
立ち去る。
「置いてかないでよっ。見付かったら終わりでしょっ」
服の袖を引っ張られて、怒鳴られた。
「あまり騒ぐな。見付かるだろう」
「あんたが騒がせてるんでしょ……」
それは言い掛かりだと思うぞ。私の言動にことごとく突っ込みを入れてくれる奴め。
「私はその、お前の友達のように出来た者ではない。お前よりは出来た者だろうが」
「なあっ、それどういう意味だよっ」
学んでいたからだよ。ちゃんとした法術師にな。
「取り敢えずだ、解ったのは、あいつらは法術師ではない」
理由は二つ。奴らはあの符を使って、四言単位程度の間で雷撃を放った。四言単位――即ち、“何が”“どんな形で”“動く”という、最低限の定義に、“実行”を加えた四つの意味。これは、一般に法術師が行う、最小限の詠唱とされる。……分に合わない。奴らは道具を使っている。あの符には術式が記されている筈なのだから、その分の定義は短縮されて然る。筈なのだ。その過程が短縮されていない、という事は、奴らにそれだけの知識がない事を意味している。
それと、それだけの法術を必殺としなかった事。隠匿の厳しい術師の世界では、余程の事がない限りは、必殺となり得る法術など出しはしない。学問なのだから、本来それは研究用なのだ。一度見切られ、更に解析出来るだけの時間を与えてしまっては、法術師としては死んだも同じ。本人のみが知り得る法を、相手に晒してしまったのだから。
故に、奴らは本職ではあり得ない、まがい物の法術使いだ。法術まがいの事を、他人からの貰い物と思って軽く見ている。そんな事を解りやすく説明してやる。
「故に奴らは法術使い。どこからか金で符を買ったか、作ったか作らされたかした馬鹿者が連中の仲間に居るのだろう」
現状思い至るのはそのくらい。とにかく、何やら面倒な者が関与している筈。私の予想としては、最初に法術をぶっ放した、あの顔を布で隠していたあいつが怪しいと思うが。
「なんだ……あんたってまるでへっぽこって訳じゃあないんだ」
……置き去りにしようかこいつ。
だが、今ここで戦力を減らすのは得策ではない。仮にもこいつは賞金稼ぎを名乗っているのだ。ある程度の心得はあると見る。
「ところで一つ、訊きたい事がある」
「何よ?」
「なかなかいい足をしていたなお前」
「変態かおのれはっ!」
怒られた。
「変態はあいつだけで充分なんだが……」
「言ってる意味が解らんわ」
「何か武術をしていたとかは?」
……沈黙後。
「……そうよ」
肯定した。
「そうでもなかったらあんなの相手にしようって思わんわ。自慢じゃないけれど、先生にも筋がいいって褒められたもん」
……先生か。そう聞くと思わずあの人の事を思い浮かべてしまう。別人なんだろうとはいえな。
「一つだ、ここで情報交換をしてみないか」
はい? と女は首を傾げる。
「私の法術で連中を止める。そしてお前が叩きのめす。上手く運べばお前の好きに出来るし私は逃げられる。いい事尽くめだが?」
「あんたは逃げる事前提なのね……」
「ここに居るのは拉致されたからなんだがな」
「違うっての助けて欲しかっただけよ」
「まあこの際そうした言い分は置いておいてやろう。手を組むのなら、いずれにしろ共に能力を知っている事に損はなかろうが?」
女は少し考え込む。賞金の分け前の分担でも考えているのか、と思ったが、口にするのはやめた。
「……そうね。四の五の言ってる場合じゃないか」
吹っ切れたらしい。流石に一人で勝てる相手ではないという事は、連中のやり口を見て解ろう。離れた位置からの強力な雷撃。近付けないとなれば殴り倒す事も出来まい。
「では、まずは名を聞こうか」
「名? 名前?」
「うむ。名を知る事は大切だ。意思疎通も円滑に、だな」
「……まあいいけどさ」
そうして女は名乗った。「キセクラ ミズリよ」と。
名乗られたので、私も名乗り返す。「アサカエ エンだ」と。
「アサカエ?」
何やら、名乗った直後にまじまじと顔を見られる。
「何か? 確かにありふれた名前ではないだろうとは思うが」
「うーん……」
キセクラはまだ何か考え込んでいるが……今の状況、あまり時間はない事と思うんだが。
「まあいいわ。取り敢えず疑問はあいつらをぶっ倒してからね」
取り敢えずは保留か。うむその考えには賛成。今は間近にある脅威に対するのが最優先だ。
「で? お前はどうやってあいつらと戦うつもりなんだ」
武術を使うとは聞いているが、それだけでは多人数を相手にするのには弱い。無勢を引っ繰り返す手段があるのか。或いは何かしらの異能を持っているか。
「まあ、あたしのはいわゆる“気合”ってやつよ。法術とかとはちょっと違う力ね」
……成程。確か、この国の隣にある国、“共和国”などには体内の“気”を操って力に変える武術があるとか。
それに準ずる力を持っているというか。だから例えば一対一に持ち込むならばまず勝てるだろうと。……故に今までに幾らか無茶をやっていたという事か。
「で? あんたはどうやってあいつらの足を止められる訳?」
「私は振動を使う。強いぞ」
「振動? 揺らすだけ? 何か弱そう」
ばっさりと言われた。
「考え方次第だからいいが……」
これもまた、“揺らぎ”の一種だ。生き物を相手とするならば、ある意味どんな法術よりも使い勝手が良いものと考えている。……それくらいしか使えない、という事もあるが。
「舐めて掛かるとえらい目に遭うぞ」
「あたしが?」
「全員がだ」
とにかく、その“振動”を使って相手の頭――脳を揺るがし、動きを止める事が出来れば、法術まがいの術など何も脅威にはならない。あとはキセクラが接近すれば、一方的な展開の始まりだ。
「う、うわあっ!」
突然の叫び声。罠に掛ったか。
重畳。仕掛けるなら今だ。
「さて、そろそろ仕掛けていこうか」
「おっけー」
二人して、草葉の陰を通っていって、声のした方へと向かった。