無口な婚約者は、本当はおしゃべりでついでに妹に惚れてる……らしい。
「だからね、エルナお姉さま! わかるでしょう? ハルトヴィン様も私を愛しているのよ!」
「……」
「それなのに二人は結婚をするだなんておかしいわ。どうして愛し合っているアンネたちが報われずに二人は不幸せな結婚をするの?」
目の前にいる妹のアンネマリーはそんな風に言って、どぎついピンク色のドレスをなびかせて立ち上がりびしっとエルナに指をさした。
「エルナお姉さまとハルトヴィン様は婚約を破棄するべきよ! そしてアンネと結ばれるべきですわ。だってそれが正しい運命なのだもの。ね、ハルトヴィン様!」
隣に座っているハルトヴィンは話を振られて困った様子でエルナに目線を向ける。
困ったようにと言っても顔の下半分、つまりは口元を覆うように布がかけられていて口元はまったく見えないのだが、それでもエルナは長年連れ添っているので、彼がどんな表情をしているのかぐらいは分かる。
「エルナ姉様の前では無口で寡黙なハルトヴィン様だけれど、アンネの前ではよく話し、よく笑い、とても甘い言葉をささやいてくれる方なのですわ!」
その言葉を聞いて改めて、ハルトヴィンへと視線を移すと彼は、驚いたような顔をして、小刻みに首を振る。
……そんなに慌てなくても、流石に、君はそんなことできないって知ってるって。
思いつつも、少し面白くなって、エルナも困った顔をした。
すると、ハルトヴィンはエルナの手を取って手のひらに指で字を書く。
そこには必死に無実だと書かれていて、揶揄うのはよくないかと思い、頷いてから、アンネマリーに向き直った。
ハルトヴィンは一応、喋れないというわけではない、言葉を扱うことは出来るし、普段は筆談でコミュニケーションをとっている。しかし、沢山おしゃべりをして甘い言葉を話すなんて芸当はハルトヴィンにはできるはずもない。
そうして寡黙でいるところや、立派な成人男性でエルナとの結婚も近いというのにあまり毅然とした態度をとらないところで、彼はアンネマリーに舐められてるのだと思う。
……それに、普通にアンネマリーの妄想だろうし。この子昔から思い込みが激しいというか、妖精のささやきが聞こえると言い出すようなタイプというか、そういう女の子なのだ。
「聞いてるの? エルナお姉さま」
「聞いてるよ。アンネマリー。それでなんで急に結婚だなんて言いだしたんだっけ?」
厳しく聞いてくる彼女に、エルナは面倒くさくなりながらもまずそこを聞いた。
なんせ彼女、男なんてみんなクズで、アンネマリーの魅力にも気がつかない阿呆ばかりだ。だから結婚なんて絶対にしないと言っていた。
それなのに、急にこのプライセル伯爵家を継ぐエルナの婚約者と自分が結婚をしたいなど、どういうつもりなのだろう。
……確かに、アンネマリーは甘やかされて育ったし、他人の物を欲しがるような人間だけど、それでもこんなに急に男に興味を持つだなんて不思議でならなかった。
「だからぁ! 言ってるじゃない! 今を時めく王都の流浪の占い師様がアンネの婚期は今年中だといったのですわ!」
「……占いね」
『なんだか、胡散臭い』
エルナの手を取って隣からハルトヴィンも会話に参加してくる。アンネマリーが聞いたら面倒なことになりそうな言葉だったが、エルナにしか伝わっていないので「そうね」と同意した。
「そしてそれは、アンネの想像通りの王子様のような人で、それはハルトヴィン様に間違いありませんわ!」
「……王子様? アンネマリーは王室に入りたいわけ?」
「違いますわ。あんな窮屈そうなとこ嫌よ! ただ、どこか遠い国の素敵でかっこいいハンサムな方がアンネを見初めてアンネは恋に落ちるの」
『この子、何言ってるの? 大丈夫?』
「大丈夫、通常運転だよ」
割と辛辣にハルトヴィンは怪訝そうにアンネマリーを見ながらそう書いてそれにエルナは返事をしつつなるほどと思う。
昔から妙なものに毒される事は多くあったが、どうやら最近はやっている歌劇にそんな設定のものがあったそれに感化されているのだろう。そして丁度占い師に婚期は今だと言われたと。
やっと彼女の状態を理解してエルナは思わずため息をついた。だとしても、自分で婚活もせずに姉の婚約者を貰い受けようとは見上げた根性だ。
「そんなとき、ハルトヴィン様がこっそりとエルナお姉さまに秘密で声をかけてくれたのだわ」
『かけてない。初対面だよ』
「だろうね。まだ結婚もしてないし」
エルナは、アンネマリーとハルトヴィンのどちらに返してもおかしくない言葉を選んで返し、そんなエルナの声に納得してアンネマリーは続ける。
「ハルトヴィン様は昔のトラウマをアンネに打ち明けてくれたわ。そしてアンネもこの世界に生まれ落ちてしまった苦しみを分かち合った!」
『苦しいの? 何か病気でも?』
「健康ゆえの胸の苦しみだよ、多分」
「そうッ! アンネはこんなにも健全で健康で美しいッ!! でも、誰にもその美しさを理解されていないッ!! それがこの世界に生まれ落ちたアンネの宿命ッ!!」
いよいよ歌って舞い踊りそうだと思いながらも、冷めた目でエルナは妹を見ていた。長年一緒に育ってきたが、彼女はどうしてここまで妄想癖が酷くなってしまったのだろう。
甘やかされて育ったからだろうか。それとも何か、本当に見えないものが見えているのか。
今いるこの屋敷だって結婚して、新しい暮らしを始めるエルナとハルトヴィンの為に建てられた場所だ。そこに押しかけて来て婚約者をよこせとは驚きの図太さだ。
「でもッその孤独の苦しみは、もうすぐ解放される私はやっと幸せになれるのだわッ、そうよね、ハルトヴィン様っ!」
アンネマリーはぱっとエルナの隣にいるハルトヴィンに手を差し出した。そのキラキラとした笑みを向けられて、ハルトヴィンは若干苛立った様子で、エルナの手に静かに文字を書く。
『文句言ってもいい?』
……言うって、直接、ハルトヴィンが言うの?
彼がそんな風に意思表示することなんて珍しい。
ハルトヴィンは割と何を言われても気にしないタイプなのだが、今日ばかりは、あまりの状況に諫めてやろうという気分になったのかもしれない。
しかし、これはエルナとアンネマリーの問題だ。いわば家族問題。まだ結婚してもいない彼をそんなことに巻き込んでしまうなんて婿をもらう身としては、エルナは失格だろう。
出来ることならお互いに幸せな結婚生活を送りたい。こんな簡単な問題ぐらいはエルナが解決できると示さなければハルトヴィンに愛想をつかされるかもしれない。
それはあってはならない事だ。
……きちんとしないとね。私……よしっ。
「ううん。私が言うから。つきあわせてごめん」
『……』
彼にこっそりとそう言って、エルナは、アンネマリーを見やった。
アンネマリーはまったく手を取ってくれないハルトヴィンにおかしいなと頭に疑問符を浮かべていたけれど、エルナの鋭い瞳に気がついて「何よ。エルナお姉さま」と口にする。
「……あのね、アンネマリー。空想を壊すようで悪いけど……ハルトヴィンと婚約を破棄することなんてできないわ」
「なんですって?」
彼女の空想にはいろいろな角度から文句をつけられるけれど、わざわざそれをするまでもない、ハルトヴィンはエルナにとって唯一の結婚相手だ。
昔から知ってきて決められた結婚。そしてお互いにそれを認めている。
それだけで十分だ。
「両家ともに認めている正式な婚約なの。あなたが何と言おうと私たちは結婚するし、貴方は別の男性を見つけて結婚しなさい。もちろん他人から奪ったりせずにね。……それに、そんなに結婚したいというのなら、男性を紹介してあげることもできるし━━━━
それから諭すように続ける。何にせよ、結婚する気になったというのは良い事だ。癖の強い妹ではあるが家格を下げれば貰い手はいるだろう。
少し腹の立つところはあるけれど、それでも年上なのだから、エルナは姉らしくサポートもしてあげると言うつもりだった。しかし、アンネマリーは目を見開いたまま固まって、そのまましばらくすると、ぶるぶると震えだした。
それから顔を真っ青にしてから、真っ赤になって「何言ってるのよッッ!!」と怒鳴った。
急に怒鳴られて耳がキーンと音を立てる。
「どうしてエルナお姉さまったらそんなひどい事をおっしゃるの? アンネの恋を邪魔しようとするの? これじゃあ、アンネの恋愛を邪魔する敵じゃない敵ッ!!」
「アンネマリー、静かに」
「これが静かにしてられるもんですかッ!! いいわよ勝負よ勝負!!決着をつけましょうよ!!掛かってきなさいよ!!」
「何言ってるの、そもそも、人の婚約者を取ろうとしたのはアンネマリーでしょう? 駄目だったというだけで相手を責めるなんてお門違いよ」
言い聞かせるように続ける。いつもはこんな風に、取り乱したりはしないのだが、今日だけは彼女の気に障ったらしい。しかし、こんなことでだまっていては、平穏な婚姻生活はおくれないだろう。
お母さまや、お父さまもアンネマリーについてはもう手の施しようがないとあきらめてしまっている。
あんなに甘やかしてこうなったのだから責任を取ってほしいと思うが、彼女を正常な道に戻してやれるのはエルナしかいない。
引かずに立ち上がって、顔を真っ赤にして怒るアンネマリーを見つめる。
「お門違いじゃないわぁ! だってハルトヴィン様はアンネと結婚したいはずだもの!! エルナお姉さまの前では無口でもアンネの前では、とても楽しそうに話をするのよぉぉ!!」
「っ、空想と現実をごっちゃにしちゃ駄目っ! 自分の事だけならまだしも、どうしてそう他人に迷惑をかける空想をするの!」
「迷惑じゃないはずよッ!! アンネとハルトヴィン様の間を邪魔してっこの、お邪魔虫っ!!」
自分のドレスをバンバンと叩いて怒るアンネマリーの手を取ってエルナは落ち着くようにその手を押さえようとした。しかし、触れられたことによって、過敏に反応したアンネマリーは、ばっとエルナのその手を振り払う。
「っ、」
その爪がエルナの頬をひっかいて、小さな傷を作った。それに、エルナも驚いたがアンネマリー自身も驚いた様子ですっかり静かになって、つうっと血が流れていくのを見ていた。
「……」
「……」
もともと仲の良い姉妹ではなかった。しかし、傷つけあうほど険悪でもないはずだった。
でも、今のは一線を越えてしまっていた。痛みがじんと響いて、アンネマリーを見つめる。しかし、彼女は目を逸らすだけで謝罪をする気はなさそうだった。
「アンネマリー……」
彼女の名前を呼んでも、ばつが悪そうにそっぽを向くだけで、反応しない。それになんだか悲しくなりつつも、もう本当に彼女はここまで来たら駄目なのかもしれないと思った。
これ以上、彼女は改善せずにこのまま思い込みの激しい性格は悪化の一途をたどっていくのかもしれない。
そうなれば手の付けようもない。それを認めてしまえば、アンネマリーとは普通の家族ではいられない。
途端に、なんだか彼女の先の未来の事が不安になって、硬直していると、ふとドレスの裾が引かれる。
視線を移してみると隣にいるハルトヴィンが座るように促していて、そのフェイスベールをしゅるりとといて外す。
それから、喉の調子を整えるように一つ咳ばらいをしてから「”座って”」と短く言った。
そうすると二人ともあっという間に足の力が抜けてすとんと座り込む。
ソファーの座面に座り込んで、隣にいるハルトヴィンを見上げると彼は、どうやら怒っている様子で、エルナを抱き寄せた。
「”謝って”」
「ごめんなさいですわ」
「ごめんなさい」
それからアンネマリーに向かって口にするが、彼の魔法は声が届く範囲すべてに効力を持ってしまうので、もれなくエルナもそう口にした。
それにハルトヴィンは眉間にしわを寄せて、今度は別の言い方をする。
「”アンネマリーがエルナに謝って”」
「エルナお姉さま、ごめんなさいですわ」
「……うん」
彼が言えばすんなりとアンネマリーは口を開いて言う。それにアンネマリーは謝りながら、驚きつつ。ハルトヴィンを凝視した。
それもそのはず、ハルトヴィンの魔法をアンネマリーは知らなかったのだろう。
これは、昔の人が良く使っていた、言霊の魔法という物らしい。今では、軽々しく言葉を扱うことが増えたので言葉の女神は力を失い、その魔法を使えるものも少ない。
しかしハルトヴィンの家系はどうしてか稀に先祖返りのようにその言葉の女神の加護を持った聖女や、聖者なりが生まれやすいのだ。
言霊の魔法はその名の通り言葉に従わせることが出来る。しかし、魔力消費が非常に激しい、使いすぎると魔力欠乏で倒れるし、日常会話すらできない。
そんな彼だからこそ、楽しくおしゃべりをして甘い言葉をささやくことなどありえないとエルナは最初から分かっていたのだった。
「”それから、嘘をつかないで答えて、俺は、君に声をかけていないでしょ”」
「声をかけてくださいましたわっ、夢の中で!」
「”俺たち初対面でしょ”」
「いいえずっと、拝見していましたわっ、遠くから!」
彼女の答える内容はあからさまに、ハルトヴィンの無実と彼女の思い込みをはっきりとさせるもので、答えさせられてアンネマリーは他にも何か言おうと口を開くけれど、嘘をつかずに答えろという言葉がいまだに響いているのか、何も言わずにパクパクしていた。
「っ、でも、ハルトヴィン様はアンネを好きなはずでしょう!」
それから、数秒後にやっと絞り出したような声でそういって、ハルトヴィンはそれを真顔で見つめて、逡巡した後、口にする。
「”思い込みが治らないと結婚できない。俺は君を愛してない、君も実家に帰って、結婚するまでこの屋敷には足を踏み入れない、エルナそれでいい?”」
言いながら、彼は、いくつかの条件を口にした。その条件は何年以内という縛りもなく、このまま彼が言いきるとそういう呪いになるのだが、それに、エルナはまったく躊躇なくうんと頷いた。
彼女は少し、痛い目を見た方がいい。エルナも同じ家族なのだからと色々と考えて彼女に配慮した言い方をしたり、両親を説得したりしてきたが、こうまでなってしまえば彼女が変わるには荒療治も必要だ。
「”じゃあそういう事で。頑張って直すんだね”」
言いながらハルトヴィンは外していたフェイスベールを着け直して、彼女にまったく見向きもせずに、ハンカチを取り出してエルナの頬に当てる。
「え、え? 待ってよ、ハルトヴィン様、エルナお姉さまど、っどういう事、結婚できないってなんでっ? アンネは今年が一番運気がいいのにっ!」
「……アンネマリー、次に他人が迷惑をこうむるような空想を夢みたら、今度は実家から一歩も外に出られないということにするから、よく現実と向き合ってね」
『いいねそれ』
「ちょっと、どういう事、アンネのこと馬鹿にしてるわけ?!」
言いながらも彼女は立ち上がって、首だけはこちらに向けたまま、応接室の扉を開けて、そそくさと去っていく。
その光景は不思議なもので、便利だとは思うけれど、同時にやはり強すぎる力だと思う。
だからこそ、利用されないように守っていかなければならない。代々この、プライセル伯爵家を継ぐ人間にはその責務が背負わされている。
アンネマリーが去った部屋の中で、ハルトヴィンはじっとエルナの傷を見てそれから、少しだけ、ベールをどかして「“治って”」と口にして頬の痛みがなくなる。
『エルナも、大変な妹を持ったね』
「まあ、そうでもないよ。ハルトヴィンもいてくれるしね」
『役に立ててよかった』
手の平にそう書きながら彼は微笑んで、なんだかその笑みを見てると申し訳なくなってくる。こちらの家の事情に巻き込んでしまったのは事実だろう。
「でも、ごめんね。厄介な話に巻き込んで、ハルトヴィンの魔力も使わせちゃってさ」
『気にしないよ? 俺は婿に入れてもらう側だし、それに……』
書きつつ一度止めてエルナのその手を取ってベール越しにチュッとキスをするふりをして、続きを書いた。
『エルナと結婚できるってだけで、なによりもうれしいから』
そう恥ずかしげもなく書いて、エルナは手がじいんと熱くなる気がした。
アンネマリーの言い分をまったく信じなかったというのには、もう一つわけがある。
彼がこうしてきちんと愛していると伝えてくれるからだ。口には出さなかったが改めて実感して、エルナもいつか自分からそういう意思表示が出来たらいいと思うが、今はまだ難易度が高いのだった。
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