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甘党男子にブラック珈琲を

作者: 椿姫

ずっと読み専でしたが、初めて投稿します。

どうぞ温かい目で見てやって下さい。

 眼の奥がずきずきする。

 液晶画面の数字と2時間以上にらめっこした眼が悲鳴をあげだした。

 目頭をもみながら天井を仰ぐ。

「ちょっと休憩しよ」

 私のいる5階の経理部からだと、ひとつ下のカフェスペースが一番近い。

 しかしながらカフェスペースとは名ばかり。 申し訳程度にポットとコーヒーサーバーが置いてあるだけのさみしいコーナーだ。

 しかもコーヒーサーバーは一杯ずつ淹れるタイプではなく、10杯ほどまとめて淹れたものを保温しておくだけのもの。

  終業時刻をとっくに過ぎたこの時間では、酸化して飲めたものではない。

 それでも会社唯一の自販機があるエントランスまで下りる気にもなれず、カフェスペースへと向かった。

「もしかしたら今日もあるかもしれないしね」

 最近気づいたのだが、コーヒーサーバーの横、砂糖やミルクのスティックの中にココアや抹茶オレのスティックが時々、本当に時々混ざっているのだ。  

 会社もショボすぎるカフェスペースを反省し、そういった飲み物も置いてくれるようになったのかもしれない。が、少なすぎてすぐ無くなってしまうのだろう。

  カフェスペースに誰もいないことを確認しつつ、コーヒーサーバーへ近付く。 砂糖の中にちらりと見えるピンク色のスティックを引き抜いた。

「いちごオレだ」

  やった、とすぐさま紙コップに開けてお湯を注ぐ。 ぐるぐるとよくかき混ぜ、ふーふーと息を吹きかける。 慎重に一口飲むと、喉から胃に温かさが広がりホッと息をついた。

  カツン

 完全に気を抜いたタイミングで聞こえた音に死ぬほど驚いて振り返った。

「あー、かな先輩。 それ、俺のいちごオレ」

「だっ!なっ! あ、朝日くん!?」

 入社2年目の営業部の新人、朝日かずや。 さらさらのダークブラウンの髪に少し色素の薄い瞳。 身長は170~180の間くらい。

 その整った容姿に加え、飲み会などではよく気がつき、くるくると動く彼は他部署の上司や女性社員からも人気がある。

  そんな彼がすぐ後ろに立っていた。

「驚かしちゃってすみません。 けど、何してるんですか先輩? それ、俺のなんですけど。 てか先輩、ブラックしか飲まないんじゃ」

「わ、私だって疲れたときは甘いのも飲みたくなるわよ。 それにカフェスペースの飲み物は社員みんなのものでしょ?」

「ここってコーヒーしかないじゃないですか。 俺、苦いのダメなんで自分で持ってきてるんです。 ちょうど淹れようとしたとこで、取引先から電話かかってきちゃったんでそこに置いといたのに」

 まぢか

 え?最近時々遭遇してたレアドリンクたちは?

「最近多いんですよね。休憩しようとすると電話入って。 戻ってきたらなくなってること」

 まさかだったー!!それ完全に私じゃん!

「ごめん!! てっきりカフェスペースの品揃えが改善されたのかと思って、私が飲んじゃったの。 ほんとごめん!!」

「あーかな先輩だったんだ。 そっかー」

「お詫びに埋め合わせはするから。ね?」

  今度朝日くんの好きそうなドリンクセットを買ってこよう。そうしよう。そう心に決めてさっそくスマホで検索する。

 すると画面にすっと手をかぶせられて何も見えなくなった。

  なんだこの手は。指なっが。きれー。触ってもいいだろうか。

「お詫びだったら、今から飲みに行きません?」

「え?飲み?」

 手に見とれて聞き間違えた??

「そ。飲みに行きません? 聞いてほしい話もあるんです」

 仕事は一応きりのいいとこで保存してきた。

 月曜日提出だが、明日の土曜日に出て来るか、月曜日に1~2時間早く出勤すれば終わるだろう。

 それに何より今日この時間ならあの店が開いている。 思いたったら何としても行きたくなってきた。

「わかった。 じゃあ少し片付けあるから、10分後にエントランスでいい? 朝日くんのほうは仕事終わってる?」

「終わってます!」

  私より背が高いはずなのに、器用に上目遣いでこちらを窺っていた朝日の顔がぱっと明るくなる。 背後にちぎれんばかりに振られるしっぽが見えそうだ。

「じゃあエントランスで」



「どういうことですか」

  30分後。 向かい合う形で座ってメニューを開くと、間髪いれずに朝日が聞いてきた。

「ん?何が??」

  言いたいことは分かっているが、あえてスルーする。

「何がって。 この店ですよ。」

  分かってるだろとジト目で睨んでくる。


   喫茶 すばる


 私が朝日を連れて来たのは深夜営業の喫茶店だった。

  営業時間は21時から早朝5時までの8時間。

 メニューはマスターおまかせ定食とおまかせドリンクの2種類のみ。 マスターには特殊能力でもあるのか、客ごとに違うメニューを出すのだが、それが毎回ニーズに合っているのだ。 ちょうどこれが食べたかった。 気づいてなかったが、一口食べてみると食べたかったのはこれだった。 などなど、口コミだけで密かな人気が広がっている。 元タクシー運転手のマスターがドライバー仲間のために開いた店で、もちろんアルコールの類は一切置いていない。

「飲みに行きたいって言ったんですけど」

「飲めるよ。 マスターが淹れてくれる食後の珈琲は最高なんだから」

「だから、苦いのダメだって・・・はあ。 まあいいや。それでここは何が食べられるんですか」

 メニューには一見(いちげん)さんへ向けた注意事項だけが書いてある。

  メニューはマスターおまかせのみで選べないこと。 アレルギーや苦手な食材があれば、あらかじめ申し出てほしいこと等々。

「ここはね、おまかせだけなんだ。 朝日くんはアレルギーとかなかったよね。苦手なものとかある?」

「アレルギーはないです。苦手なのは苦いコーヒーとか」

「それは知ってる」

 そこでちょうどマスターがお冷やとおしぼりを持ってきた。

「いらっしゃい、かなちゃん。久しぶりだね」

 すばるのマスターは、いかにも純喫茶のマスターといった風の渋みあふれるイケオジだ。

 ちらほらと白いものが混じった黒髪をぴっちりと撫で上げ、50代だというのにまったく出ていない平らなお腹にギャルソンエプロンを巻いている。

「お久しぶりですマスター。 急にマスターのごはんが食べたくて、いてもたってもいられなくなっちゃって」

「それは光栄だな。 それより、かなちゃんがここに人を連れてくるなんて初めてだね。初めまして」

「‥‥どーも」

 朝日は不機嫌そうにマスターをにらむ。

「ちょ、ちょっと! 騙したみたいになったのは悪かったけど、マスターにはあたらないでよ」

「ふっ、くっくっ、大丈夫だよ。 あ、そうだ。かなちゃん、またうちに遊びに来てよ。りっちゃんもだいぶ落ちついたから、退屈してるみたいで」

「わあ。行きます行きます! また連絡しますね」

「ありがとう。 ふたりともおすすめ定食でいいよね」

 何が面白かったのか、笑いをこらえながらカウンターへ戻って行った。 その後ろ姿を今にも焼き殺しそうな眼で朝日がにらむ。

「どういうことですか?」

「え?」

「マスターの家に遊びに行くような仲なんですか」

「あぁ」

 騙したみたいに連れてきたことを怒っているのかと思えば、そんなことが気になっていたのか。不思議に思っていたせいで反応が遅れた。

「こたえて下さい」

 じれたように言いつのってくる。

「ここは元々私の指導係の律先輩に教えてもらったの。律先輩は3年前に退職してマスターと結婚したんだ」

 そして3ヶ月前に妊娠したことが分かったのだが、あまりにも悪阻がひどくふせっていたのだ。

「そうだったんですか」

「そうだったの」

  まるで嫉妬してるみたいだが、6つも歳上のアラサー女にそんなわけないかと本題に入る。 マスターの料理を堪能するためにも話は早めに終わらせたい。

「それで?何か相談したいことがあったんでしょ? まあだいたい予想つくけど。山下のことだよね」

「はあ!?」

 目一杯ひんまがった口と寄りまくった眉間、それでもイケメンだなんてイケメンはずるい。 そして、どうやら何か勘違いしていたらしいことだけは悟った。



 side 朝日


 あれは入社してすぐにあった新入社員歓迎会だった。

 朝日は口の中いっぱいに広がる苦味を無理やり飲み下し、やっと空になったグラスを置いた。

 胃の中身がせりあがりそうなのを必死でこらえドリンクメニューに手をのばす。

「皆さん、次は何頼みます~?」

 みんなの注文をまとめて取りつつ口直しに甘めのカクテルでも頼もうと思っていた。

 それは新入社員の役目だろうと思ったし、大学時代もそのポジションをキープすることで飲み会を乗り気っていた。

 アルコールは苦手ではない。むしろ強い方だと思う。

 ただ苦いものが嫌いな朝日にとって、ビールは身体が拒否反応を示すのだ。焼酎も後味が苦手で飲めなかった。

  甘いリキュールなら大丈夫。度数が高めのカクテルを何杯飲んでも平気だった。

  だが、そうなると好き嫌いの問題だ。 体質的にアルコールを受け付けないのなら、無理強いできないが、味が苦手なだけとなると根性論に走りがちなのが体育会系だ。

 だから初めから盛り上げ役と幹事を受け持ち、ビールが苦手だとばれないように立ち回っていた。

「おー朝日! いい飲みっぷりだな!! そんな気ぃ使わなくても大丈夫だぞ。 うちの飲み会は男はビールか焼酎って決まってるから。 空いたらお店の人が勝手に追加してくれる。 女性社員は各々頼むし。」

「え!?」

 何それ!?困る!!

「あーそうなんっすか」

「そうそう。 だから気にせずじゃんじゃん飲めよ」

 そう言って朝日の指導担当である山下が、やっと空にしたグラスにビールを注ぐ。

 やばいやばいやばい。 何だよビールと焼酎だけって。 男女差別じゃん。

 まだ今はみんな食べることに集中しているが、もう少ししたら席を移動しだすだろう。新入社員は率先して挨拶にまわらねばならない。特に営業部は他の部署にも顔を売っておけと事前に山下からも言われている。いく先々のテーブルでビールを注がれたらまずい。全く飲まないわけにはいかないだろう。

  悩んでいるうちに隣の山下が動き出した。

「部長~飲んでます~??」

  やばいって!!

 あせりばかりがつのり、全くいい考えが浮かばない。

 すっと山下の席に誰かが座った。

  反射的にそちらを向き息を飲んだ。

  栗色の髪を緩くアップにした女性がいた。 少しつりあがり気味の目が猫を思わせ、ぽってりとした唇から目が離せない。

「はじめまして 山下と同期で経理部の倉下かなです。 ね、大丈夫? アルコール苦手?」

「あっいや、苦いのが・・・」

 後半は体を近づけて声を潜めて聞かれ、思わず素直に答えてしまった。

「苦いのが?」

「何でもないです! アルコールは全然平気なんで!!」

「ね、これ飲んでみて」

 少し考えこんでいた彼女が、手に持っていたグラスを差し出してくる。 中には琥珀色の泡立つ液体。 どうみてもビールだ。 ためらっていると

「まだ口つけてないから大丈夫だよ」

  そういう問題じゃない。

  そういう問題じゃないが、先輩の言うことはきいておいたほうがいい。

  覚悟をきめてグラスに口をつけた。

「!?苦くない?」

「でしょ?でしょ? それシャンディガフ。 ビールをジンジャーエールで割ったカクテルなんだけど、見た目はまんまビールに見えるよね」

 そう言ってにぃっと笑った彼女は凶悪に可愛かった。

 それあげるよ頑張ってと、俺のグラスを手に自分の席に戻って行った。


  その日は営業部の新人として、山下から及第点をもらえるくらいには挨拶まわりができた。

 それも時折すっと近付いてきてはグラスを交換してくれたかな先輩のおかげだ。


 ✳✳✳


「あ、あー、違った?? てっきり山下の体育会系ののりにはもうついて行けません!みたいな相談かと・・・」

「違いますよ。 でも先輩、しょっちゅうその手の相談受けてますよね? 山下先輩関係で。 なんでかな先輩がそんなフォローしないといけないんですか?」

 憮然とした表情で言う。

 これは私のために憤慨してくれているのだろうか。 くすぐったい気持ちで笑う 。

「ふふっ。 ありがとう」

「な、何がですか?」

「いやー別にー まあ同期だしねってのもある。 人事のこれまた同期に泣きつかれちゃって。 あいつってばあの通りの体育会系のりで、上にはすこぶる評判がいいわけよ。 だからさっさっと昇進させろってせっつかれるんだけど。 あののりについていけなくて新人がどんどんやめてっちゃったわけ。 昇進させるためにも部下を育てられなきゃ次にあげられないって問題になっちゃって」

「で、かな先輩が新人のメンタルケアしてんすか?」

「そーゆーこと」

「だから新歓のときも俺のこと気にかけてくれたんですか?」

「あーあったねぇ その後どう? ビール飲めるようになった?」

「や、相変わらずっす。 もう山下先輩にも暴露したんで、2杯目以降は好きにしていいって。」

「へー。 あのカチカチ頭がいいって??」

「俺の同期の川野が、ビールの強要もアルハラですよ?みたいなこと言ってくれて」

「川野ちゃん! あのかっこいい子ね。 女だからって甘い物好きばっかじゃないんですよってキレられた、って山下落ち込んでたわ」

「出張土産事件。ですね。 営業部では伝説になってます。」

「出張土産事件!! 何それ!?おもろ。川野ちゃんのおかげで山下関連の相談も減ってさ。ほんと感謝だわ。」

 ひさしぶりに涙が出るほど笑ってスッキリしたけど、朝日はむーっと不機嫌顔だ。笑いすぎたかな。フォローしようかと考えているところにマスターがやってきた。

「お待ちどうさま。 おまかせ定食です。」

  朝日の前には、がっつりかつ丼とお味噌汁に香の物。

 私の前にはキノコと野菜たっぷりのリゾットにカボチャのポタージュだ。

「え、全然違うメニューなんですね。」

「そうなの。ひとりひとりに合ったメニューを考えてくれるんだよ。すごいよね。」

「そんな大層なもんじゃないよ。 顔を見て、何となーく、これが食べたいんじゃないかなあってものを出してるだけだし。材料がなきゃ作れないものだってあるよ。」

「私はいつもバッチリ合ってますよ。 朝日くんは?どう?」

 さっきはマスターにいい感情を持ってないようだったから、素直にはうなずけないかなと思ったが、心配なかった。

「めっちゃお腹減ってたんでちょうどいいです。でもなんでカツ?」

「よかった。 こんな日はカツを食って気合いいれないとね。頑張って!」

 と、マスターは朝日の肩を叩いてカウンターへ戻って行った。

 朝日は真っ赤になってうつむいていたが、食べましょう!と箸を手に取り、すごい勢いでカツ丼をかきこみ始めた。

 私もスプーンを手にオレンジの中の白い線をぐるりとかき混ぜた。掬って口に運ぶ。マスターのポタージュは滑らかで、自分で作ったのとは違う。すっと喉を通ってお腹が暖まるのを感じた。

  私が食べ終わるのを少しだけ待ってもらって食後のドリンクを出してもらう。

  朝日の前にはブラック珈琲、私の前にはホットココアだ。

「先輩、交換しましょう。」

「嫌よ。」

「前は交換してくれたじゃないですか。 ブラックしか飲めないって嘘ついてまで。」

「あれ、嘘って知ってたの?」



 side 朝日


 入社して6ヶ月。

 初めてのプレゼンだった。

 何週間も準備して、練習して、ギリギリまでイメトレもして。

 でも全然ダメだった。 想定外の質問に対して何も答えられず、頭が真っ白になったあげく、フォローに入ってくれた山下の手伝いも出来ずに終わった。

「まあ、そう落ち込むなって。 初めてにしてはいい出来だったぞ?」

「んなわけないじゃないですか! あんなしどろもどろで、質問にも全然こたえられなくて。」

 山下は社に戻るまで、落ち込み黙りこむ朝日をそっとしておいてくれた。

  営業部に戻る前に休憩しようと1階の自販機前まで誘われた。

 とても仕事に戻れそうになかったからだろう。

 なぐさめてくれているのに素直に頷けない。

 もっとうまくやれると思っていたのに。

「これから場数踏んで慣れていけば大丈夫だって。用意してくれてた資料も、パワポもよくできてた。あとは慣れだって。契約は取れたんだから、これからあちらとの付き合いは続くんだ。挽回するチャンスもある。」

 言葉を尽くしてなぐさめてくれる山下に申し訳なかった。 準備だって何度も手直しを見てくれて、練習にもかなりの時間を割いて付き合ってくれた。 今だってこんないじけてる自分に時間をとらせてしまっている。これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。

「先輩、すみません。 もう大丈夫なんで戻りましょう。」

がこん、がこ、がっこん。

「ん。これ飲んだら戻るか。」

 そういって差し出してくれたのは缶コーヒー。もちろんブラックだ。

「やっ、あのっっ」

 なかなか受け取らないのを不審そうに見られている。気がする。どうする?もういっそ飲めないと言ってしまうか?せっかくなぐさめてくれたのに飲めないとか、これだから若い奴らは案件じゃないか?よし今じゃないな。なら飲むしかない。

「あ、ありが」

「あーっ!!やだあ。間違えちゃったー」

「え?」

「なんだ倉下どうした?」

「山下、新歓ぶり。ところで私のカフェオレとそのブラックコーヒーを交換しないかい?」

 よっ!と手を挙げたのは歓迎会でビールとシャンディガフをこっそり替えてくれた経理部の先輩だった。

「やだよ。それくっそ甘いやつやん。」

「ちっ。やあやあ新人くんも新歓ぶりだね。・・・これ、交換してくれない?」

「あ、どうぞ。」

 思わず山下が差し出してくれていた缶コーヒーを受け取ってそのまま差し出す。

「ありがと。私、ブラックしか飲めないのに間違っちゃってさあ」

 そう言うとあのときと同じように、にぃっと笑った。

 やっぱり猫みたいでかわいかった。


  エレベーターで戻るときに実はブラックしか飲めないは嘘だったと知った。

「交換なんてしてやらなくてよかったのに。あいつ新入社員の頃はブラックなんて苦くて飲めないって騒いでて、いっつも甘ったるーいもん飲んでたよ。ブラック飲めるようになったのここ数年のくせに何言ってんだろうな。」



 ✳✳✳



「山下ぁ、何ばらしてくれてんのよ・・・。 恥ずかしい。ずっと知ってたってこと??」

「はい・・・まぁ。」

  今、自分は間違いなく真っ赤になっているだろう。顔に熱が集まっていて、俯いたまま上げられない。

「言ってくれたら良かったのに」

「でも、無理して飲んでたわけじゃないんですよね?ビールもブラックコーヒーも。何で飲めるようになったんですか?」

「だからぁ。 マスターの珈琲だよ」

「え?」

「ここの! マスターの珈琲が! 美味しくて・・・」

「飲めるように?」

「そうだよ。律先輩が教えてくれたの。 本当に美味しいものは苦いとか超越して美味しいから、騙されたと思って1度飲んでみなって。

 それでも無理なら、無理する必要はないけど、こんな美味しいものを知らないまま避けてるのはもったいないって」

 当時を思い出してふんわりと笑う。

 初めて飲んだマスターの珈琲は衝撃的だった。 確かに苦味もあったと思うが、ほとんど感じさせないスッキリとした味で、美味しいと感じた。

 初心者向けに苦味の少ない豆を選んだとは言っていたが、マスターの腕だろう。それからは苦い苦くないではなく、美味しい美味しくないで珈琲を飲むことできるようになった。

「ビールも拘りのクラフトビールの醸造工場とか連れ回ってくれて・・・」

「待って、律さんって女性ですよね。 かな先輩の元カレとかじゃないですよね?」

「は、はあっ? マスターの奥さんだって言ってるじゃん!」

「だってそんな頬染めて語られたら敵わないって思うじゃないか!」

 頭を抱えてしまった朝日はわけの分からないことを叫んでいる。

「もー意味わかんない。 せっかくの珈琲冷めちゃうから、早く飲んで」

「つまり、かな先輩を珈琲飲める体にした珈琲ってことなんですね」

 そう言うと思いきってカップを口に運ぶ。 一口こくりと飲んで数秒。

「・・・苦くない」

「でしょでしょ。 これが珈琲なら、私が今まで飲んでたのは珈琲じゃなかったんだと思ったものよ」

 自分と同じ反応をしてくれたのが嬉しくて、朝日の肩をバシバシ叩きながら喜びを表す。

 その手を掴まれぎゅっと握り込まれる。

 えっと思うと同時に店の奥でトレーを抱えて口元を隠しながらも、こちらをキラキラした目で見つめるマスターが見えた。えっほんとに何?

「かな先輩」

 朝日の声に意識を戻すと、真剣な目で見つめられていて心臓が跳ねた。

「あっ、な、何?」

「そのビール工場、俺も行きたいです」

「あ、クラフトビールの? でも結構遠くて、律先輩とは1泊旅行で」

「好きです。

  付き合って下さい。

 だから、一緒に旅行行こ?」

「は、はい?」

「いいってこと? やったー!!」

「違っ!今のは了承のはいじゃなくてっ」

「おめでとう。お祝いでチーズケーキのサービスだよ」

「マスター! ありがとうございます!」

  初対面のはずの朝日とマスターが意気投合してるのが納得いかぬ。

「やっぱり気づいてたからカツだったんですか?」

「もう、今日告白するぞって感じがなんとなくしたからさあ」

「まじでその能力なんていうんだろ。

 すごいっす。まじすごいっす」

「待って。話があるって仕事の相談じゃなかったの?」

 慌ててテンションの高い二人の間に入ると、困ったように眉尻を下げ、仔犬みたいな眼をする。

「本当に嫌なら言って。

 無理強いしたいわけじゃないから。でも、そうじゃないなら試しに一緒に出かけてみない?」

 嫌なわけがない。ただ、何で私なのか。

「信じられない。本気で?

 朝日くんにとったら、私なんておばさんでしょ」

「おばさんなんて思ったことないよ!

 新歓で初めて話したときからずっと好きだった。社員の中でだってかな先輩に憧れてるやつはたくさんいるの、知らないの?」

「知らないっ。何それ。直接声かけてくれたらいいのに」

「普段仕事してるときはクールビューティーって感じで声かけにくいし、みんな山下先輩と付き合ってると思ってるから」

「全然出会いがないと思ってたら、山下のせいだったとは・・・。」

「山下先輩のせいっていうか、かな先輩がいっつも山下先輩のフォローして回ってるから・・・。」

 周りからそんな風に見られてるとは思いもよらず、結構ショックだ。

「朝日くんは誤解しなかったんだ?」

「直接確認したので」

 直接?私は確認されていないので、山下に確認したってことか。と考えこんでいるとぐっと握られたままの手を引かれる。

「恐ろしい勘違いをするな、って全否定されました。それはそれでちょっと失礼じゃないのかと思ったんですけど」

 むうと不満そうにふてくされているのが可愛い。やばい。可愛いと思ってしまった。もともと昔の自分に似てるなと気にかけていて。頑張っている姿に自分だって励まされていた。自分の年齢とか先輩っていう立場とか言い訳してきたけど・・・。

「新入社員の頃に、ビールも飲めないお子さまってばかにされたから、カクテルならお前に負けないって勝負しかけて潰したことあるんだ。これ、同期以上の社員しか知らないから内緒ね」

 しーっと指を立てて口止めしながら暴露すると顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。

 やっぱり可愛いなあ。

「ね、ビール工場はちょっとまだ早いかなと思うから、カフェめぐりとか行く?美味しい珈琲が飲めるとこ教えてあげるよ」

 そう提案すると、ガバッと顔を上げて高速でうなずく。

「行きます!」

 とりあえず甘党男子を珈琲通に育てあげてみようじゃないの。



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