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2月その③

「ねえ、センパイ」


「どうした、後輩」


いつもの声に視線を上げると、いつもの場所に後輩がいない。


確かに机の向こう側から聞こえたはずなんだが。


「こっちですよー」


届く声の方向を探して机の下に視線を潜らせると、机の向こう側に置かれたソファーに後輩が座っている。


「なにしてるんだ、そんなところで」


「勉強に疲れたので休憩です」


そんなに勉強してないだろと思ったが、こっちから見るとソファーに膝を立てて座っている後輩のスカートの中身が見えそうなので頭をあげた。


俺の下げた視線とソファーに座った後輩の立てた膝と短いスカートの位置関係的にそうなったのだが、主に後輩が悪いので俺は悪くない。


「センパイも、こっちで休憩しませんか?」


テーブルの向こうからマドハンドのように生えた手がこっちこっちと手招きしている。


ちょっと前に休憩入れたばっかりなんだけど、まあいいか。


「いらっしゃいです」


「おじゃまします」


自分の席を立ってソファーに腰を下ろすと浅く沈んで体から力が抜ける。


「ふあっ……」


その心地よさに思わずあくびが漏れた。


部室で長時間勉強する時の一番の不満点は備え付けの椅子のせいで腰が痛くなることなので、この柔らかい感触には余計に癒されるな。


とりあえず、一人暮らししたらソファーは絶対に買おう。


なんて思っていると、後輩がごろんと仰向けになって俺の太ももの上に頭をのせる。


「どうした、急に」


「なんでもないですよー、休憩です」


「まあいいが」


別にどかすほど邪魔なわけではないし嫌なわけでもない。


それでもそのまま自然に後輩がスマホを弄り始めるのを見たら自由だなと思うけど。


頭を立て掛けるように角度をつけて、胸の上で保持したスマホは俺の方からは見えなくて安心したような気になるような。


暇だし俺もスマホ弄るかなと思ってから、テーブルの上に置きっぱなしなことに気付く。


腕を伸ばしても届かない距離なので、後輩をどかさないとスマホをゲットできないのだが、どけと言ってもどかないだろうなというのは容易に想像できたので諦めた。


まあ休憩だしゆっくりするかと息を吐いて、手持ち無沙汰に後輩の髪を撫でると微かに頭が揺れる。


その反応が、気持ちいいのかくすぐったいのか触られたくないのかはわからないが、どっちにしてもしても太ももの上から退避するほどじゃないらしい。


「なんか猫みたいだな」


「そうですか?」


こちらを見上げる後輩と、垂直に視線が重なる。


わりと珍しいシチュエーションだ。


「そういえば、センパイは猫好きでしたよね」


「そうだな」


飼ったりはしないが、見る分には好きだと答えると、後輩が自分のバッグに腕を伸ばして中身を取り出す。


「じゃん」


と出てきたのは猫耳のカチューシャ。


それを後輩が頭につけて、横になったまま手を招くようにポーズをとる。


「にゃーん」


猫だな。猫娘と言った方が実際の光景には則しているかもしれないが。


とりあえず、俺の顔に猫パンチするのはやめなさいと言いたい。


「かわいいですか?」


「かわいいな」


「でしょー」


俺の膝の上でドヤ顔してる後輩は本当に猫みたいだ。


つけた猫耳も後輩が話すのにあわせて揺れてるし。


髪を撫でるには少し邪魔だけど、後輩の今の格好とシチュエーションは悪くない。


「コスプレで興奮するとか、相変わらずヘンタイですねー、センパイは」


「自分でつけたんだろ。あと猫耳つけただけのものをコスプレとは認めない」


コスプレというなら着ぐるみとまでは言わなくても、せめて肉球と尻尾くらいは着けてくれないと。


「なんだかガチっぽくてちょっと怖いですね」


「これくらい普通だろ」


「ゼッタイ普通じゃないです」


そうかなあ。




それから撫でられるのに満足した後輩が、体を起こしてんーっと伸びをする。


「センパイ」


「んー?」


後輩がこちらに呼びかけると、自分の太ももをポンポンと叩いた。


「蚊でもいたか?」


「そんな訳ないじゃないですかっ。膝枕してあげてもいいですよって言ってるんです」


「言ってないんだよなあ……」


まあいいか。


「それじゃ」


と言って身体をずらし、今度は俺が後輩の太ももに頭をのせる。


頭の下には柔らかい感触があって、頭の上には後輩の顔。


後輩がこちらを覗き込むと、顔の距離は20センチくらいしかない。


自分が上だったときよりも近く感じるのは気のせいかな。


前屈みになったことで後輩の肩から滑り落ちた後ろ髪が、そのまま俺の頬に触れた。


その感触は柔らかい筆先で優しく撫でられているような感じがする。


「どうですか、センパイ」


「くすぐったい」


けど悪くない。


「あと柔らかい」


「太ってるって言ったら怒りますからね」


「言ってないだろ」


スカート越しの後輩の太ももの感触は枕にするのに丁度良いので太ってるとも思わないけど。


「丁度良いよ」


「それならいいです」


とはいえ流石に後ろ髪が顔に当たったり当たらなかったりすると流石に気になるので、後輩の頬に手を当ててから髪を背中へと流す。


「くすぐったいですよ、センパイ」


「悪かったな」


髪を流すために頬から耳の下をなぞってそのまま首筋へと下した指先は、確かにくすぐったかったかもしれない。


「別に悪くはないですけど」


「ならよかった」


いつの間にかこんな距離感が自然になっているのは不思議だけれど嫌じゃない。


「折角ですし、一枚撮りましょうか」


俺が後輩の頬を摘んでいると、そう言って後輩がスマホを高く掲げる。


自分と膝枕をされている俺が二人とも写る構図で上からパシャリと撮った後輩がそれを俺に見せた。


「どうですか、センパイ?」


ピースしてる後輩がかわいいっていうのは置いておいて、膝枕されてる構図って客観的に見るとかなり人には見せられない格好だなと思ってしまう。


「人には見せるなよ」


「どうしてですかー?」


「部室でサボってるの見られたら都合が悪いからな」


「それだけですか?」


本当はそれだけじゃないけど。


でも本当のことを言うと後輩にからかわれそうなので黙っておいた。




「そういえば」


思い付いて上着の裾のポケットを探る。


あれ?


「どうしたんですか?」


「ここに飴が入ってたはずなんだが」


「それならほら」


後輩の指が俺の胸ポケットへ伸びて中を探る。


その指先の感触はちょっと不思議な感じだ。


人にポケットの中漁られることなんて早々ないしね。


「はい」


と、取り出された大玉の飴を二つ受け取って片手に一つずつ持つ。


「どっちがいい?」


「こっちがいいです」


指先でトントンとされたのはソーダ味。


ちなみにもう一つはコーラ味。


それを渡そうとしたらさっぱり受けとる気がなさそうなので、しょうがなく自分でビニールを剥いた。


「ん」


「あーん」


口を開けて餌を待つ雛みたいだ。


まあ今は俺が下だから上下逆なんだけど。


そんなことを思いつつ、後輩に飴を食べさせて俺も飴を口に咥える。


500円玉くらいある大きい飴なので長く楽しめるのは良いけど間違えて喉に詰まらせないようにしないと。


「美味しいですか、センパイ?」


「ああ」


「いいなー」


なんて言われても、選んだのは後輩だろうに。


まあどっちも味わいたいって気持ちは理解できるけど。


「ねえ、センパイ」


囁くようにそう言って、後輩がこちらを見下ろす。


互いの顔の距離は20センチもなくて、もう少し体制を崩せば鼻先が触れてしまいそう。


当然、視界に映る顔もいつもよりずっと近くて大きい。


まつげの本数まで数えられそうな至近距離で、俯いて影になっている後輩の顔はどこか妖しく見える。


「飴、交換しましょうか」


口の中で互いに舐めている飴を交換する。


その言葉は、飴を手で取り出して相手に食べさせる、なんて意味じゃない。


そしてそれを実行するために、後輩が腰を折って頭を下げる。


20センチの互いの距離が10センチになって、5センチになって、遂には鼻先が触れる寸前まで近づく。


「センパイ……」


後輩の唇がほとんど至近距離で呟いたその台詞は、どこか少しだけ切なさを感じた。




………………。


…………。


……。




「センパイ……、センパイ」


「ん……」


名前を呼ばれて意識が呼び戻される。


「もう朝ですよー。起きないと遅刻しちゃいますよー」


いや、朝ではないだろ。


心の中で突っ込みを入れて、やっとまぶたが開く。


「おはようございます、センパイ」


夢かぁ。


内容はよく覚えてないけれど、どうやら夢を見ていたらしい。


あらためて観察すると、部室でいつものように後輩が、テーブルの向かいから身を乗り出して起こしてくれていた。


「おはよう、後輩」


まあもう放課後なんだけど。


寝る前に15分ほど仮眠をするので、時間が経ったら起こしてくれと頼んだ約束を後輩はちゃんと守ってくれたようだ。


昨夜は安眠できなくて3時頃に起きたので、短くても快眠できたのはありがたかった。


なんか見てた夢は15分の仮眠とは思えないくらい長くて、その分ぐっすり眠れたような気分だし。


なんか時間以上の夢を見て、仮眠でも一気に脳がリフレッシュすることってあるよね。


「起こしてくれて、ありがとな」


「どういたしましてです、センパイ」


まだ勉強が忙しい中、寝過ごすことなく効率よく仮眠ができたのは後輩のおかげなのでちゃんとお礼と言っておく。


頭もスッキリしたし、寝る前よりずっと勉強も捗りそう、なんて思いながら伸びをして体をほぐすと後輩が不思議そうに聞いてくる。


「なんだか楽しそうでしたけど、夢でも見てたんですか?」


「そうだな。たしか後輩が出てきて……」


よく覚えてないけど、なにか癒やされる感じだった、気がする。


「夢を私が出てくるとか、センパイ私のこと好きすぎじゃないですかー」


「いや、部室にいたからその流れで出てきたんだろ」


とマジレス。


「それで……、うーん?」


記憶を辿っても、後輩が出てきたということくらいしか思い出せない。


「だめだ、思い出せん」


「ちょっと、気になるじゃないですか」


「どうせ俺の頭の中だけの話なんだからいいだろ」


「だから気になるんですよ。もし夢の中でセンパイにセクハラされてたら訴えないといけませんし」


「それはないだろ」


わざわざ夢の中でセクハラする理由がないし。


「もう一回寝たら思い出すかもな」


「じゃあ寝てみます?」


「ん、いいや」


気にならないと言えば嘘になるが、わざわざ頑張って思い出すほどでもない気がする。


たぶんね。


「それに、夢見なくても後輩はここにいるしな」


「たしかに、そうですね」


「起こしてくれてありがとな」


「どういたしまして、センパイ」


もう一回お礼を言って、さて本当に勉強を始めるかと思ったあとにふと思いついたことがあって聞いてみる。


「後輩は俺の夢見たことあるか?」


特に深い意図もなく聞いたその言葉に、しかし後輩は黙って答えが来ない。


「後輩?」


「…………、ひみつです」


顔を赤くして消えそうな声が聞こえる。


どんな夢を見たのかとても気になるが、踏み込んではいけない領域の気配がした。


「急にヘンなこと聞かないでくださいよ、センパイ」


「悪かったな」


だから、なにがあったんだよ。


とはやっぱり聞けないんだけど。

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