95.こちらも帰還
突然床に落ちたミサンガに、椿は一瞬ポカンとしてしまった。
「え? 切れた・・・?」
慌てて床にしゃがみミサンガを拾った―――いいや、拾おうとした。しかし、両手が塞がれて拾えない。よく見ると、左手に大きめの花を胸に抱え、右手にも一輪の花を持っていた。
「言ってる側から切れたな・・・」
椿に代わって柳が落ちたミサンガを拾った。そして顔を上げると、驚いたように椿を見た。
「って、おい! 山田、何で泣いてんだよ?! どうした?!」
「え? 泣いてる?」
椿は身に覚えのない涙を拭おうとしたが、両手に花を抱えて拭えない。それでも、手の甲で目を擦ろうとしたが、やっぱり拭えない。何故なら、手の甲に何か堅いものが当たり、それが邪魔をしたからだ。
「あ、眼鏡か・・・」
眼鏡が手の甲に当たったせいでずれてしまい、視界が少し霞んだ。
ん・・・? 眼鏡・・・?
やっと、違和感に気が付いた。目の前には、しゃがんで心配そうに自分の顔を覗き込んでいる柳がいる。そう、柳だ・・・。黒髪に黒い瞳、肌色の男子。紛う方ない東洋人の姿。
「ややや、や、柳君・・・!?」
「おう、どうした、山田? 急に泣き出して・・・。俺、なんか嫌なこと言った?」
「ややや、柳君! 柳君が柳君になってますよ!!」
「???」
仰天している上に興奮して声が裏返っている椿を見て、柳は不思議そうに首を傾げた。悲しい思いや嫌な思いをしたわけでは無さそうだ。それについてはホッとしたが、何でこんなに興奮しているのか?
「柳君! 山田は!? 山田はどうですか? 山田は山田ですか?!」
「へ? 何言ってんの、山田? 落ち着けって、どうしたよ? 山田は山田に決まって・・・って。あーーーっ!!」
柳もやっと気が付いたようだ。山田を指差して叫んだ。
「山田ぁ! あんた、戻ってるぜ! 山田に戻ってる! って、じゃあ俺も!?」
柳は自分の両手の手のひらと甲を何度もひっくり返しながら、肌の色を確認した。
「はいいっ! 戻ってますよ、柳君! セオドア様じゃないです! 柳君です、柳健一君!!」
柳はバッと立ち上がった。椿もそれに続いた。
周りを見渡す。見慣れた景色が視界に入り込む。知っている道路に知っている街並み。電柱に電線。並んでいる家々の塀。庭から覗く木々の緑。足元はアスファルト。そして、アスファルトに大きく書かれた『止まれ』という白い文字。少し向こうの大通りには走る自動車が見える。
「戻って来たな!! 山田!」
「はいいいっ! 柳君!」
二人は感動のあまり、暫くそのまま立ち尽くした。
☆彡
「うおっ! 俺のヘラクレス号!」
柳は傍に停まっていた自転車に気が付き飛び付いた。
「何でこんなとこにあんだ? 乗って来たのか? セオドアが? 何で?」
「ぶ、無事ですか? ヘラクレス号!」
椿も自転車に駆け寄った。
「きっと、さっきまで自転車の練習をしていたのだと思います、二人で。どこか傷とか付いていませんか?! も、もし傷がついていたら、山田が責任を取って修理代を・・・」
椿はオロオロしながら自転車を調べ出した。
「何で山田が修理代払うんだよ? もし傷付けられていても払うのはセオドアだろ? 金だったらアイツに請求しようぜ」
「え? それは無理な話・・・」
「そ、無理な話。だから気にすんな!」
柳は椿に向かってニカッと笑って見せた。
「それよりさ、カゴにカーネーション入ってんだけど? 何で?」
自転車のカゴに入っているカーネーションの花束を不思議そう見た。
「あ、山田も花束持ってるな。しかも、二つも」
「明日は母の日なんですよ。だから、オフィーリア様にプレゼントにお花を買って欲しいってお願いしていたんです。多分この花束がそうだと思うのですが、こっちは・・・?」
右手に持つ一輪のガーベラを見て、椿は首を傾げた。
「美化委員だから・・・? 教室に飾るように一輪だけ別に買ったのかな・・・?」
「えー? じゃあ、このカーネーション、セオドアが俺の母ちゃんに買ったの? ちょっと待って! 俺、このカーネーション、母ちゃんに渡すの? うわあ、マジかぁ!」
「どうしてですか? 素敵じゃないですか?」
「いやいやいや! 俺、今までこんなお洒落なの母ちゃんにあげたことねーし! 今年もテキトーに肩たたき券とかで済まそうと思ってたのに!」
「肩たたき券って・・・、小学生ですか?」
頭を抱えている柳を、椿は呆れたように見つめた。でも、他人が見たらその顔は微笑んでいたように見えただろう。




