53.伝えるべきか
翌日、セオドアは早めに登校し、オフィーリアを捕まえるために、下駄箱付近で彼女を待っていた。
偶然か否か、想像以上に早くオフィーリアも登校してきた。
「オフィーリア!」
人気のない下駄箱でオフィーリアに声を掛ける。彼女はセオドアに驚いた顔をしたが、すぐに気まずそうに目を逸らした。
「おはようございます。セオドア様」
「ああ・・・、おはよう・・・」
気合を入れて声を掛けたのだが、オフィーリアの自分を見ない態度にセオドアもつい腰が引けてしまった。
「・・・」
「・・・」
二人の間に妙な沈黙が流れる。その沈黙をセオドアが先に破った。
「オフィーリア、その、話をしたい。昨日も話をしたかったのだが・・・」
「分かっております。昨日は失礼しました。私もまた椿様と話せたことなどお伝えしなければならないことがあったのに。今日は一昨日の事も含めてご報告しますわ」
オフィーリアは意を決したように、セオドアの言葉に被せて答えた。
「そうか。オフィーリアは山田椿と話せたんだな。俺は柳健一とは会えなかった・・・。昨日も一昨日も鏡を覗いてみたんだが・・・」
セオドアはガッカリしたように肩を落とした。
「そうですか・・・」
オフィーリアは残念というよりもどことなくホッとした様子を見せた。
セオドアは話を続けようとしたが、周りと見渡すと、登校してくる生徒が少しずつ増えてきたことに気が付いた。
「ここでは話しにくい。場所を変えよう」
「はい」
セオドアはオフィーリアについて来るように言って歩き出した。
歩きながらオフィーリアの様子を伺う。相変わらず目を伏せたまま、こちらを見ようともしない。いつまでも目を合わせないオフィーリアに不安が募る。
どうしてそこまで悲しそうにしているのか。
昨日、オリビアの名前を出したことをまだ根に持っているのだろうか?
いいや、そんな小さい事ではないのだろう。おそらく椿という女から我々にとって都合の悪い報告を受けたのかもしれない。例えば一生元に戻れないとか・・・?
そうであるのなら、それはオフィーリアだけで抱える問題じゃない。自分も共に抱える問題なのに。
セオドアは彼女に距離を置かれたことをどこか不満に思いながら歩いていた。
☆彡
「ここは・・・?」
オフィーリアが連れて来られたのは人気のない校舎の隅の階段だった。
「ここは柳健一と山田椿が落ちた階段だそうだ」
この場所は知っている。
なぜならオフィーリアも昨日静かなこの場所を見つけて、ここで一人、お弁当を食べたのだ。
まさか、ここが例の因縁の場所だったとは。
「オフィーリア、大丈夫か? 体調がすぐれないのか? 青い顔をしているし、目も腫れているようだ。昨日から具合が良くないのか?」
向き合ったセオドアが心配そうにオフィーリアを見つめる。
そんな労わりの言葉を投げかけられるとは思っていなかったオフィーリアは目を丸めた。
「いいえ、大丈夫ですわ。その、昨日は自分自身に負けてしまって・・・」
「どういう事だ? 今の状況に不安で押し潰されそうになったのか?」
「それは・・・」
オフィーリアは思わず口ごもる。
「オフィーリア。俺だって不安だ、これから先どうなってしまうのか。元に戻れるのかどうか」
「はい。そうですわね、それなのに報告もしないで申し訳ありませんわ」
「いいや、責めているわけではない。その、一人ではないと言いたいんだ。俺も同じ状況下の人間だ。一人で不安を抱えないで二人で共有しよう。一人で悩まないで俺のことも頼ってくれ」
オフィーリアはパチパチと瞬きした。今までかつてこんなにも自分を心配してくれることなどあっただろうか。
『俺を頼ってくれ』
そんなこと言われたのは初めてだ。
その言葉が心にジワリと身に沁みて、涙があふれそうなほど嬉しくなる。
「ありがとうございます・・・」
素直にお礼の言葉を口にした。
「その・・・、一昨日も昨日も山田椿様とはお話しできましたわ・・・」
言いかけて、また口ごもる。自分たちの生きている世界が小説の中の世界と話していいか迷ってしまったのだ。
セオドアにも情報を共有することは大切だし知ってもらうべきだと思うが、果たして、自分たちの世界がこの世界の見知らぬ人間によって創作された物語なのだと受け入れることが出来るのか? 椿が判断したように、自分もセオドアに『麗しのオリビア』を読んでもらうよう勧めるべきか?
でも、それだけはしたくない!
あんな物語を! あんなにも自分が酷く描かれている物語を読まれるなんて!
セオドアにとっては自分の恋が成就するロマンスだ。美しいラブストーリーだ。自分の将来がハッピーエンドと知ってどれだけ嬉しく思うだろうか。
しかし、オフィーリアにとっては・・・。
(そんなの・・・あんまりにも惨めだわ・・・)
言葉に詰まり、つい俯いてしまった。
「オフィーリア、どうした? 山田椿は何と言っていたんだ? そんなに言い辛いことか?」
言い辛いと言えば非常に言い辛い。
「酷いことを言われたのか?」
酷いと言えば非常に酷い。
「・・・俺達には希望が持てないのだろうか・・・?」
そう希望なんてない。あるのは絶望だけ。
(でもそれはわたくしだけ。セオドア様は違う・・・。この人には切望した未来が待っているのだわ)
オフィーリアは頭を振った。そして弱々しく微笑んで見せた。
「希望を捨ててはいけませんわ。でも、残念ですが、今のところ戻るためにどうすればいいか分からないのです」




