42.新生活
翌朝、目が覚めると見慣れない景色に一瞬混乱した。
(やはり、夢ではないのね・・・)
オフィーリアは体を起こし、大きく溜息を付いた。
ベッドから出ると、カーテンを開いて外を見た。そこに広がる異国の景色にまたまた深いため息が漏れる。
オフィーリアはフラフラっと壁に掛かっている鏡の前に立った。映る自分の姿をまじまじと見る。
知っている自分の姿とはかけ離れた姿。
肌は黄色じみた色で髪は黒髪。顔は丸く体系も丸い。少しぼやけて見えるので、鏡にさらに近づいた。
今度は顔のパーツを観察する。眉と目は細く、鼻は低くて小さい。その鼻の周りには点々とソバカスが広がっている。唇は薄くもなく太くもないが、どうにも血色が悪い。
「そういえば、わたくしって目が少し悪いって言ってたわね・・・」
オフィーリアは机の上に置いてある眼鏡を取りに行き、かけてみた。
「よく見えるわ・・・」
昨日は眼鏡をかけていなかった。保健室のベッドに寝かされていた時に外されたのだろう。そのまま過ごしていたが特に違和感が無かったのでそこまで悪くないようだが、かけてみるとよく見える。
その姿でもう一度鏡を覗いた。
よく見えるだけで現実は変わらない。ただ小太りの少女が映っているだけ。
オフィーリアはガックリと肩を落とした。
☆彡
「おはようございます。椿様のお父様、お母様」
オフィーリアは一階に下りていくと、ダイニングに入り、朝食を食べている父親と母親に挨拶をした。
父はブッと口にしていたコーヒーを吹いた。
母はニッコリと笑って、立ち上がった。
「おはよう。慣れないわね~、その呼び方。でも『お母様』かぁ、いいわね、そう呼ばれるのも。ねえ、お父さん?」
父はティッシュで口を拭いながら、苦笑いしている。
「さあ、朝ご飯を食べちゃって。食べたら、そうねえ。お母さんと買い物がてらお散歩しましょう。ゴールデンウイークの間にこの近辺を覚えないと学校にも行けないからね」
そう言いながら、オフィーリアを椿がいつも座る席に座らせ、その前に朝食のパンとベーコンエッグ、そしてカットしたリンゴを並べた。
昨日の夕食時に娘が箸の使い方も忘れているのを知ったので、母はフォークとナイフを用意した。
「本当にお上品に食べるな・・・。確かに椿では考えられん・・・」
優雅にナイフとフォークを使い目玉焼きを食べている娘を見て、父はボソッと独り言を言った。
☆彡
オフィーリアは母親に連れられて外に出た。
春の日差しが柔らかく気持ちがいい。
「いい? フィーちゃん。ゴールデンウイーク中にここら辺の街並みを叩き込むからね、一人でも歩けるように」
「フィーちゃん・・・」
「今日から毎日お母さんと散歩よ。まあ、お母さん血圧高いから散歩はちょうどいいわ。お医者から歩け歩け言われてたから」
母親はカラカラと笑いながら歩く。
自分の事を馴れ馴れしくフィーちゃんと呼ばれ驚愕しつつも、この女性の笑顔にどこか安堵感を覚える。
少し歩くと住宅街を抜け、少し大きな通りに出た。
途端に車の往来が多くなる。オフィーリアは行き交う車のスピードに恐怖を感じ立ち竦んだ。
「大丈夫よ。ちゃんと交通ルールと安全を確認しながら歩けば怖くないから。歩くときは必ず歩道を歩くの。そして、この道を渡る時は横断歩道を使うこと。横断歩道はそこの縞々のところよ」
「これが横断するための歩道なわけですね?」
「そうよ、これがないところでは渡っちゃダメよ。そして、さらに、この信号が青の時に渡っていいの」
母親は信号を指差した。
「まあ! 不思議! 赤く光っているわ! 人の形をしているわ!」
目を丸める娘に、母親はもう全然動じない。
昨日の内にあらかたの洗礼は受けた。テレビに仰天したり、箸を使えなかったり、一人で風呂にも入れなかった姿を目の当たりにし、この子は赤子同然だと悟ったからだ。
「これが青に変わったら渡っていいのよ」
「変わる? 色が変わるのですか?」
「正確には上の段が消えて下の段が点くのよ。見てなさい、下の段に緑色の人型が現れるから」
「あ! 本当だわ! しかも歩いている姿だわ! まあ、車が停まったわ!」
「ね? 分かり易いでしょう? はい、渡るわよ。それでも左右は確認して。右左右、はい、OK!」
「なぜ確認するのでしょうか?」
「ルールを無視して飛び出してくる車や自転車がいるかもしれないでしょ? 信号だけに頼っちゃダメ。ちなみに自転車っていうのはあれ、あのおばさんが乗っているやつ」
「まあ!」
二人が渡っている横断歩道の先で一台の自転車が爽快に走って行った。
二つの車輪が縦に並んだ不思議な乗り物だ。これは車と違い自動ではなく、どうやら足で漕いでいる。人力のようだ。
周りを見ると、その自転車とやらに乗っている人が思いの外いることに気が付いた。
驚いたことに、乗っているのは大人だけでなく子供までいる。
(気持ちよさそう・・・)
風を切って爽快に走る姿が、馬に乗って駆けて行く姿と重なった。
厳格で保守的、且つ過保護な実家はオフィーリアに乗馬を許してくれなかった。子供の頃に父と一緒ならばと、二人乗りで数回経験があるだけだ。その時の爽快感を思い出した。
(楽しそう・・・、乗ってみたいわ・・・)
そんなことを思いながら通り過ぎていく自転車を見送った。
そして、そんな風に思えた自分に驚いた。少しだけ気持ちにゆとりが出来たのかもしれない。そうだとしたら、今一緒に歩いてくれている母親のお陰だろう。
「ありがとうございます、お母様。色々教えて下さって」
「あらら、フィーちゃんはしおらしい子ね、椿に戻ってもこうであって欲しいわぁ」
母親はカラカラと笑った。




