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ホワールウィンドはあれ以来ヒューイットに笑顔を見せなくなった。
最初の任務から一週間が経っていた。その間に何度か臨検があり、二度だけ船を爆破した。ホワールウィンドはその度に不機嫌な顔をしたが、ヒューイットに対して文句は言わなかった。しかし、あれ以来ヒューイットはホワールウィンドとの会話を避けるようになった。
ヒューイットは少しでもベトナムの現状を知ろうと、ハイフォンの露天でラジオを購入した。しかし流されるのは公式発表ばかりで、彼の知っている以上のことを知る事はできなかった。ただしラジオは思わぬ効果を示した。埠頭に集まる艦魂たちが皆、この文明の利器に興味を示したのである。
その日、意を決して埠頭を再び訪れたヒューイットがラジオを見せると、艦魂たちはラジオの周りに環をつくって放送を聞いていた。興味を示さぬものもいた。ホワールウィンドとレユニオンがそうであった。それは言うべきことがあったヒューイットにはありがたいことであった。
「なぁホワールウィンド。いいかな?」
「なんだい?」
ホワールウィンドはぶっきらぼうに言った。
「この前のこと謝ろうと思ってさ。本当に…」
言葉を続けようとするとするヒューイットをホワールウィンドが手で制した。
「お前が気にするようなことじゃないさ。お前の任務なんだからな」
感情が篭っていない声でそれだけ言うとホワールウィンドはヒューイットに背を向けた。
「待って!」
追いかけようとするヒューイットの肩を誰かが掴んだ。振り返ると、それはレユニオンの手であった。
「私も貴方に話がある」
「皆さん、はじめまして。オーストラリアからやって来ましたメルボルンです」
埠頭に集まった艦魂たちの中心に立っているのは本国に帰還したアンザック級フリゲートの代替として派遣されたオーストラリア海軍の最古参であるメルボルンであった。アメリカのオリバー・ハザード・ペリーをオーストラリアでライセンス生産したものである。
満面の笑みで仲間達に自己紹介をするメルボルンであったが、ヒューイットには幾分無理をしているように見えた。
「見ていて辛いものね。無理して笑顔つくっているのを見るのは」
レユニオンもヒューイットと同感であった。かつては防空の中核を担っていたオーストラリアのオリバー・ハザード・ペリー級であったが、イージスシステムを装備した新型艦の就役により無用の存在になろうとしていた。メルボルンの姉たちは既に引退している。船の世界において引退とは死を意味する。
「彼女の姉は海底に沈められてダイビングスポットになっているそうよ。人間どもは有効利用したつもりでしょうけど、本人達にとっては堪ったものじゃないでしょうね」
「それで、言いたいことってなんだ?」
ヒューイットはこれ以上辛気臭い方向にいくまえに話を変えた。
「貴方にとって私達はなんなの?」
予想外の質問に戸惑いつつ、ヒューイットは答えをひねり出した。
「最初は共に戦う仲間と思っていたよ」
それからヒューイットは首を横に振った。
「だが違った。今はよく分からない」
それを聞いたレユニオンの顔が緩み笑みを浮かべた。ヒューイットはその時、はじめてレユニオンが感情らしきものを面に出したような気がした。それも喜びの笑みではない。誰に対する者とも分からぬ嘲笑、それに悲しみと怒り。そういった負の感情を押し込めた笑みである。
「なら私がはっきりさせておく。いい。私達は貴方達を勝利に導く戦乙女でもなければ、忠実なる水兵でもない。言うならば私達は奴隷、いやそれ以下かもね。奴隷には叛乱を起こす術がある。私達は自らの意思でなにもすることができない。とするならもっと適切な定義がある」
少し間を置いてからレユニオンは口にした。
「そう。道具。貴方たちの文明を維持するための道具」
「別にそういうつもりは…」
ヒューイットは弁解しようとしたがレユニオンは構わずに続けた。
「えぇ。そうでしょうね。貴方は確かに私達、魂を自分と同等の者として扱ってくれた。人格を持った者だと扱ってくれた」
そこでレユニオンは1度、溜息をついた。
「でも船そのものに対して同じ想いを持っているわけじゃない。貴方にとって、あの鋼鉄の船体は今でも戦争のための道具。私達もその点を勘違いしていた」
ヒューイットはなにも言い返せなかった。彼女の主張は間違っていないように思えたからだ。
「私はずっと船に生まれたことを憎んできた。貴方は前にこう聞いたわね。“眠らないのか”って?私達には貴方の想像するような生活はないの。ドックに入るのが休息で、燃料を補給するのが食事、ビルジをポンプで排出するのが排泄。自分の意思が入り込む余地などありはしない。そして戦争になれば戦場に連れて行かれる」
突然、話が変わった。ヒューイットは困惑しつつ、さっきの質問との繋がりを見定めようとした。
「それでも自分で戦えるなら、自分で武器を持って、自由に戦場を駆けまわれるなら、それで事は変わっていたと思う。だけど私達は船、ただ水兵たちが武器を操るのを眺め、操舵手がうまく砲火を交わすのを祈るだけ。今の時代、そんな戦場というのは無いけれど、戦場で自らはなにもできず身を守ることもできないなんて状況に置かれたらどうなるか、私には想像がつかない。そして運が悪ければ殺される」
そう彼女達は戦ってはいなかった。水兵が動かすように動いているだけで、実質的には無防備なままで銃撃の間に放り出されたようなものなのだ。
「私達は生き残っても幸せな老後なんて待ってはいやしない。人間たちが要らないと判断すれば解体されるか標的として沈められるか…どの道、殺されることになる。こんな理不尽なことある?私は何度も自問した。どうして船に生まれてしまったのだろう。どうして神様は船に命を与えてしまったのだろうと」
結局、人と軍艦の違いはそこにある。軍艦は戦争の道具としての価値しか求められず、それ以上のことをやることも認められない。彼女達に“人生”というものは許されていないのだ。ヒューイットもそれに感づいてはいたが、改めて明確に突きつけられつと、その恐ろしさに慄然とした。ヒューイットは彼女達とは違った。ユージーン・ヒューイットはアメリカ合衆国の市民として自らを守る国と憲法を擁護するために―実際の理由はどうであれ―志願して海兵隊の一員となったのだ。そして現役中も、引退してからも国から相当の褒章と名誉が得られる。だが彼女達はどんな対価を得られない。余生さえも。
ヒューイットの背後では、あの“偉大なる愛国者”LCSクイーン・オブ・ザ・ウエストがまた自分達の任務がいかに自由主義世界を守るのに貢献しているか演説を始めた。レユニオンはそんなクイーンに冷ややかな視線を向けた。
「所詮、答えなど出はしない。その点、クイーンは賢いの。自分が世界にとって必要な犠牲だと信じようとしている。自分は選ばれた存在だと。そう考えたほうが気楽に生きられるでしょうね。だけど私もホワールウィンドも不器用だから、そんな風には割り切れない」
レユニオンは視線をヒューイットに戻した。
「貴方を見つけた時、本当にうれしかった。人間の中にも私達を理解できる者がいる。なにかが変わるかもしれない。そう思った。だけど貴方は私達に人は見えても、船は見えていなかった。例の密輸船への貴方の態度を見てホワールウィンドはそう思ったのでしょうね。裏切られたと」
それからレユニオンは首を横に振った。
「貴方は別に悪くないわ。いきなり私達の全てを理解しろと言っても無理な話。それに私達の期待そのものに無理があった」
少し間を置いてレユニオンはまた顔を緩めて自嘲気味に言った。
「所詮、人は人。船は船」
レユニオンはヒューイットに背を向けて返事を待たずに艦魂たちの環に戻って行った。その背中はなにか物寂しげであった。
ヒューイットも環に背を向けて静かに去った。彼は自分に彼女達の間に入る視覚はないのだと思った。彼女達を見えるようになったのはなにかの運命かとも思ったが、見えていたのは表面だけだったのだ。
そして翌日、ヒューイットを乗せたホワールウィンドは再び任務についた。