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ハイフォン UNPFSCS洋上部隊地上司令部
その夜、ベトナム海軍基地の施設一棟を丸ごと借りて置かれている司令部の会議室には洋上部隊の主要な指揮官たちが集まっていた。中心に居るのは司令官のフランス海軍少将、ルイ・アルグー提督だ。
「これは広州の情報源から送られてきた写真だ」
アルグー提督が指示を出すと、幹部たちが座るU字型の机の中に置かれているプロジェクターが2人の男が写った写真を壁に貼られたスクリーンに映した。
「1人は中国の反乱軍、その有力者の1人であるチャン将軍だ」
写真が変わった。先ほどのは2人の上半身のクローズアップであったが、次のはより引いて多くの範囲を収めた写真であった。軍の施設で密談をしている光景を写したようだ。
「そしてもう1人はヌル・ジャントラ」
会議に参加していた幹部の1人がその男の正体に気づいて叫んだ。
「テロリストじゃないか!」
彼以外の者も例外なく顔色を悪くしているようだ。
「その通りだ。どのような会話がなされたのかは定かではないが、なんらかの協定が成立したものとして行動しなくてはならない」
アルグー提督が苦虫を噛みつぶしたような顔で言った。誰にとってもうれしい話ではない。なにしろ国連軍の存在を最も疎ましく思っている連中が、やる事がとにかく過激である連中と手を組んだかもしれないというのだ。
「国連軍としてはいかなる対応を」
アメリカ海兵隊派遣部隊司令官のアフマド大佐が挙手して尋ねた。それにはアルグーの隣に座っていた、キャンベラからヘリで戻ってきたばかりの副官のホワイト大佐が答えた。
「私は本国に艦載ヘリのためのヘルファイアーミサイルを至急送るように要請したが、却下されたよ。理由は“君たちは戦争をしているのではない。平和維持活動をしているのだ”ということだそうだ。どこの国も同じようなものだろう。質的数的な部隊の増強は望めない」
アルグー提督がホワイトに続いた。
「ハノイの司令部にROEの変更を要請したが、こちらも却下だ。今のところは“警戒を厳重にせよ”としか言えん」
それを聞いた幹部たちはみな頭を抱えた。身体に爆弾を巻きつけて突っ込んでくる連中にどう警戒せよというのか。
ハイフォン市内
ヒューイットはホワールウィンドが港に戻って後処理を終えた後、すぐさま街に飛び出した。なにかアテがあったわけではないが、船の居そうな場所に居たくは無かった。
「よぉ、ヒューイット!久しぶりだな」
突然声をかけられたので振り向くと、見知った顔があった。
「マルキーニ軍曹!」
フランス系の海兵隊一等軍曹、レオン・マルキーニはヒューイットの肩を叩いて、久々の再会を喜んだ。2人は九州における日本と韓国の戦争以来であった。
「復帰したという噂は聞いていたが、もう前線に派遣されたのか?」
「えぇ。そうなんです。今はホワールウィンドの臨検隊に」
「本当か?今日、早速素晴らしい戦果をあげたじゃないか!」
自分の事のように喜んでくれるマルキーニ軍曹を前にヒューイットはなんとか笑顔を繕えた。
「ところで予定はあるのか?」
ヒューイットは首を横に振った。
「いいえ。まだ街のことを良く知らないので」
「じゃあ、いい店を知っているぞ」
マルキーニはヒューイットを街のある居酒屋に案内した。中は海兵隊員で一杯であった。
「ヒューイット伍長!」
見覚えのある顔がヒューイットのもとへ駆けてきて、思いっきり抱きついてきた。
「トリガー、軍曹に昇進したのか?」
アノ・トリガー三等軍曹は新しい階級省を誇らしげに示した。
「あぁ。今はお前の上官だ。だからあんま偉そうにするなよ?」
それを聞いたヒューイットは跪いて、大げさに許しを請うてみせた。
「申し訳ありません、軍曹!分を弁えておりませんでした!どうかお許しを!」
その様子を見て周りの海兵隊員が大爆笑した。それを見て大尉の階級章をつけた男が近づいてきた。
「ヒューイット、君は大尉を知らなかったな。我々の指揮官、マース・トラヴィス大尉だ」
マルキーニがトラヴィス大尉を紹介した。次にトラヴィスにヒューイットを紹介する。
「大尉。こちらはユージン・ヒューイット伍長。日本での戦争で一緒でした。今は海軍のホワールウィンドの臨検隊に参加しています」
それを聞いたトラヴィス大尉は敬礼をしているヒューイットに握手を求めた。
「見事に悪党を退治した艦じゃないか。よくやったぞ」
「ありがとうございます」
ヒューイットはなんとか笑顔で握手に応じた。
「そちらの方はどうなんですか?」
なんとか話を変えようとヒューイットはトラヴィスらの任務を尋ねたが、それを境にその場の空気が大きく変わった。トラヴィスを筆頭に皆が押し黙ってしまったのだ。部下たちと同様に黙り込んでしまったトラヴィス大尉に代わってヒューイットの疑問に答えたのはマルキーニだった。
「はっきり言うよ。碌でもない任務だ」
ヒューイットとマルキーニが並んでカウンター席につくと、マルキーニはビールを喉に流しこみながら、自分達の活動について話した。彼らは中国反乱軍の越境阻止任務に就いていた。
「奴らが通りそうなルートに見張りを置いて、奴らの動きを捉える。そしてそれをベトナム軍に報告をする。それが俺達の任務だ」
「反乱軍は酷い連中なんですか?」
「本当に酷い連中だ。奴らが越境する目的は主に禁輸物資の密輸のためだが、略奪もするしレイプもする。俺は目の前でベトナムの若い娘が中国人に犯されているのを見ていたんだ!」
アルコールが入ったこともあり、マルキーニの言葉がだんだん激しくなっていった。
「それに人攫いだ。子どもや女を攫って連れて行くんだ」
「どこへですか?」
「さぁな。売春宿なら世界のどこにでもあるし、ポルノビデオの撮影もどこでだってできる。臓器の買い手もどこにでもいる」
ヒューイットはマルキーニの言葉に顔を顰めた。話の内容が凄まじすぎた。
「目の前でそんなことが起きているのに俺達はなにもすることができない!越境してきた中国人を追払うのはベトナム軍の役割だからな。俺達は奴らが俺達を攻撃しない限り銃弾1発も撃つことができない。ハノイのクーラー付司令部でのうのうと過ごしているアホどもが考えた交戦規定のせいでだ!」
「それでベトナム軍の到着は遅いのですか?」
マルキーニはヒューイットの質問を鼻で笑った。
「遅い?そんなもんじゃない。越境は大抵、夜に行なわれるが、ベトナム軍の間抜けどもは次の日の昼間にしか来やしないんだ。夜の間は兵士も将軍も皆、暖かいベッドの上ですやすや寝ているからな。誰もそいつら、特に将軍の邪魔はしたくないのさ。朝になって日課を終えてからようやく出動するんだ!それで翌日の昼間に惨劇の起きた村を訪れた将軍がCNNのカメラの前で叫ぶんだ。“なんという悲劇だろう”ってな!」
マルキーニはジョッキ一杯に注がれたビールを一気に飲み干した。
「はっきり言うよ。俺達は越境阻止のために派遣されているんじゃない。あいつらは夜に働く気はないが、それじゃあ政府に苦情が来る。だから俺達を代わりに派遣して言い訳をしているわけだ。俺達は“勇敢なる”ベトナム将兵に安眠を提供するために派遣されたのさ!」
「酷い有様ですね」
ヒューイットは思わず呟いた。
「まったくだ。ハノイもワシントンもこの問題を本気で捉えていない。だが、このままではスレブレニツァの再現になりかねない」
マルキーニは20世紀末にボスニアで起こったヨーロッパにおける最悪のジェノサイドの1つを引き合いに出して状況を伝えた。あの時も現場に国連軍が居たが、なにもできなかった。トラヴィスの部隊のように。
「お前はいいよな。洋上部隊は今日も派手な戦果を上げた」
「いいえ。こっちもそんなに単純ではありませんよ」
ヒューイットの言葉に嘘偽りは無かったが、マルキーニは慰めの言葉を受け取った。
「それに比べてこっちは…」
後ろでガラスが割れる音がした。2人が振り向くと床に割れたグラスが転がり、その後ろでベトナム人の老人が海兵隊員たちに向かってなにやら喚いていた。
「おまけに歓迎もされないときた」
マルキーニは代金をカウンターに置くと立ち上がり、老人を押しのけて店を出た。老人も海兵隊員たちに怒鳴り散らすと、そのまま出て行ってしまった。
その様子を見ていた1人の店員が海兵隊員の前で出てきた。彼はいくらか英語が解せた。
「すみません。彼は…その…前の戦争で…アメリカ軍の爆撃で…家族を失っていて…」
「大丈夫だ。気にしていない」
必死に弁明する店員をトラヴィスが宥めた。
「皆さんが…前の戦争とはなんの関係もないことは分かります…ですけど」
「いいから」
トラヴィスは立ち上がって店員の前に立つと、ドル紙幣を何枚か店員に渡した。
「俺達は気にしていない。これであの爺さんに今度、一杯奢ってやってくれ」
「すみませんでした」
店員はそそくさとカウンターの向こうに戻って行った。
白けた海兵隊員たちはその場で解散した。
(2015/5/29)
内容を一部変更