Ships don’t kill ships, people kill ships.
あれから数時間たち、ホワールウィンドは海上でベトナム海軍のタランタル級コルベットと会合していた。ハイフォンで出会った373であった。
「そっちはどんな様だ?」
ホワールウィンドが自身の艦橋の上からタランタル級コルベットの後部構造物に設置されたCIWSにもたれかかっている少女に向かって言った。373だ。
「なにもなかったねぇ。まぁ、厳密に言うとあいつらは見つけたけど見てみぬふりしてたんだ。ついでにこれから帰るんだ。“機関の不調”でね」
373の言葉はなにか含んだような言い方であった。
「調子が悪いのか?」
ホワールウィンドの問いに373はニヤリと笑った。
「万事絶好調!」
船体とその分身たる彼女は一心同体の筈である。片方が好調だというのなら、意味するところは一つだ。
「楽でいいねぇ」
「えぇ。とっても」
タランタル級コルベット373はそのまま母港ハイフォンへの帰路についた。
会合の直後であった。上空のポセイドン哨戒機から再び不審船発見の報が届いた。ホワールウィンドは再び機関出力を上げて、不審船の追跡を開始した。
3300馬力のディーゼルエンジンが4基、唸りをあげて33ノットの高速で南シナ海を駆け抜けてゆく。そして不審船らしき船を視界に入れた。例によって外見は漁船のそれであった。
「エヴァ7、こちらグレイレディ。前方の船が目標か」
ヒナタの問いに、すぐに上空のポセイドン哨戒機から返事が戻ってきた。
<その通りだ、グレイレディ。援護する>
小さな船体に戦闘配備を告げるサイレンが鳴り響いた。ヒューイットら海兵隊員らは再び後部のRHIB周りに集まる。
スピーカーから再び中国語、ベトナム語ならびに英語による停船命令を発したが、相手はそれに従う様子は無かった。
ホワールウィンドは定位置である艦橋の上から、必死に逃げようと試みる不審船を眺めていた。甲板に居た乗組員たちはすぐに船内に消えてしまったが、一人の少女は甲板に留まったままであった。
その少女は艦橋上のホワールウィンドの姿を認めると、口を動かしてなにかを訴えた。その声はホワールウィンドには聞き取る事ができなかったが、なにを言いたいかは理解できた。
「クロかよ。畜生」
目に涙を浮かべている少女に対してホワールウィンドは首を横に振った。彼女のためにできることなどありはしないし、ホワールウィンド自身に対してもそうであった。
「これだから。本当に嫌になる」
ホワールウィンドは当事者の1人かもしれないが、なにもできず傍観するしかないのである。自分自身が命を奪われることになったとしても。
逃げつづける不審船に対して乗組員たちの緊張はますます高まっていた。逃げると言う事はなにかトラブルが発生する可能性が高いということなのだ。そしてその実態は誰かが撃たれるまでは分からない。
「威嚇射撃!用意!」
ヒナタは艦内電話で前部甲板の25ミリ砲手に命じた。砲手はMk38を動かして、砲口を右斜め前の不審船に向けた。
「オープン、ファイアー!」
鈍い音を上げて、砲口から数発の25ミリ弾が放たれた。弾は狙いどおりに不審船、ではなくその前方の海域に落ちて水柱を上げた。
「停船しなければ、次は船体に当てると言うんだ」
ヒナタはそれを見届けると、外のスピーカーに繋がるマイクを手にしている通訳に命じた。通訳は顔を冷や汗で濡らしながら命令を実行した。
脅しは効いたようであった。ホワールウィンドは目の前の船が徐々にスピードを緩め、やがて停止するのをずっと眺めていた。そして甲板に両手を上に挙げた乗組員たちが次々と出てきた。
これで自分の身体に穴が開くことはなさそうだ。ホワールウィンドは安堵の溜息をついた。生きた心地のしない30分であったが終わった。だが相手の船はそうではあるまい。
相手の方はまだこちらを見つめていた。涙から溢れていた。ホワールウィンドはまた首を横に振った。残念ながらアンタは天国行きだ。人間の神様が船を受け入れているかどうかは知らないけど。
海兵隊たちも安堵していた。相手の様子を見る限り、トラブル持ちではあるが抵抗の意思はなさそうである。見かけ上は。だから緊張を緩めてはいけない。
また同じようにRHIBが海上に下ろされ、シンプソン率いる臨検隊が素早く乗り込んだ。ヒューイットは相変わらず後部構造物の影から狙撃銃の照準をあわせていた。スコープ越しに見る限り、相手の乗組員たちはすっかり諦めているようであった。自爆の可能性もなくもなかったが、彼らはイスラム過激派ではあるまい。
先ほどと同じように1人がRHIBに残り、2人が甲板を見張り、2人が船内へ消えた。そしてすぐに無線を片手に出てきた。
<当たりです。こいつは密輸船です>
通信はホワールウィンド艦橋に向けられたもので、砲術長を介さずにヒナタはすぐに返答をした。
「なにが見つかった?」
<麻薬です。たぶんヘロインでしょう。それと禁輸品の電子機器がもろもろ>
「よろしい。武装解除は済んだのか?」
<武装は積んでいません。安全です。爆弾もなし>
ヒナタはそれを聞いて緊張を解いた。もう安全である。
「よし。艇を横付けする。乗組員と押収品をこちらに移せ」
<アイアイ、マム>
2隻の船は横に並んだ。間に舫いと板が渡され、両手を頭の上に置いた乗組員が次々とホワールウィンドに移っていく。次は押収品の麻薬と電子機器だ。
ヒューイットはその様子を後部甲板でRHIBの収容作業を手伝いながら眺めていた。そこへオベロン軍曹がやってきた。
「これからあの船、どうするんですか?」
まさかこのまま放置するわけにもいくまい。
「前は港まで曳航していたんだが、保管している船が何時の間にか無くなっていて、恙無く密輸船に復帰ってことが何度もあったもんでね。今はああしてる」
そう言ってオベロンが指さした方には、なにかの箱を持って渡し板を密輸船の方へ渡っていくホワールウィンドの乗組員の姿があった。
「あの箱って?」
「爆薬だ」
爆薬を持った海軍水兵は密輸船の中に消えた。
RHIBが収まるところに収まり、爆薬を仕掛け終わった水兵が戻ってきて渡し板が外される。
ヒューイットはまたホワールウィンドの姿を見つけて、その隣に立った。
「良かったな。今度も大したことにはならなかった」
だがホワールウィンドは先ほどのように安堵の表情は見せず、ただ冷ややかに密輸船を眺めているだけだった。
「なぁ。あいつになんの罪があるんだ?」
ヒューイットはホワールウィンドの言葉の意味が分からず、彼女の視線を追った。その先には密輸船の甲板に座る少女の姿があった。密輸船の乗組員は全員、こっちに移送されている筈であるから、あそこに見えるのは…
「あれって、もしかして…」
「今ごろ気づいたか。アホ」
次の瞬間、閃光と轟音とともに密輸船の船橋が吹き飛んだ。少女の姿は消え、甲板は炎に包まれている。船体はゆっくりと傾き、少しずつ沈んでいく。
水兵と海兵隊員たちは並んでその光景に歓声を上げ、拍手をした。皆、仕事をやり遂げた事に対する満足の笑顔で一杯であった。ヒューイットを除いて。
「船には魂が宿る。例外なんてありはしない」
そんな様子を背景にホワールウィンドはぶつぶつ呟いていた。
「それにしても不公平な話じゃないか。悪い奴は刑務所行きで済んで、“載せてた”だけの船はお陀仏か?“銃が人を殺すのではない。人が人を殺すのだ”じゃなかったのかい?」
ヒューイットは一度溜息をついた。
「俺は全米ライフル協会の会員じゃないよ」
なんの反論にもなっていなかったが、そうとしか言いようが無かった。
密輸船撃沈という偉大な戦果に対する拍手喝采はいつまでも南シナ海に轟いていた。