First inspection
それから30分ほど前、南シナ海の空を4つの航空機が飛行していた。中心を飛んでいるのはアメリカ海軍の最新哨戒機であるP-8ポセイドンだ。ボーイング製の旅客機B373を改良した機体である。旅客機をベースにしたのは開発費用の削減のためであるが、高高度高速飛行に最適化された最新のジェット旅客機を低空低速飛行で潜水艦を捜索する哨戒機に転用するのは無理があった。結局、開発は難航し開発費用は当初の予定を大幅に上回る結果となり、さらには生産機数を減らされるというオチがついた。
生産数縮小による穴は無人機の活用で埋め合わせをする事になった。そのために開発されたのがP-8ポセイドンの周りを囲んでいるMQ-9Bブラックカイト無人哨戒機である。ブラックカイトは、傑作無人偵察機RQ-1の機体を大型化しエンジンをレシプロから強力なターボプロップに換装して航続距離、搭載量を大幅に増強したMQ-9Aリーパーの海軍バージョンである。機種には様々なセンサーシステムが搭載されていて、それが海面を舐めまわすように見張っていた。そしてカメラが封鎖海域を進む不審船舶を発見した。
オーストラリア海軍揚陸艦キャンベラ
UNPFSCS最大の軍艦キャンベラ、3万トンを誇る船体の中には洋上部隊の司令部が置かれている。この時、司令官はフランス海軍の提督が、副司令官はオーストラリア海軍の大佐が務めていて、後者が司令部に居た。
<ポーラスター、こちらエヴァ7。ブラックカイトの1機が不審船舶を発見した>
アメリカ海軍のポセイドン哨戒機エヴァ7から通信とともに問題の船の画像も送られてきた。メインモニターに映されたそれは漁船らしき姿をしている。海賊船も密輸船も大抵、漁船に化ける。
「エヴァ7、こちらポーラスター。監視を継続してくれ。臨検のために船を派遣する」
オーストラリア海軍大佐“チャーリー”チャールズ・ホワイトはエヴァ7にそう返答すると、幕僚の1人に顔を向けた。
「一番近い船はなんだ?」
幕僚は海図台の上の1隻を指差した。
「これですね」
「アメリカ海軍のホワールウィンドか」
東シナ海洋上 ホワールウィンド
命令を受けたホワールウィンドはただちに針路を変えて不審船舶のもとへ向かった。機関の出力を上げて30ノットの高速で進んでいると、対水上レーダーにそれらしき影を捉えた。ヒナタ艦長が双眼鏡を持ってレーダーが影を捉えた方向を覗くと漁船らしき船を見つけた。
「あれが目標か?エヴァ7に確認をとれ」
通信士がエヴァ7との回線を開いて確認を求めると、すぐに返事が戻ってきた。
<グレイレディ、こちらエヴァ7。間違いない。それが目標だ。こちらでもそちらを捉えている。オーバー>
それを聞いたヒナタが通信機のマイクを手にした。
「エヴァ7、こちらグレイレディ。確認ありがとう。これより臨検を実施する。引き続き援護を頼む。オーバー」
<グレイレディ、こちらエヴァ7。了解した。交信終わり>
通信が切れるとヒナタは無線マイクを戻した。
「海兵隊どもを準備させろ。総員戦闘配備」
ヒナタはそれだけ指示すると自分の席に戻り、そこでなにかを取り出した。ドイツ製の短機関銃MP-7であった。ヒナタはそれに弾倉を装着した。
「艦長?」
プラムニーがそれを見て艦長に問い掛けた。
「念のためよ」
「そうですね」
プラムニーも肩から下げたホルスターに収められた45口径拳銃ガバメントを取り出すと、スライドを引きチャンバーに初弾を装填した。
「念のためにです」
甲板上の銃器に次々と兵員が配置され、海兵隊たちは後部のRHIBの前に集まっていた。武器を片手に待機をしている海兵隊員たちは艦橋に備えられたスピーカーから流れる軍の通訳の声を聞いた。中国語をある程度使えるトムスキーが停船命令を発していると説明していてが、それは言葉を解さなくても皆が既に理解していることであった。
ヒューイットは他の居残り組とともにRHIBの横で併走する漁船に銃口を向けていた。次の瞬間にでも向こうから銃撃が放たれるのではないかと考えると銃を握る手に自然と力がこもった。しかし漁船はあっけなく停まった。
RHIBがすぐに海上に降ろされ、シンプソン少尉率いる臨検隊が乗り込んでいった。エンジンがすぐにかけられて、ボートは漁船の方に向かって行く。オベロンが周りの海兵隊員たちに細かな指示を出し、銃架にはメスカ上等兵が備え付けられた7.62ミリ機関銃M240の銃口を相手の漁船に向けて、油断無く警戒していた。
その有様はホワールウィンド上でも同様で、全ての銃口が漁船に向けられたままである。そして、いよいよ一番危険な段階に入った。乗り込みである。
RHIBが漁船の横につけられると、トムスキーが梯子を漁船の船体に引っ掛け、上りはじめた。この時、漁船から銃撃を受ければ梯子を上っているトムスキーも待機している他の海兵隊員も逃げようがない。
トムスキーが甲板に降り立つと、そこには丸腰のいかにも漁師という風貌の男が立っていた。
ヒューイットは一人目のトムスキーが無事に乗り込み、それに海兵隊員たちが次々と続いていくのを確認した。最も危険な段階は無事に切り抜けたようである。漁船の乗組員と思わしき男達が甲板に並んでいるが、誰も武器を持っている様子はない。一見したところでは。
メスカを残して臨検隊は漁船に乗り込んだ。シンプソン少尉とハトラーが甲板を監視し、オベロンとトムスキーが乗組員の1人の案内で船内へ入っていった。
数分後、オベロンが船内から出てきて、甲板で見張りをしていたシンプソンに何事かを耳打ちした。するとシンプソンは手に携帯無線機を持った。
それから少しして、スピーカーからヒナタ艇長の声が聞こえてきた。
<戦闘配備解除。戦闘配備解除>
どうやら問題のある船ではなかったようだ。ヒューイットは銃口を下ろして安全装置をかけた。
艦橋ではヒナタが漁船の様子を眺めていた。安堵でこのまま腰が抜けてしまいそうであったが、何とか耐えた。指揮官は常に毅然としていなくてはならない。
「ただの漁船だったそうです。武器も密輸品も積んでいません」
臨検を監督する砲術長が報告した。
「ここは封鎖海域だって知らなかったのか?」
艇長の問いに砲術長は首を横に振った。
「知っていましたよ。でも、ここらに良い漁場があるそうで。まぁ封鎖海域は国連が一方的に宣言したものですからね。地元の漁師としては堪らないでしょう」
「そうだな。見逃すとするか」
規則には反するが、地元民との友好関係の維持は必要である。ベトナムもイラクもそれで失敗し、アメリカ国民が多くの血を流すことになったのであるから。
「海賊に注意するように伝えてくれ」
それだけ言うとヒナタは自分の席に座り、ようやく身体の力を抜いた。その後ろにいたプラムニ―はガバメントをホルスターから取り出して、スライドを引いた時に一緒に下りた撃鉄を慎重に戻した。
臨検隊を乗せたRHIBが戻ってきた。海兵隊員たちは皆が笑顔で、臨検活動に対する相手側の態度が終始友好的であったことを示していた。
RHIBがホワールウィンドに横付けするとヒューイットは真っ先に駆け寄って、上がってこようとするシンプソン少尉に手を貸した。
「いやぁ良かったですね」
ヒューイットは全員が生きて戻ったことが心底嬉しかった。
「まったくだよ」
臨検隊員が次々と上がってきた。最後はオベロンだった。沖では漁船がホワールウィンドから離れて漁場への行程を再開した。
クレーンでRHIBが持ち上げられ、後部甲板の収容スペースに収まろうとしていた。ヒューイットはその様子を背にしてホワールウィンドの姿を探した。そして見つけた。
ホワールウィンドは力無く艦橋構造物にもたれていた。ヒューイットは隣に立った。
「良かったよ。なにもなくて」
ヒューイットが笑いながら言うと、ホワールウィンドは安堵の表情を見せた。
「まったくだ。お前らのイザコザに巻き込まれたくなんかねぇ」






