Ships have a soul
「なにが言いたいんだ!」
ヒューイットは目の前の女がなにを言いたいのか、さっぱり分からなかった。
「分からない?私たちはあなたたちが乗っている船よ。船」
「船は桟橋に泊まっているものだし、人の形はしていない」
ヒューイットはそこで言葉を切った。
「お前たち、病院に連れて行ってやろうか?」
それを聞いたホワールウィンドは大声を出して笑った。それはヒューイットへの嘲笑であった。
「そうしたきゃ、そうすればいいさ。きっとあんたが入院することになるぜ」
ヒューイットそう言って自分をあざ笑う相手にかける言葉がなかった。
そこへヒューイットと同じ海兵隊員の集団が現われた。彼らはクイーン・オブ・ザ・ウエストの乗り組み海兵隊で、日韓の戦争時にともに戦いヒューイットと面識のある者も居た。
「ヒューイット!お前、復帰したのか!」
二等軍曹がヒューイットに声をかけた。
「えぇ。なんとかね。今はホワールウィンドに乗り組んでます」
「そうかぁ。それは良かったな。あれは小さい船だから海に出てもすぐに帰れる。うちの船だと、結構長く海上に留まるんだ。羨ましいよ。ところでこんなところでなにをやっているんだ」
「ちょっと、変なのに捕まってさ」
ヒューイットはそう言いながら、自らを“軍艦”だと主張を2人の女を指差した。それを見た二等軍曹は怪訝な表情をした。
「なにがあるんだよ?」
「いや、だからさ」
ヒューイットは振り向いて、まだそこに女が2人立っていることを確かめた。
「居るだろう?女が」
それを聞いた二等軍曹はあからさまに顔を顰めた。
「誰もいやしないぞ。ヒューイット。退院が早すぎたか?」
二等軍曹は優しくヒューイットの肩をさすり、憐れみを込めた目で彼を見つめている。その目線はヒューイットにとっては苦痛以外の何物でもなかった。
「いや、何でもない」
今さら否定しても遅いとも思ったが、それでもヒューイットは自分の言ったことを否定することにした。彼らに見えないものの存在を主張しつづけても仕方がないし、これ以上続ければ本当に病院に連れていかれかねない。
「何でもないんだ。もう行ってくれ」
「そうか。そうだよね。邪魔して済まなかった」
口では納得した風に言っているが、相変わらずの憐れみの込められた目を見ればそれが口だけなのは明らかであった。ヒューイットは自分がなにか大切なものを失ってしまったと思った。
二等軍曹はヒューイットに背を向けて、やはり怪訝な表情をした仲間たちとともに去っていった。彼らが今、どんな会話を交わしているかと思うと、ヒューイットは胸が痛くなった。そんな様子を見て、ホワールウィンドは相変わらずの笑顔で行った。
「ほらな?入院するのはあんただ」
「皆さん、我々が居るのは自由の最前線、民主主義の砦であるということを忘れてはいけません。人間の世界は今、大変混乱した状況になっています。それは何故でしょうか?」
人気の無い埠頭の一角。倉庫に囲まれて、1つだけぽつんと立っている電灯の灯りの下に男1人と女数人が輪になっていて、真ん中で演説をしている女を見つめていた。
もっとも、ほとんどの人から見れば男が1人無人の倉庫街に立っているという不審極まりない光景にしか見えないだろうが。
「それは自由と民主主義が脅かされているからです。中国における抑圧的体制とテロリズム。この二つによって自由主義世界は危機に瀕しているのです」
中央で熱弁を振るっている女だが、聞き入っている者は皆無であった。周りの女達は近くの者と小さな集まりをつくって、それぞれに情報交換やら世間話やらに花を咲かしている。
「自由主義世界の防衛、民主主義の更なる発展。これこそが我々に課せられた使命なのです。ここは自由の最前線であり、民主主義世界に生きる全ての人々の命運を我々が握っていると言っても過言ではありません」
しかし中央の女はそんな有様にもめげずに演説を続けていた。ヒューイットはそんな光景を左右に立つレユニオンとホワールウィンドに挟まれて眺めていた。
「なんなんだあれ?」
ヒューイットは演説を続ける女、クイーン・オブ・ザ・ウエストを指さした。ヒューイットも一端の海兵隊員として愛国心もあれば任務への誇りもあるが必ずしもプロパガンダのままではない現実も戦場で見てきた。それで自分に酔っている節さえあるクイーンの演説には違和感を覚えた。
「ソルジャー・オブ・フォーチュンの読みすぎだな」
ホワールウィンドはおもしろがっているような表情で答えた。
「大丈夫なのか?」
ベトナムは資本主義経済世界へ仲間入りを果たしたとはいえ腐っても共産主義国家である。政治は相変わらずベトナム共産党による一党独裁が続いていて、自由の最前線とも民主主義の砦とも言いがたい。そんな土地であるから派遣されているアメリカの軍人達も軽軽しく民主主義について語ることなどできないし、司令官たちもだいぶ気を使っている筈である。それなのに目の前の女はこともあろうに、かつて自由主義世界からの攻撃に立ち向かっていた軍港で演説台に立ち熱弁を振るっているのだ。
「誰も気になんてしてない。聞く気もないし」
レユニオンが相変わらずの無表情で答えた。
「だがよ。あいつらはベトナムの子だろ?」
ヒューイットは3人で固まってなにやら話をしている3人を指差した。1人はヒューイットやレユニオン、ホワールウィンドと同年代―別に同年代というわけじゃないが―に見えるが、あとの2人は身長がもう1人の半分ほどで子どものように見えた。同年代に見える1人はこの街の名を冠された軍艦ハイフォンで、残りの2人はタランタル級コルベットだと言う。
「気にするな」
答えたのはホワールウィンドであった。
「船にアカもリベラルもネオコンもありゃしないさ。なぁ!」
最後の言葉はベトナムの3隻に向けられたものだ。
「なに?」
声をかけられたハイフォンだが、当然ながら2人の会話を聞いていたわけではないので首をかしげた。
「あんたらは人間どものイデオロギーなんて知ったこっちゃないだろう、って話さ」
それを聞いたハイフォンは不機嫌そうであった。
「だからなによ?まったく邪魔しないでよね。ねぇ、373、374」
ハイフォンは2人の少女―年齢はハイフォンの方がずっと下のはずであるが、なぜか2人の方が幼く見える―に言った。それからすぐに3人の会話に戻っていった。
「373って、名前か?」
ヒューイットが両隣の2人にまた尋ねた。
「当然だろ?」
「味気ない名前だな」
「おいおい、そりゃないぜ。あんたらがつけた名前だろ?」
ホワールウィンドの言葉を聞いてヒューイットは彼女らの主張をいよいよ信じ始めた。人間とはなにかが違う。
「しかしよく分からんな」
ヒューイットは改めて集まっている女達を眺めて言った。
「お前らが軍艦の分身、艦魂であるというのは信じる事にしよう。だけど分からんなぁ」
各艦のプロフィールを思い出すとどうも符号しない。
「なぁ、あのタランタル級が就役したのは20年前のはずだ。でハイフォンの就役は去年のはず。だけど、明らかにハイフォンの方が年上に見える」
「そうだなぁ」
ホワールウィンドが興味なさげに言った。そんな彼女に向けてヒューイットはさらに続けた。
「どうも分からないんだ。お前だってもう就役から20年以上経っている」
次にレユニオンに顔を向けた。
「そしてあんたは一昨年に就役した艦だ。でも同年代に見える。どうなってんだ?」
「知らねぇよ」
ホワールウィンドは欠伸をしながら答えた。
「あたいたちはこの姿で生まれて、ずっとそのままだ」
「じゃあなにが外見を決めるんだ?」
まだ続くヒューイットの追求にホワールウィンドも苛立ちつつあるようだ。
「だから知らねぇって言ってるだろ」
「お前ら自身のことだろ!」
いよいよ言葉を強めたヒューイットにホワールウィンドの怒鳴り返した。
「だから、何だって言うんだ!あんたは自分の身体のことを全て知っているって言うのかい?」
すると黙って2人のやりとりを聞いていたレユニオンがふと漏らした。
「私も知りたいと思ったわ」
ヒューイットとホワールウィンドがはっとしてレユニオンを見た。
「でも、知りようがなかったの」
そう呟くレユニオンの顔には自嘲の笑みが浮かんでいるように見えた。ヒューイットは初めて彼女が感情を表すのを見たように思った。
ヒューイットは自分の心が急速に冷めていくのを感じた。腕時計を見ると午前2時を過ぎていた。
「もう帰って寝るわ」
集まりに背を向けて、その場を離れようとしたヒューイットであったが、足を止めてまた振り向いた。
「お前ら寝ないのか?」
「寝床もねぇよ」
ホワールウィンドの言葉がよく分からなかったが、ヒューイットはとりあえず納得することにした。
「1ついい?」
レユニオンがまた無表情に戻って言った。
「クイーンをあまり邪険しないでね。彼女は賢い子だから」
ヒューイットは彼女の言葉の意味を深く考えなかった。今、彼の頭を占めていたのは、この異様な空間から離れて自分のベッドに入ることだけだった。