Dishonorable pullout
私は港でオーストラリア海軍軍艦メルボルンが爆発するのを目撃した。それと同時に近くで女の悲鳴が聞こえたように思う。翌日、同僚にそれについて尋ねたが聞いた者は私以外にはいなかった。悲鳴の主は人ならざる者のようだ。レユニオンもどこかへと立ち去った。
それから朝まで私は屋上で警戒活動を続けて、その日、UNPFSCSを襲った事態の全貌を知ったのはそれからであった。シンプソン少尉とハトラー上等兵も含めて死者40人、負傷者200名以上。1日における被害としてはPKO史上最悪のもので、一連の戦闘はアメリカ本国の世論を大いに刺激した。アメリカ国民はソマリア平和維持軍における悲劇を思い出し、南シナ海平和維持軍そのものもソマリアのそれと同じような経過を辿る事になった。
戦闘直後にはオーストラリアが派遣部隊撤退を決定したが、一週間後にアメリカも続いた。大統領はベトナムからの全部隊撤退を決定し、他の先進諸国もそれに倣った。これらの国々の部隊撤退によりUNPFSCSは事実上崩壊した。翌年、中国における内乱が集結するまで東南アジア全体が混乱に覆われることになる。
そして私達、海兵隊の撤退の日がやってきた。メルボルンは事件直後に曳航されて本国へと出発し、それからどうなったかは誰も知らなかったが、その日になって続報が入った。
<またカーチス内閣は攻撃を受けたフリゲートについて、老朽化の進み、まもなく退役時期を迎える艦であり修理しても費用対効果が低いとして、このまま廃棄する方針を決めました。背景にはカーチス内閣の財政健全方針があり、修理のための予算増は議会から認められないだろうという判断があったようです。国防大臣はメルボルンが欠けても、新型艦の就役で代替は可能であるとして、我が国の国防体制に影響がないことを強調しま…>
それがハイフォンに集った戦船の分身たちが聞いた最後のラジオ放送となった。その場に居たのは大半がASEAN諸国から派遣された艦ばかりで先進国の海軍に属する者はほとんど居なかった。レユニオンはその数少ない1人であったが、明日にはフランス海外県レユニオン―彼女の名の由来である―にある母港ポール・ド・ラ・ポワント・デ・ギャレに向けて出発するという。私は帰国するときになってようやくレユニオンがこれまで重ねてきた言葉の意味が理解できるようになった。
海兵隊もホワールウィンドもアメリカに戻った。ホワールウィンドが受けた損傷は修理されることになり、10月はじめには任務に復帰した。しかし海兵隊の方はそうはいかなかった。
世論が沈静化した頃、交戦規定を破り中国反乱軍との“不必要な”戦闘を行なったことでトラヴィス大尉は軍法会議にかけられ、大尉には不名誉除隊が言い渡された。
派遣海兵隊司令官であるアフマド大佐にも処分が下され、現場指揮官からワシントンでのデスクワークに左遷されたが、大佐は海兵隊を去る道を選んだ。
私、ユージン・ヒューイットもアフマド大佐と同じ道を選んだ。大切な仲間たちと離れる事は苦しい選択であったが、レユニオンの警告は的を射たものであった。
海兵隊を除隊後、妻子と人生をやり直そうとも考えたが、妻は新しい人生のパートナーを既に見つけていた。私はこれまでの人生の全てを失ったのだ。
友人の薦めで警備会社に就職したが、これからの人生についてなにも見出せずにいる。だが1つ誓いをした。もう二度と船には乗らないと。
CYCLONE/JOKER 終わり
というわけで1つの作品を無事書き終えることができました。たった14話の作品に2年近い歳月を要してしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございます。