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第5話 夏空と田舎の噂と夏野菜

 網戸を抜ける蝉時雨。目を開けなくても、天気が良い日だと分かる。扇風機の風が気持ちいい。昨晩はあまり眠れず、もう一度寝ようと、目を閉じたままベットの上にうつ伏せになる。


 遠くで電話が鳴っていた。


 ばあちゃんの家からだ。誰からだろう。いや、電話番号を見て、後から掛け直せばいいか。続いて、廊下を走る音が聞こえる。


 頭の中で「あっ」と叫んだ。すーっと頭が冷えていくのを感じる。二度寝は出来そうにないし、それどころじゃない。


 ベットから飛び降りて、ばあちゃんの家へ。家の間で連結された勝手口のドアを開けると、制服を着た吉岡さんが、受話器を取っているのが見えた。

 

「はい、よし、吉野です。えっ、純一くんですか?」


 目が合った。よほど僕が焦った顔をしていたのだろう。目を大きくして、一歩後退った。僕が近づいていくと、受話器を差し出した。


「学校の先生から。松尾先生」


 僕は受話器を受け取って言った。


「はい、代わりました」

 

 返事がない。焦ってる雰囲気だけが受話器ごしに伝わってくる。小さく「ああ」という声が聞こえた。


「吉野の家、お手伝いさんでも雇ったのか」

「いやいや、親戚の子ですよ」

 

 なにやら隣から視線を感じるが僕は無視をした。間違ってはいないはずだ。

 

「そうか。まあ、田舎の噂は尾鰭が付きやすいからな。気をつけた方がいいぞ」

「ええ、まあ」

「それで、今日も休むつもりか?」

「ええ、まあ」

「荷物はどうする? 佐々木か玉野かに頼んでおくか?」

「あとで、お願いしておきます」

「分かった、始業式には来いよ」

「はい」

 

 僕は受話器を置いて、ふーっと深く息を吐いた。視線が気になって、どうも受け答えが適当になってしまった。

 

「てっきり、夏休み中だと思ってたんだけど、違うのね」と、上目遣いに不満げな顔で吉岡さんが言った。

 

「今日が終業式だから、似たようなものさ」


 真正面から彼女を見据える。化粧っ気の顔が幼く見える。どうやら昨日のは夢じゃなかったらしい。

 むしろ昨日よりも実在感があるのは、今が朝だからか。


「というか、帰っていなかったのか」

「だって、帰り方分かんないもん。寝たら帰れるのかなーって思ってたけど、無理だった」


 少し頬を膨らませて、不満を漏らす。その行動がなぜか昨日と比べ少し幼く見えた。多分、そういう風に大人っぽさと子供っぽさを繰り返して、徐々に大人になっていくのだろう。

 

「そうか」とだけ、僕は答えた。


「学校、行かないの?」

「昨日も休んだし、今日だけ行ってもしかたがないさ。どうせ、昼から休みなんだ」

 

 吉岡さんに僕の発言は受け入れられなかったらしい。ぶんぶんと首を振り回し、髪が半分くらい肩の前に流れた。

 

「だめよ、行きなさい。学校に行けるなんて幸せなことだって、お父さんも言ってたし。それに、そんな風に育てた覚えはないわ」

「時代が違うし、育てられた覚えはない」

「どうしても行かないなら、私が代わりに行くわ。……ちょうど、制服だし」


 自分の服装に目をやり、にやりと笑って吉岡さんは言った。


「それは、反則だろう」と、僕はため息をついた。


「分かった、行くよ。わざわざ期末テストと通知表を貰いにね」

 

 最後にいや味の一つを言ってから、僕は廊下に出た。


 ばあちゃん家にある僕の部屋は、畳の客間に机とハンガーラックを持ってきた簡素なつくりだった。

 部屋に入って、やけに外の蝉がうるさいなと思ったら、網戸に1匹止まっていた。


 スマホを見る。今から行くなら、かなり急がなくてはならない。僕はさっさとシャツとズボンに着替え、カバンを持って部屋を出た。


「わっ、私の時代と同じだ」

「多分、学ランも変わってないよ」


 僕は引き戸を開けた。夏の日差し。思わず、目を細める。外に止まっていた油蝉が、青い空へと飛んでいった。


「ああ、そうだ」

「なに?」

「母さん、いつも10時過ぎに帰ってくるから、何か言い訳を考えておいた方がいい。流石に親戚じゃあ、通用しない」

 

 玄関先にいる吉岡さんはちょっと目を見開いた後、くすっと笑って言った。


「そうなの? じゃあ、私もこの辺りを少しぶらぶらしてみるわ。それまでに考えとく」

「あまり、お店とかに入らない方がいい。多分、どこかで捕まる」

「そんな不審者みたいに言わないでよ」


 存在からして不審だ、という言葉を僕は飲み込んだ。


 自転車を漕いでいる間に、そもそも制服でぶらぶらするのはまずいんじゃないかと思ったが、もう引き返してる時間はなかった。


 ◇ ◇ ◇


「あっれ? 純ちゃん、昨日休むって言ってなかったっけ?」

 

 僕が汗だくになりながら、教室に入ったのはチャイムが鳴り始めたのと同時だった。


 幸い、先生はまだ来ていない。僕のことを先生が来たと思ったのか、一瞬、教室が静かになるが、美咲の声で教室は再び騒がしくなった。


「脅かすなよ、純一」と周りから言われるが、脅かすつもりで急いだわけじゃない。


 僕が席に着くと、美咲が隣の席から身体だけを寄せて、さっきと同じ質問を訊いてくる。夏らしい制汗剤の香りが制服からふわっと漂ってきた。


「今日は休むって聞いてたけど。どうしたの?」

「学校のありがたさを思い出したんだ」

「にしては、来るの遅くねぇか?」


 僕の言葉に今度は後ろの席から声が飛んできた。僕は透明な下敷きを机から取り出すと仰ぎながら、振り返って反論する。


「思い出したのがついさっきなんだよ」

「分かった。叔母さんに怒られたんでしょう?」


 僕はちょっと息を詰まらせ、一呼吸を置いてから言った。


「まぁ、そんなところだ」

「お前の母さん、そんな厳しい人だったか?」

「怒る時には、ちゃんと怒る」


「あっ、そうだ」と、重そうなビニール袋を持ち上げて美咲が言った。


 中を見るとキュウリにトマト、そしてナスと彩り豊かな水滴が光る夏野菜がぱんぱんに詰まっている。


「はい、これ。帰りに持って行こうかと思ってたんだけど、今渡しちゃうね」

「ありがとう。母さんが喜ぶ」

 

 教室の後ろにある自分のロッカーに夏野菜を入れて戻ってくると、有介が美咲に感謝を述べていた。


「俺にとっては、まじでありがたい。これとマヨネーズがあれば夏は乗り切れる」


「有介くん、一人暮らしだもんね」と、笑って答え、僕が席に座るともう一度身体を寄せて、訊いてきた。


「夏休みさ、今年も手伝いに来てくれる? スイカもあるから、ね」

「暇だったらな」

「やった。ついでに夏休みの宿題も教えてもらおうっと」

「出来れば、前日に訊いてくれるとありがたい。朝は強くない」

「うん、分かった。有介くんは?」

「いいけど、自由研究で忙しいからな。時間が合えば行くわ」

 

 僕と美咲は顔を見合わせた。彼女も何も訊いていないらしい。顔を戻して僕が訊いた。

 

「何するつもりなんだ?」

「内緒。つうわけでも無いんだけど、いい時に教えてやるよ」


 ガラリと教室のドアが開く。半ズボンと襟付きシャツ1枚のラフな格好で松尾先生が入ってきた。担任になってから先生がスーツ姿なのを僕は見たことがない。

 

「あれ? 吉野か、来たんだな。親戚の子はいいのか?」



 僕の周りから音が消える。教室が静かなったのか、僕の気が遠くなったのか。


 ーー忘れてた。


 田舎の噂はどうのとか言っていたはずなのに、先生は触れてほしくないところを綺麗に触っていった。


「先生、なんの話ですか?」と、美咲はなぜか僕に訊かずに先生に回答を求めた。


「いや、朝電話したら、出たのが女の子の声だったからびっくりしてな……」と、そこで僕の怨念に気付いたのか先生は口を閉ざした。


 だけど、もう既に遅い。むしろ、最後まで話してくれていた方がましだった。


 そこからは教室が揺れたのかと思ったほどだ。いや、実際に窓ぐらいは揺れたのだろう。止まっていた蝉が飛んでいったのが見えた。

 多分皆、明日から夏休みだから浮かれているからに違いない。


「ほんとにっ!?」

「なんだそれ、心配してたのに」

「だから、親戚の子が来てるんだよ」

「美咲ちゃんを差し置いて、浮気なの?」

「いや、私は……」

「サイテー」


 ここで「美咲とは付き合っていない」と言おうものなら、火に油を注ぐだけだ。それぐらいの分別は僕にもついている。


 微妙に流れ弾を受けた隣の様子を伺おうと、僕は目線だけを動かした。


 美咲はちょっぴり顔を赤くして俯いていたが、僕の視線に気付いたのか顔をこちらに動かした。震える口元が動く。


「部室に集合ね」

「いや、今日は……」


 用事があると言おうとしたら、後ろから肩を掴まれた。


「諦めろ。俺もついて行ってやるから」


 同情している奴はそんな声を出さない。


「いいねー、青春は」と、先生は適当な言葉でお茶を濁そうとしていた。

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