たそかれ耳かき
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
みんな、「騒音」の中身が2種類の音によって作られているのは、知っているかな?
1つは空気伝播音。文字通りの空気を伝わる音で、話し声から電車の通る音までいろいろある。
もう1つは固体音。スピーカーや打楽器、足音や家具を引きずる音など、床や壁や天井を伝ってくるものだ。
この2つへの対策が肝となり、遮音材、吸音材の研究が日々なされているのは、みんなも聞いたことがあるだろう? 公害のひとつに数えられるほど、著しい被害もある現象だ。
音との関わり。これにまつわる不思議な話は、昔より枚挙にいとまがない。
そのエピソードのひとつ、聞いてみないかい?
むかしむかしの江戸時代。
ちまたでは、耳かきが流行していた。厳密には耳かき兼かんざしで、頭にさしているようだったのだがね。
耳に入れるものを頭に差すとか、汚いんじゃないかと思われるかもだが、こいつは当時の政策が関わっている。
周知のとおり、江戸時代は三大改革をはじめ、何かとぜいたく品がにらまれる時世でもあった。それは装飾品、ひいてはかんざしにも及びかねなかったため、その言い訳として「これはあくまで耳かき、日常の道具ですよ」という体裁をとったわけだ。
しかし、かんざしを汚したくない人がいたのも確かで、それに応えるようにして「耳垢取り」の仕事が急増する。
現代だと、床屋とかで一緒に耳掃除までしてくれることがあるが、江戸時代は耳かきが単独の仕事として成り立っていたという。
とある青年も、兼任する仕事の中に、耳垢取りがあった。「ぼてふり」が早くさばけたときなどは、服を着替えて辻などに立ち、通りかかる人へ「みみあかとりー、みみあかとりー」と声を張り上げ、人を招いていくんだ。
彼は複数種類の耳かきを持ち歩いている。衛生面での配慮もあったが、落語に出てくるように、客の懐具合によって耳かきを変えるようなこともした。特別なご利益があるとか、うまいこと舌を回してね。
稼ぎは他の仕事に比べて、大きいとは言いづらかったが、そばの一杯も食べられればいいかと、彼はその日も辻に立っていたらしい。
その日は昼すぎてから、人通りがみるみる減っていった。
風は吹く時とおとなしい時の差が激しく、ときおり、どこからともなく転がってきたタライが、道を横断するほどの勢いで飛んでいくこともあった。
夏が近く、空はまだ明るい。だが寺の方角からは、早くも時刻を知らせる「捨て鐘」が響いてきた。
これから時刻を知らせる鐘を打つと、周知させるための鐘だ。おそらく暮れ六つ(18時)だろう。職人たちは仕事を終え、夜の気配が増してくる。
暗くなったら、耳はかけない。明かりだって貴重なものだ。いちいち用意している金もない。
「今日はあがったりかなあ」と、身じまいを始めかけたところで。
「すまない。垢取りを頼む」
いつの間に立ったか、質素なあわせを着た男が、彼の目の前にいた。
無造作に羽織ったあわせからは、細い胸板が丸出しになり、すそもまるで先端が溶けているかのような、ほころび具合。突っかける草履も、鼻緒がちぎれかけという、なんとも粗末な有様。
しかし、誰あろうと客は客。青年はしまいかけた耳かきを並べつつ、尋ねる。
「いかで、かきましょか?」
手を広げたところで、暮れ六つのひとつ目の鐘が響き渡る。
初めての客と見た青年は、並べた耳かきを客に選ばせようとした。相場を知らぬ輩なら、何を選ぼうと吹っ掛けてやる心持ちだったとか。
しかし、前髪長く顔を隠すその客は、わずかうつむく素振りだけして、どの耳かきをとることも、指さすこともせず、顔を戻しながらいった。
「『たそかれ』だ」
その語に、青年はぐっと喉を詰まらせる。
それは父親から耳かきの仕事を引き継いだ際、一緒に教えられた符丁だった。
もし暮れ六つの鐘が鳴る中で、この言葉で頼む客あらば、最上の耳かきでもって応待しろ、と。
彼はさっと、懐から小さい桐箱を取り出し、ひもを噛んで結びを解く。
鐘は二つ目が鳴った。腕組みして待つ客の前で、青年は一本の耳かきを取り出す。
足元に並べたような、黄、金、黒といった種々のものとは違う。まるで河原に生える草の一本を、そのまま耳かきに仕立てたような緑色。あの注文があるまで、極力出すなと言われているものだった。
三つ目の鐘が長鳴りする中、青年が耳かきを手に取った時には、もう客は横を向き、右耳を見せている。青年とほぼ同じ背の高さで、双方、伸びをしたりかがんだりする必要はなかった。
しかし、耳穴を見て青年は目を丸くする。彼の耳の穴は、一見して分かるほど、コケを思わせる青黒い茂みをのぞかせていたのだから。
いや、耳そのものもまた、たぐいまれなる福耳。ぷくりとふくらんだ耳たぶが、わずかに口元へせり出し、米のひと粒を乗せることもできそうに思えた。
その彼が、とんとんと小さく足で地面を打つ。「早くしてくれ」という催促。
青年は耳かきを、そっと差し入れる。抵抗もなく、ボロボロと塊になって落ち来る耳垢たちだが、多少、削いだくらいではまだ奥が見通せない。
四つ目の鐘。
ふと青年は、目の前の男の身体が震えたように思えた。しかし、彼はもはやこちらを見やることなく、目を閉じている。その態度に促されるまま、彼もまた耳かきを続けていく。
これまで、これほどひとりで耳垢をとったことはなかった。五つ目の鐘が鳴り終わるまで、せっせと動かした耳かきは、いまや地表から足首あたりまで届く垢を、その場に積もらせていた。
その五つ目の鐘が鳴る時も、青年は大きく震えた。いや、どちらかといえば、「ブレた」。
ざざっと、彼の身体の輪郭も肉も、砂が水に流れるかと思うほど、左右に大きく揺れ、かき消えるかと思えたんだ。しかし、彼は表情一つ変えなかった。
ぼこりと、最後のひとかきが塊を落とす。
ようやく耳には空洞がのぞき、奥を見通せないほど黒い穴が姿を見せた。
「終わりましたよ」
青年が声をかけ、彼はゆったりとまなこを開ける。
そのまま横を向いたままで、彼はぽつりとつぶやいた。
「よかった、間に合ったか。ここにいられるのも限界だ。それをとっておけ」
言葉の終わりと、六つ目の鐘の音が重なる。
これまで以上に、大きく左右へブレた彼の身体は、今度こそ霞のように、暗さを増しつつある空気に溶け込んでいってしまった。
あっけに取られる彼が、いくら手を伸ばしてもそこに肉体はない。
そして足元に転がる耳垢は、よく見てみると汚れこそあれ、それらは無数の文銭が身を寄せ合った姿だったとか。
「たそかれ」の注文は、以降まったくなかったという。
狐につままれたような心地の彼だが、後年、お伊勢参りに行った際、立ち寄った宿の近くで不思議な地蔵を目にする。
粗末なあわせをまとった地蔵は、右耳に手を当てていた。ぷくりと膨らんだたぶをもつ、その耳にだ。
そして地蔵の耳、それにあてる手には何枚もの文銭が乗ったり、詰め込まれていたんだ。
地元の人によると、この地蔵は耳の遠くなる者へのご利益が信じられており、それを聞きつけた者の中には、祈願の折に文銭をあのような形でおさめていく者が多いのだとか。