シャッター
麓の町を出てから2時間立つだろうか。道路の脇に座り込んで、ぬるくなった水を飲む。
「30分の距離って言ってたよなぁ……」
うねる道路の先は見えず、眼前に広がるのは朝日が照らす木々の見守る世界。その世界の住人にとっては近道でも、私では遭難してしまう。
「こんな時間だから人も車も……はぁ……」
いっそこのまま降りてしまおうか。神社は一向に見えないし、言ってしまえば用事があるわけでもなく、行く必要もない。興味だけで行先を決めるものではなかった。
「戻るか……ん?」
道路の脇に、何かいるのが見えた。一匹の金色と目が合う。
木陰から漏れ出る光に照らされた金色が尻尾を高くして金色が近づき、目の前に座り込んだ。
「……」
ジッと見返される。
「……」
大きなあくびをし、再び見返される。
「こ、こんにちは」
横になり、日向ぼっこを始めた。
「……なんで喋りかけたんだろう」
少しここで休んで落ち着こう。時間ならいくらでもある。
ガードレールに腰掛けながら水を流し込み、エナジーバーを求めてサックを開ける。だが目に入ったのはエナジーバーではなく、乱雑に入れたカメラだ。一瞬、硬直してしまう。
「……」
深呼吸。
「……」
ゆっくりとカメラを取り出し、電源を入れる。ただ茫然と液晶を見てしまう。使い慣れたはずのカメラ設定。電池は充分。データなし。
昨日もシャッターを切れなかった。昨日も何度かカメラを起動し、何度もファインダーを覗いた。が、ただ電池を消費するだけに終わった。
いつからシャッターがこんなにも重くなったのだろうか。レンズキャップを取り、ファインダー越しに空を漂う綿雲を見る。道路の横に広がる森林を見る。道路で今もくつろいでいる猫を見る。そして、電源を落とす。
カメラをサックの中に押し込む。大事そうにケースに入れていたのも、随分昔のことになってしまった。
「お前はいいよな、自由気ままで」
社会の路線からはぐれてしまった私も、彼らから見ればネコに見えるのだろうか。
「君と私で一体何が違うんだろうね」
あくびで返されたと思いきや、むくりと起き上がり、坂を上って行った。
「私もそろそろ戻ろう……」
愛想を尽かれたと思った相手がこちらを見ていた。まるで待っているかのように、ジッとみられている。
「……」
「……え?」
「……」
「……来いと?」
「ニャー」
呼ばれてしまった。
「はいはい分かりました、行けばいいんでしょ行けば」
サックを再び背負い、度々振り返る小さな背中を追う。どこか愉快そうに揺れる尻尾は手招きのようで、庭の紹介をされているように思えた。そう捉えると少し面白くなってきた。
ここが僕のお気に入りの昼寝床で、あそこには木の実があって、それから「ニャー」
気づけば道路の終わりに来ていた。
「あ、ここは」
どうやら当初の目的地に案内されたらしい。猫は目の前の石階段を上っており、その先の鳥居近くにいた。
「ここまで来て帰るという選択肢は……ないか」
一歩、階段に足をかける。既に追う背中はなく、ただ一人で頂上のゴールを目指す。
どこかめんどくさいと思いながら歩く。
少し息を切らしながら、歩く。
なぜここに来たのだろうと自問しながら、歩く。
一抹の期待を抱きながら、歩く。
苔むした石鳥居に出迎えられ、佇む社殿に息をのむ。
木目を基調とした社殿と森が一体となって醸し出す空気に唖然とする。幾重にも重ねられた波打つ屋根とその下にある彫刻が演出する重厚感だけでも目を見張るものがあった。
だが、その本質はその空間にあった。
まるで、山の中に社殿を作ったのではなく、この社殿のために山が作られたかのようだった。
木々を通る風が肌を撫でる。まるで自分がこの空間に沈んでいくように、ゆっくりと、この空間に包み込まれる。威厳を目の当たりにしながらも、不思議と落ち着きのある空間。
大きく、息を吸う。息を吐く。
その時、脳裏にカメラがちらつき、自分が訪れた目的を思い出す。この場所は撮らなければならない。
急いでカメラを取り出す。キャップは既に外れている。電源ボタンを入れる。ファインダーを覗く。設定はこれで。画角は、ここ。後は、ボタンを、押すだけ。押す……だけ。
……
押せない。
何かが違う。
ここでも撮れないのか。
何が足りない……
「あのー、大丈夫ですか……」
突然、後ろから声を掛けられる。
慌ててカメラをしまい後ろを振り返ると、ほうきを持った巫女さんが心配そうにこちらを見ていた。
「あ……突然お声がけしてすみません。この時間に人がいらっしゃることも少ないので……」
「あ、いや、大丈夫です……」
沈黙が訪れる。自分のことを人見知りだと思ったことはなかったが、これでは説得力のかけらもない。
「観光でこちらにいらしましたか?」
「あ、そんなところです。宿で紹介されまして」
「そうでしたか、こんな山奥までいらしてくださいまして、ありがとうございます。」
巫女さんが深々とおじきをする。
少し落ち着きを取り戻し、今度はこちらから話しかける。
「すごく立派な社殿ですね。何と言いますか、歴史を感じると言いますか。すみません、陳腐な言葉しか出てこないんですけど」
「いえいえ、そう言って頂きありがとうございます。こちらの神社では大山祇神、山の神様を祀っており、古くからこちらの地域を見守っております。」
「なるほど、そうでしたか」
再び社殿に目を向けると、やはり建物と山が一対なんだと、思わず納得する。すると、隣から「ふふっ」と小さく笑う声が耳に入る。
「あ、すみません。神社を気に入っていただけたようで、つい嬉しくなってしまいました」
「あ、いや、こちらこそすみません、話の途中でしたのに」
「いえいえ、大丈夫ですよ。ゆっくりとご覧になってください。何かお聞きになりたいことがございましたら、気軽にお尋ねください」
そういうと、巫女さんはおじぎをし、近くを掃除し始める。
水を取り出しながら、まだ参拝してないことを思い出す。確か、二礼二拍手一礼、だっけ。賽銭箱に小銭を入れ、朧気な参拝を済ませると、周りの彫刻が目に入る。
柱や屋根裏にあるその彫刻たちは複雑に絡み合い、どれも遠くからでは気づきようのない繊細さがあった。一つ一つの線は筆で描いたような伸びをもって神話の存在を表現していた。絡み合うように配置された彫刻は個々の存在でありながら、画角を変えるように視野を少し引くと、全てが一つとして存在していることに気づく。一歩下がると、彫刻の上に坐するうねるような屋根もまた、個でありながら彫刻と一つになっている。さらに下がると、社殿の厳格さが表れる。視野を変えると、見えるものが違う。
少し楽しくなってしまい、近づいては離れるを繰り返す。すると木々から漏れる風がもう一つの視野を思い出させる。大きく下がり社殿から離れたとき、その空間を再び目の当たりにする。
本当にここに山の神がいるのではと、空気に包まれるような感覚を覚える。
「ふふっ」
まだ巫女さんがいることを思い出し、はっとする。だが、すぐに優しい笑い声につられ、小さく笑ってしまう。
「落ち着かれたみたいでよかったです。」
「……落ち着いた?」
一瞬、何を言っているのか理解できず、問い返してしまう。
「ええ。最初にお見掛けしました時は、失礼ですが、かなり険しい顔をされていましたよ。何かを悩まれているような、何か迷っているような、そういった表情でした」
目を白黒させてしまう。そこまでわかりやすく追い詰められているように見えたとは知らなかった。
「何かの答えを求めてこちらにいらしましたか?」
少し考えてしまう。
そもそもここに来たのは紹介されたから。だが、ここに何か用事があったわけではない。でも……
「そうかも知れませんね」
少しの沈黙が訪れる。だが、どこか、心地いい。
「その答えは見つかりましたか?」
「……分かりません。ですが、その一遍は見えた気がします。」
「それは何よりです。」
巫女さんは優しく微笑む。
「色んな視野でこの空間を楽しめる貴方様でしたら、すぐにその答えの全容が見えるかと思います。」
「……そうですね。なんとなく、私もそんな気がしてきました。」
心地の良い風がそっと肌を撫でる。
あの時、道を引き返さなくてよかった。
「ありがとうございました。」
サックを背負いながら、巫女さんにお礼を言う。
「いえ、とんでもございません。是非またこちらへいらしてください。」
「えぇ、そうします。」
帰ったら、前撮った写真を見るのもいいし、また別の場所へ行ってみるのもいいな。自由気ままに、ネコのように。何か思わぬ発見を求めて。
「あれ、コタロウどこにいたの」
反射的に後ろを振り返る。巫女さんはしゃがんでおり、尻尾を天高く上げた一匹の金色に喋りかけていた。
風が吹く。
木の匂いがする。
再び、あの空間に包まれる。
そして、中心に先ほどまでになかった暖かさを感じる。
気づけば、手にはしまったはずのカメラがあった。
キャップは既に外れている。電源ボタンを入れる。ファインダーを覗く。設定はこれで。画角はここ。
そして、シャッターを切る。
初めまして、メノウトと言います。
この作品を見つけて頂き、ありがとうございます。
今回は一話完結の短編ですが、いずれ違う短編や連載ものを書こうと思っていますので、是非また覗きに来てください。
普段は小説以外にも音楽制作やゲーム制作もしていますので、Xも確認してみてください。
https://x.com/Menoht_Noslocus
改めまして、読んで頂きありがとうございます。
またお会いできるのを楽しみにしております。




