思い出はべっこう飴の味。(1)
カチッと言う音とともに院内のスピーカーからラジオの音が聞こえる。
政治の汚職、芸能人の恋愛話、スポーツの事など矢継ぎ早にニュースが伝えられていく。
そんな雑音の中、院長は缶コーヒーのふたを開け、啜る。
「さてと、今日も始めますか。」
誰も聞くことのない独り言を呟き、『診療中』と書かれた看板を院の外に立て掛け今日も一日が始まっていく。
午前十時を少し過ぎたころ、接骨院のドアが開いた。
「院長、今日もお願いできるかい?」
「小酒井さん、おはようございます。」
小酒井は近所で駄菓子屋を営んでいるお婆さんである。
小柄で少し丸っこい体系をしており、優しく大人しい性格のため、子供たちだけではなく、小酒井のお婆さんと話すのが目的で訪れる大人の客も多いと聞く。
「腰の調子はいかがですか?」
「最初の頃よりはだいぶ調子がいいんだけどねぇ。まだ立ち上がったり、寝返りする時に痛むよ。」
小酒井のお婆さんは、先日、不注意で階段を踏み外し、その際に腰を強く反らせ痛め、接骨院に来院し始めた。
「そうですか。まずはいつものように少しだけ腰の動きを拝見させてくださいね。」
院長はそういうと、小酒井のお婆さんに無理のない範囲で腰を動かしてもらう。
「大体把握出来ましたので、ベッドで横向きに寝てください。」
「はいよ。」
そういう小酒井のお婆さんは履いているサンダルを丁寧にそろえ、ベッドに上がった。
院長はそれを確認すると、そっとタオルをかけ、施術を開始した。
「小酒井さんは、あの駄菓子屋さんを始めて長いんですか?」
院長は施術の手を止めることなく小酒井のお婆さんに話しかけた。
院長は通勤時に毎朝のように小酒井のお婆さんの駄菓子屋の前を通る。
一軒家の一階部分が店になっており、一軒家自体かなり年季の入った佇まいをしている。
院長がこの町に接骨院を始める前からあり、この接骨院に来院している患者も当然のように駄菓子屋について知っていた。
「そうさねー。もうかれこれ50年近くは経つかね。」
「そんなに長い間続けていらっしゃったんですね。」
「数字だけ聞けば長く思えるかもしれないけれど、あっという間だったねぇ。」
「そういうもんなんですね。」
「そうさねぇ。毎日毎日、食べていくことに必死になって働いていたからねぇ。」
「商売とはそういう物なんですね。そういえば、50年も続けていますが、始めたきっかけとか何かあるんですか?」
「そうさねぇ。きっかけというのか、思い出はべっこう飴とでも言うのかねぇ。」
そういうと小酒井のお婆さんは、ぽつりぽつりと思い出話を語り始めた。
次回更新は8/20(金)19時です。
空き時間にサクッと読めるよう、1000文字程度で更新していく予定です。
お暇な時にでも目を通していただけたら幸いです。