少年、走る父の背中を見る。(1)
東新町立花接骨院は日曜も診療している。
穏やかな気候のため、院内の窓を少し開け、風通しを良くしていると、窓の外からは、太鼓を叩く音や、掛け声や声援など何やら賑やかな音が聞こえてくる。
この接骨院の近くには小学校があり、今日はそこで運動会が開かれている。
「・・・今日は暇かな。」
院長は椅子から立ち上がり、電気ケトルに水を注ぎ、スイッチを入れ、愛用のマグカップにドリップコーヒーをセットした。
お湯が沸き、ゆっくりコーヒーをドリップする。院内にコーヒーの香りが広がる。
椅子に戻り、窓の外をぼんやり眺めながらコーヒーを啜る。
「あ、今年も一人二人は来るかもな。」
頭をポリポリ掻きながら、再び立ち上がると、新しい包帯、湿布薬、冷凍庫内にある保冷剤など確認する。
「一応テーピングも用意しておくか。」
伸縮性のあるテーピングを30cm程の長さに切り、中央に縦に切り込みを入れる。
「こんなもんでいいか。」
院長はそう呟くと、さっきいた椅子へ戻り再びコーヒー啜る。
カランカランッ。
午後2時過ぎ、接骨院のドアベルが騒がしく鳴る。
「先生、やっちまったよ」
声の方に目をやると、近所にある商店街の八百屋の店主の姿があった。
「山岸さん!やっちまったってどうしたんですか?」
「いやー、息子の運動会で保護者競技に参加して、100mダッシュしたらこれだよ。ふくらはぎが激痛ですわ。これアキレス腱切れたりしちゃってるかな?」
そう言いながら山岸は右足を引きずりながら院に入って待合室の椅子に腰掛けた。
「ああ、なるほど。詳しく診たいので、さっそく診療ベッドに移動しましょう。手を貸しますか?」
「いや、大丈夫」
「それではベッドから足先が出る様にしてうつ伏せで寝て下さい。」
山岸は言われた通りの姿勢をとる。
「痛むのはどの辺りですか?」
「この辺りだよ」
山岸は右足ふくらはぎ上部やや内側を指差す。
「それでは患部周辺を触っていきますので何か異常を感じたら教えてください。」
そういうと院長は、太ももから、ふくらはぎ、アキレス腱まで広い範囲で触診していく。
「次は少しふくらはぎを摘まみますので痛かったら教えてください。」
院長がふくらはぎを摘まむと山岸の右足首は僅かに底屈をした。
「山岸さん、どうやらアキレス腱が切れている可能性は低いようですから安心してください。」
「本当かい?!よかったよ。仕事もあるからヤバいと思ってたんだよ」
「ええ。アキレス腱の周囲を診て、触った結果、アキレス腱が断裂した様子も見られませんでしたし、ふくらはぎを摘まんだ際に足首もしっかり動いたので大丈夫そうです。」
「よかった、よかった」
「ただし、腓腹筋の筋挫傷を起こしている可能性が高いですよ。」
「え?!そうなのか?」
「ええ。試しに軽くでいいので自身で足首を曲げてみてください。」
「こうかい?・・・イテテッ」
山岸は自身の右足首を底屈させると同時に声を上げた。
「今度は、私が軽く足首を反らせます。おそらく痛みが出ると思うので、そうなったら教えてください。」
「わかった」
院長は山岸が頷くのを確認すると、彼の足首を軽く背屈させる。
「イチチチッ」
「筋肉が完全に断裂しているような所見はないのですが、走ったことで筋肉が急激に伸ばされて顕微鏡レベルで断裂している可能性があります。いわゆる肉離れと呼ばれる状態です。」
「普段運動しないのに、今日ばかりは張り切ったからなー」
「またどうして張り切ったんですか?普段からは想像できませんよ。」
院長は患部に保冷材を巻き付けながら聞いた。
「ほら、うちの息子今年で小学校卒業だろ?普段は仕事でどこも連れて行ってないし、学校行事にもなかなか参加できないからさ。今年くらい父の背中ってヤツ見せたかったんだよ。まあ、失敗してこんなざまだけどな。ハハハ・・」
笑いながら言う山岸の顔はどこか切なそうに感じる。
「そうだったんですね。」
次回更新は7/23(金)19時です。
空き時間にサクッと読めるよう、1000文字程度で更新していく予定です。
お暇な時にでも目を通していただけたら幸いです。