7.令嬢たちの談話室
「この頃、殿方の様子がおかしいと思わなくて?」
そう切り出したのはサロメだった。周りの令嬢たちも頷く。
私たちは、普段着用の動きやすいドレスを着て、寮のソファに沈みながら宝石菓子を食べていた。宝石菓子は砂糖水にビジューの実を混ぜて固めたもので、見た目の美しさもさることながら、長期保存ができるので冬ごもりの友として愛されている。
この国は長く冬に閉ざされる。移動の不自由さをなくすため、雪季に入ると、貴族であろうと王子であろうと寮生活になるのだった。
現に今も窓の外はひどい吹雪で、男子寮のある塔さえも見えない。怨嗟の叫びのような嫌な音の風が吹き荒れており、令嬢たちは時々顔色を悪くしていた。
「ねえ、フルール。わたくしの話を聞いていた?」
サロメが口を尖らせた。
彼女は、葡萄色のつやつやとした長い髪を片側の肩に流すようにしてかけていた。彼女は私の幼なじみで
切れ長のルビーのような瞳に、涙ぼくろが印象的な美人だ。
「ごめんなさい、わたくし、お菓子に夢中だったの」
私が謝ると、令嬢たちは目を細めて感じよく笑った。
「それで、なんのお話だったかしら」
私が尋ねると、ひとりの令嬢と目が合った。
「ディディエ嬢の行動は目に余ります」
勢いよく答えたのは、栗色の巻き毛が可愛らしいノエミ。彼女は子爵家の娘で、そういえば、スピカに傾倒しているアンリとの縁談が出ていたと記憶している。
スピカの姿は朝から見かけていない。
だからこそ、このような話題になったのだろうと私は納得した。
「もともと平民だったから、マナーを知らなかったというのは納得できます。でも、半年近く経ってもあの振る舞いだというのは、淑女にあるまじきことです。あのように殿方にまとわりつくなどはしたないですわ」
滔々と語る彼女は、目を赤くしている。
「わたくしたちでマナーを教えてあげるのはどうでしょう?」
そう言って意地悪な微笑みを浮かべたのはメアリー。周りの令嬢たちもそれに同調した。
おっとりとした雰囲気からは意外なほど低く、冷たい声に、彼女の苛立ちが見て取れた。
彼女もまた、スピカの取り巻きと化しているドミニクに思いを寄せていたはずだ。
私は、内心ため息をついた。これはいじめの許可を求められているのではないだろうか。
この世界には、身分制度がある。この場で一番身分が上なのは私だ。私の立場に忖度して勝手に動かれなかっただけ、まだいいのかもしれない。
幸い、私の周りにいる令嬢たちは、皆おっとりとした気質の少女ばかりだ。しかも、小さな国の貴族学院に通う同じ年頃の子どもなど、そう多くはなく、私たちの間には三年近く積み重ねてきた信頼がある。
だからこそ、直接行動に出るのではなく、こうして相談を持ちかけてくれているのだろう。
「ジルベルト殿下にもあのように付き纏っていますし、フルール様も心を痛めていらっしゃるのでは?」
私はなるべく表情に出さないように気をつけていたのだけれど、痛いところを突かれたと思い、思わず苦々しい笑みを浮かべてしまった。
そう切り出した令嬢が恐縮しきっている。
恋心というのは、ままならないものだ。自身の婚約者が誰よりもスピカに夢中になっている私は、自嘲した。
「確かに、わたくしは悲しく思っています。でも、だからといって、ディディエ嬢に対してなにか行動を起こそうとは考えていません。相手を変えるのではなく、自分を変えるほうが早いと思うのです」
「自分を変えるとは?」
メアリーが訊く。
「淡々と自分を磨くということです。わたくしたちには、学ぶべきことがたくさんあります。彼女に構う時間があれば、もっといろいろなことができます。刺繍の腕を磨いたり、家同士の関係や歴史について学ぶのもいいですし、お友だちをたくさん作ったり、それからおいしいお菓子を食べたり」
そう言うと私は、宝石菓子をひとつ摘んで口に入れて見せた。
殺伐としていた談話室は、私の言葉を皮切りに笑い声がこぼれ、私はほっとした。
「それに、殿方に進言したり、ディディエ嬢を注意したりと、不機嫌な様子を見せるより、なにも気にならないといったように楽しげに過ごしていたほうが、意外と向こうも気になるかもしれませんもの」
私が言うと、ノエミは赤い瞳をうるうるとさせた。
「それでも、フルール様。わたくしは、フルール様のように強い気持ちを持てません。我慢がならないのです。ディディエ嬢が、アンリ様にしなだれかかっているのを見ると胸が張り裂けそうな気持ちになります」
令嬢たちは、ノエミのそばに寄り、彼女を支えた。
私も強く同感した。思わず声が潤みそうになるのを咳払いで誤魔化して、我慢する必要はないのだと続けた。
「悲しくなったときや、苛立ちを抑えられなくなったときは、またここでお話をしませんか。少しは気も紛れるかもしれませんし、――わたくしも、いつも笑顔ではいられませんもの」
それは紛れもない本心だった。
普段は、このように談話室に入り浸ることなどなかった。王子妃教育で出される課題が終わらないためだ。でも、一人になると悪感情が吹き出してくるので、顔を出してみたのだった。
三日前に見たものを思い出す。
学園の噴水のそばで、スピカとジルベルトが寄り添っていた。
彼女は小さなバスケットを持っており、そこから取り出した焼き菓子を手ずからジルベルトに食べさせていたのだ。
周囲のざわめきも気にした様子はなく、ジルベルトはそれを口にした。それは、ジャムが入ったクッキーで、ジルベルトのくちびるに赤色がついた。するとスピカは頬を染めながら、それを自分の指で拭い、ぺろりと舐め取ったのだ。
ジルベルトは、私に向けるような不機嫌な顔をせず、甘やかな顔をしてその様子を見つめていた。
足が凍りついたようにその場から動けずにいると、こちらに気がついたスピカがばっと立ち上がり、怯えて見せた。
ジルベルトは彼女をかばうように前に立って、私を鋭く睨みつける。
胸にせり上がってくるものを飲み込み、私はなんとか口元を笑みの形にし、淑女の礼を取って下がった。
秘密の会合は和やかに解散した。
談話室には、サロメと私の二人が残った。いつの間にか吹雪も止んだらしく、暖炉の薪がパチパチと爆ぜる音だけが部屋に響いていた。
すでに灯りは落とされ、カーテンの隙間から差し込む月光と、あたたかく燃える火だけが部屋を照らしていた。
「あなたのこと、尊敬するわ」
窓際で、月光を背にしていたサロメが、感心したように、ぽつりと言った。その薄い耳たぶにきらりと光るものがある。耳飾りだろうか。
「その心の強さも、優しさも。わたくしにはないものだもの。すごく眩しく思える」
サロメは、いつもと同じように淡々と告げた。
「いいえ。臆病なだけだわ。――本当は、一番突撃してしまいたいのがわたくしかもしれないもの」
そう言って、私は笑った。サロメは眉を下げて、ゆっくりと近づいてきて、私を抱きしめた。
私は彼女にしがみついて、涙をこぼした。