6.特別な魔力
出口へと向かうクレメントの広い背中を見送り、私はベンチに座り込んだ。そして、硝子の丸屋根の向こう側にある空を眺める。
何度見ても不思議な光景だ。
温室の中は春そのものなのに、透明な天井には雪の粒が落ちてはじゅわりと消えていく。それでも次々に雲から降ってくる様子は、まるで星を眺めているような感覚に陥ってしまう。
そういえば、ジルベルトとはいつから話をしていないだろう。
私とジルベルトが学園で会話をすることはなかった。
もっとも、初めのうちは、私のほうからよく声をかけていた。食事に誘ったり、休日にお忍びで街へ行ってみないかと提案したこともあった。
いずれもすげなく拒まれるばかり。
彼は、公式の夜会でエスコートをしてくれるだけ。婚約者として最低限のことだけを義務的に守る彼の様子に、その心のうちがわからなくなっていた。
病気が治ったらきっと、彼の根っこの部分が見られる、仲良くなれると期待していた。
素直になれない彼のことも愛おしく思っていたけれど、今はむしろ、ただ避けられているようにしか思えない。
とはいえ、婚礼まであと一年もないのだ。
夫婦になってからでもいいから、少しずつ穏やかな関係を築けたらいい。そう前向きに思い直すのだった。
「そうだ、君に伝えないといけないことがあったのだ」
再びクレメントの声がして驚き、びくりと振り返る。
「驚かせたな、すまない」
クレメントは苦笑して、それから続けた。
「半年ほど前から、城下で気になる動きがあるのだ。ひとつは婚約破棄が続いていること。もう一つは、謎の問いかけをしてくる女がいることだ」
「謎の問いかけ?」
「愛の魔女の伝説は知っているか?」
私は頷く。
「その魔女がなにかを探しているのでは、と思われている。聞き取ったものによると『ラーメ・サム・リャー・キクラ』とかいう、呪文のようなものを、道行く人々に問いかけているらしい。フードを目深にかぶっているが小柄なので女だろうとのことだ」
「古語、でしょうか」
「あるいは。だが、魔女について残っている資料はほとんどないのだ。前回、魔女が出たという時代には革命があった。当時の蔵書は焼かれたものも多く、私が見た限りでは二冊の絵本しか無かった」
「『愛の魔女』という絵本のことでしょうか。それなら殿下の部屋で見た事があります」
「――それもそうだが、もう一冊あっただろう? 」
「いいえ、一冊しかありませんでしたが」
私が告げると、クレメントは訝しげに首を傾げた。
「そうか――。それはこちらで確認してみる。これは公にしていないことなのだが、愛の魔女には特別な魔力があるのは知っているだろう。その魔力は、氷を操る力だと言われている」
「氷?」
「ああ。これは王家の中だけで秘匿している情報なのだが、基本属性以外の魔力を持つと肩身が狭くなるのは、実はこれに由来しているのだ」
「どうしてわたくしに?」
「近ごろ、なにやらきな臭いのだ。君も用心しておいたほうがいい。気になることがあったら報告してくれ」
そう言うとクレメントはどこか寂しそうに笑い、踵を返した。
私は震える手を握りしめた。愛の魔女の能力は、氷。知りたくない事実だった。もしかして、私自身が魔女なのだろうか。
スピカ・ディディエが転入してきたのは、それからすぐのことだった。
この年は災害が多かった。雪崩に飲まれて消えた村がいくつもあり、ジルベルトだけでなく、対応に追われたクレメントともあまり話せないまま、時間だけが過ぎて行った。